年金基金から返答が来た

12月28日の日記で、国民年金基金から<代議員選挙のお知らせ>という封書が届いたことを書いた。なんでも、年金基金には規約の改正など重要な決議を行う代議員という制度があって、3年の任期が終わったので、新しい代議員を選んで欲しいというものだった。

しかし、もう既に候補者が決まっており、不信任の場合のみ×をつけて送ってくれという内容だった。オレは、①この候補者たちは誰がどこで選んだのか?②どんな人かもわからず投票できない。と二つの質問を書いて送り返した。

どうせ返事なんか来ないだろうと忘れかけていたら、届いたよ、返事が。これがその返答書だけど、これを見てオレは更に訳がわからなくなった。



年金基金では「公平な候補者を選定する方法」として、市町村役場に代議員の推薦をお願いしたという。しかし、本当に市町村役場が公平中立の立場にたって人選ができるのだろうか?行政に都合のいい人しか選ばないんじゃないか?しかもその選考過程も不透明だ。この人選には大きな問題があるよ。

又、選定された候補者のプライバシー保護のためその個人情報を開示しないのだそうだ。それでも選べという。つまり、それは「俺達が選んだのだから文句を言わずに認めろ」と言っているのに等しい。役人はいつもそうだ。多くの国民が不信任を出さないのを見越して、アリバイを作り、なし崩しに自分達のシナリオ通りに事を運ぶんだよ。

候補者だって、そんなにプライバシーが大事なら立候補なんかしなきゃいいんだよ。だって公的な機関の代議員だよ。正々堂々としてればいいだろう?コソコソっと代議員になって、コソコソっと辞める。何かおかしくないかい?

どうせ法令に規定されてあるから、飾りで代議員を置いてるだけだろう?会合だって儀式的なシャンシャン会合じゃないの?「候補者の方々には、ボランティアの意識でお引き受け願っています」と書いてあった。任期中に何回会合があるのか分からんけど、一回2万円ほどの手当てがつくそうだよ。この金額ってボランティアの範疇に入るのかな?

こんなのオレはとても「ご理解」できないよ!!でも、オレ一人が抵抗してもな~~んにも変わらないんだよね。



  


2009年01月30日 Posted by 臥游山人 at 11:08Comments(0)日々雑感

紙幣と信用

昨日、東京より日銀静岡支店元支店長の田口さんが遊びに来た。田口さんは日銀を退職されて、今は法政大学大学院教授で政策科学研究科科長という仰々しい肩書きだが、実に物腰が柔らかくて、気さくな人である。




静岡支店の前に四国は松山の支店長をしてたんだけど、松山の財界人に陶芸好きの人がいたらしく、誘われて土いじりを始め、すっかり陶芸の魅力に取り付かれてしまったようだ。静岡転勤になって、又又、ここで焼物作りを楽しんでいる経済界のグループ、「三日月会」のメンバーから誘われて陶芸を始めることになった。

彼の奥さんも陶芸が趣味で、「夫唱婦随でいいね」とみんなから冷やかされていた、その奥さんが料理がうまく、時々オレ達を安東にある支店長宿舎に招待してご馳走してくれた。みんなが思い思いの酒を持ち寄り、美味しい料理をいただきながら政財界の裏話や暴露話で盛り上がり、ホントに楽しい時間を過ごしたナ~~。







田口さんが縁となって、それから代々の日銀の支店長が「三日月会」に加入して焼物作りを楽しんでいるが、今の武藤支店長で4人目になるのかな?

田口さんと話していて、前々から疑問に思っていた幼稚な質問をぶつけてみた。「今世界中が不景気不景気と騒いでるけど、あれだけ有り余っていたお金はどこに行ったんですかね?」田口さん、子供を諭すようにやさしく答えてくれた。「その質問に答える前に、お金という概念について説明しないと解らないかも知れないね」と。

そう言って、経済の初歩も知らないバカなオレに丁寧に教えてくれた。日銀は紙幣を発行した時点で借金をしたことになるんだそうだ。んんん~~?誰に??・・それに、単なる一枚の紙切れが、5千円とか、一万円とか価値が付く。その根拠は・・・??

そんなことをイヤな顔ひとつしないで教えてくれる。な~んていい人なんだろう。結局余り理解できなかったけど、(田口さん、ゴメン!!)要するに世界は、形のない「信用」というもので動いてるようなんだね。信用できる国が発行した紙幣だからその価値を認めているわけで、信用できなくなったら、いくらうず高く紙幣を積み上げてもただの紙切れになってしまう。

ということは、今の世界はどこもかしこも余り信用できなくなってきているので、デフレになっているということなのかな?若し、GMとトヨタが倒産しそうになれば、世界の資本は間違いなくGMに向かうだろうとも言った。それぞれの後ろに控えている国の信用度が月とすっぽんという事か・・・??

そりゃ~そうだ、日本のセージカやカンリョーを考えるとオレも納得せざるを得ない。じゃぁ日本はどうすればいいの?と聞こうとしたら、「今日はこれから寄るところがあるので」と、にこっと笑い、真っ赤なベンツに乗り込むと、「じゃぁ」と手を振って走り去ってしまった。

ヘキサゴン並みのおバカ加減に呆れちゃったかナ~~?? お願いだからこの次もっとゆっくり教えてよ!!



  


2009年01月29日 Posted by 臥游山人 at 12:26Comments(0)交遊録

日本国国技「相撲道」

何でも勝てばいいのかい?強けりゃ文句ないの?マスコミも手のひらを返すように提灯記事を垂れ流し始めたね。土俵の外に出た相手を更に突いたり、負けた相手を睨みつけて威圧する。これが国技を標榜する相撲の、それも横綱の姿なのかい?ヒールというのはあくまでもヒーローのアンチテーゼのはずだ。つまり横綱がヒールになってはいけないとオレは思うよ。

相撲を単なる格闘技と言うのなら、税金を投入せずにK-1のように自主運営して、国技なんていう看板をさっさと外したほうがいい。柔道といういい見本があるじゃない。国際化という掛け声の下にオリンピック種目にまでなったけど、あれが本来の日本の柔道なの?おしりを突き出しへっぴり腰で袖をつかみ合い、長い手足で相手を引っ掛けて転ばせるだけだ。見ていて何にも面白くない。

勝負が終われば、勝った相手を称え、負けた相手には労わりの心で接する。これが相撲道の、いや日本の武道の美学じゃなかったのかい?いや、東西を問わず、西洋にだってこの精神はあるんだよ。ラグビーのノーサイドがそうじゃないの?

オレはサッカーという球技に昔から疑問を感じている。いや、サッカーそのものは素晴らしいスポーツだと思うよ。でもテレビで試合を見てると、反則を犯した選手に、解説者やアナウンサーが「今のは仕方ない反則ですね」などと反則を正当化するような発言をよくしている。

確かに2回までは許されている。果敢なプレーが反則と判定されることもある。しかし彼らが言うのは、明らかに反則を承知して犯したプレーに対する発言である。「チームのため」「サポーターのために」そして勝利のためにあえて反則を犯したのだと、その反則行為を賞賛すらしているように聞こえるのだ。

これを「地位や名誉のため」「お金のため」と置き換えてみればいい。今、日本はこんな国に成り下がってしまったのではないか?世間では、いくら努力しても地位もお金も手に入らない人が圧倒的に多いはずだ。それでも自分の身の丈で明るく楽しく生きていける、そんな国を目指さなければいけないのに、ずるをしてでも成功した人を、セレブだ勝ち組だと誉めそやす、日本はそんな品格のない国になろうとしている。

傍若無人に相撲界のしきたりをかき回し、挙句に、強けりゃいいんだろうとばかりに土俵上で、負けた相手に惻隠の気持ちさえ持つこともできない。それでも我が「おめでた国民」はそんな横綱に声援を送り続けて、外人大相撲を盛り上げている。いや~、めでたい、めでたい。実におめでたい。
  


2009年01月26日 Posted by 臥游山人 at 18:09Comments(0)日々雑感

我が友 ガンコ親父 2

昨夜は「ヤングカレッジ」の新年会があった。総勢30人、駅前の大衆居酒屋が会場だったが、楽しく飲むことが出来た。オレは痛風持ちなのでもっぱら焼酎飲んでたけど、要は量の問題なんだよね・・・量の・・・

二次会の誘いを断り、10時ごろ帰れたのでMIXIを開いてみたら、じゅんちゃんが「我が友ガンコ親父2」を書いていた。 過分な褒め言葉が並んでいたので、ちょとこそばゆい気もするが、こんな風にオレのことを見ててくれたのかと思うと、本当に嬉しいな~~。

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          ~我が友 ガンコ親父 2~  すずきじゅんいち

ガンコ親父殿は几帳面である。
早速僕が日記に書き込むと、その答えのようにまた、自分にも日記に書き込んでくれる。
そういうところも我々は似ていて、僕もそれに答えるような駄文を、今またまた書くのである。

ガンコ親父殿は陶芸家である。
しかし、彼を紹介した人(その時は俳優をしていたが、現在は雑誌記者?)は、彼のことを釣士と言っていた。魚釣りや山菜取りの名人だからである。
本業以上に熱心だと陰で言われるのも僕も良く知っている。
僕は釣も山菜取りも憧れるが、出来ない。
自分にはそういう才能がない。
でも、そういうことが分かるという才能はあるようである。

それに親父殿は凄いグルメである。
料理も作る。
美味いものに目が無いという人間の原点のような人なのである。
僕も毎日料理は作る。
僕の奥さんは片付けは好き、お掃除は好きなのだが、料理は嫌いなので、両者の利害が一致して、凸凹のいいコンビの夫婦であるようだ。
我々は客に自分の料理を食べてもらうのが好きである。
親父殿もそうなのだと思う。

そして芸能の世界が好きなのも一緒である。
いわゆるテレビタレントとは違う、本物の芸人が好きなのである。
つまり、職人ですな。
彼の兄弟は皆、自らの手でお金を稼ぎ出している。
単純なサラリーマンではない。
独立自営業者である。
お父さんの教育だろう。
名前だけで稼ぐ人とは違う、キチンとしたものを持っている人を恐らく彼は尊敬するのだと思う。
僕もそうなのだが、悲しいかな僕は全く自分では何も出来ない。
監督という仕事は全く悲しい仕事である。
口先三寸で仕事をしているだけの人間だから、彼のような自らの手でモノを作り出す人や、長年培った芸で身を立てる人を尊敬するのである。

そしてガンコ親父殿が最も才能があると僕が舌を巻くのが、プロデュース能力である。
人と人を結びつけ、新しいものを作っていくのがプロデューサーと言うなら、彼の力はそうした方面でまれに見る力を持っている。
恐らく今やっているヤングカレッジというNPOもそういう彼の才能が開花したものだと思う。
日本にはプロデューサーが少ない。
映画業界でも映画が大好きなプロデューサーはたくさんいるが、人と人を結びつけ、それらの人たちを更に大きくする、いわゆる本物のプロデューサーは少ないのではないか。
これからも、その才能を発揮して、多くの人を結びつけてもらいたいと密かに思っている。

親父殿は、そういう人なのである。


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じゅんちゃんとは昨年の10月に浅草で会った。その時も映画の宣伝と、日本語版の吹き替えで来日していた。ちょうどその時、浅草寺境内で「奥山風景」というイベントがあり、さがみ三太師匠も参加してたので、じゅんちゃんを師匠に紹介するのが目的だった。

師匠はオレ達を合羽橋のどぜう鍋「飯田屋」に案内してくれた。師匠の弟子、ビッグボーイズのなべかずおも一緒だった。そこで大いに食べ、大いに呑み、大いに笑って楽しい時間を過ごした。



   ご機嫌なじゅんちゃん



   三太師匠とボンボンブラザーズの鏡味繁二郎



   ビッグボーイズのなべかずお



   居合わせた昇太も挨拶にきた

後日、アメリカに帰ったじゅんちゃんから一通のメールが届いた。「三太師匠にロスに来てもらいたい」というものだった。浅草で呑んだ時に、オレが「みんなで何か楽しいことをやりたいね」と言ったことを真剣に考えていてくれたらしい。

彼の案は、ロスの日系人に日本の伝統芸能を楽しんでもらいたいというものだった。早速師匠に話したら、師匠も大乗り気で、「ついでに老人ホームも慰問したいね」ということになった。勿論オレも即席マネージャーとして同行する予定だよ。

話はとんとん拍子に進むと思ったら、年末の世界同時不況とぶつかってしまった。スポンサーが中々見つからない。というわけで、この話は今のところ頓挫している。でも必ず実現させるよ。じゅんちゃん!師匠が生きてるうちに何とかしようよ!な~んて言ってると師匠に怒られちゃうね。

そうそう!師匠から電話があって、2月始めにウチに泊まりにくるってよ。あんまり呑ませないようにしないと・・・



  


2009年01月25日 Posted by 臥游山人 at 14:01Comments(0)交遊録

友こそ宝

昨日の日記でじゅんちゃんの事を書いたら、無事にロスに到着したようで、じゅんちゃんもオレの事を日記に書いてくれた。10時間も飛行機に乗ってたのにまだまだじゅんちゃんタフだね。これくらいの体力と気力がないと映画監督は務まらんのだろうね。
      
            <じゅんちゃんの日記>
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             ~我が友ガンコ親父~  すずきじゅんいち

ガンコ親父こと、寒河江さんが僕のことを書いてくれたので、寒河江さんのことを書こうと思う。

昨日東京を発ち、ロサンゼルスの家に着いて数時間が過ぎたが、眠くて眠くて。誤字脱字、ひどい文になるかもしれませんが、お許しを。と言い訳を先にかます所がセコイ、かなあ。

寒河江さんには色々お世話になりぱなし、奥さんにもそうです。
お二人とも凄く美味しいものを作ってくれます。
エライ、凄い!
人間は犬や猫と同じ動物ですから、美味しいものを食べさせてくださる方にはすぐなつくのですな。
この場を借りて改めてお礼申し上げます。

と言っても、感性や生き方に共感できない人とはお付き合いは出来ません。
寒河江さんは、毎回書かれている日記でわかるように正義感がつよく、曲がったことが大嫌い、媚を売るのも大嫌いという性格であります。そして社会の背後をキチンと見ています。
僕はもう少し軟弱ですが、これらは全く僕にも当てはまる性格なのであります。
違うのは僕はO型で、極めてアバウトな所ですかな。

さて映画の話も少々。
今回作ったドキュメンタリー映画「東洋宮武が覗いた時代」は、テレビではないからと、音楽と字幕とインタビューされた人たちの語りだけで説明は極力省き、ナレーションもほとんど無しにしたのですが、日本に持ってきたら、英語の字幕を読むのはしんどいという方たちが多く、結局吹き替え版も作ることにしました。
僕の奥様の榊原るみさんもボランティアの無給でやってくれました。

どうも聞く所によると、現代の観客は字幕を読むのが面倒だそうで、どんどん吹き替えが増えているそうです。
どんどんイージーな人間ばかりになっていっているようです。
また、ヒットする映画はほとんどがテレビ局が作ったテレビの焼き直しのようなもので、荒筋が見る前から分かっていないと嫌だと言われるそうです。
現在はいわゆる単館系といわれるアート映画や独立プロの映画は客がほとんど入らなくなっているそうであります。

「いやはや」な時代は、映画界にも来ているようです。

根がいい加減というか、言われるとすぐその気になる性格ゆえ、協力隊も誘われて行ってしまったし、でも、そのお陰で寒河江さんには人生豊かにしてもらっております。
そういう訳で(?)、4月の日本は美味しいものが食べられそうだし、と今からワクワク期待に胸を膨らましているのであります。


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オレとじゅんちゃんの30年。よく続いたね。お互いがあまり深入りせず、畏敬しあいながら、お互いを気遣いあっての30年だったような気がするね。そして一番大事なことは、媚びずへつらわず、人としての矜持を持ち続けて生きてきたことだと思う。

これからもそうしていこうと思う。あとどのくらい時間があるか?どれくらい逢えるか?そんなことではないはずだ。我が友すずきじゅんいちは、オレのココロの一番大事なところにいつも存在し続ける。

四月、もう清水は花が咲いてるだろう。心ゆくまで盃を傾け、心ゆくまで語り合おうよ?勿論るみちゃんもいっしょに。







  


2009年01月24日 Posted by 臥游山人 at 12:03Comments(0)交遊録

我が友 すずきじゅんいち

じゅんちゃんは今ロサンゼルスに向かう飛行機の中にいるはずだ。今回は慌しい来日だったようで残念ながら会うことが出来なかった。

彼との出会いは30年ほど前になる。それは偶然のなせる業と云ってもいいような出会いだった。

ある時、知り合いの呉服関係者から「ミス着物コンテスト」の審査員を紹介してくれないかと頼まれた。オレは即座に、その頃親しくさせていただいていたNHKの山川静夫さんを紹介し、直接電話でお願いしたら快諾を得た。山川さんからは「村松友視も連れて行くよ」ということになり、豪華な審査員が決まった。

それが関係者のつまらないミスでキャンセルになってしまった。そこでオレは急遽友人の新劇俳優に人選を頼み、紹介されたのがすずきじゅんいちだった。当時彼は日活ロマンポルノの監督として数々の作品を世に送り出していた。

ロマンポルノ・・・?オレも一瞬ためらったけど、時間がない。そしてオレも審査員の一人として加わることになった。コンテスト当日、彼を駅まで迎えに行った。オレの想像していたイメージとは全く違う人間がそこにいた。穏やかで品が良くて、おまけに知性的だった。そりゃ~そうだよ、東京大学だもん・・・



   「ミス着物コンテスト」で、右から二人目からオレ、じゅんちゃん

コンテストが終わってから、オレは図々しく「今日家に泊まらない?」と誘ったら、じゅんちゃんもオレを気に入ってくれたのか、「いいですよ」ってな訳で、その晩は出演料使い果たすまで鮨屋で飲んじゃった。その後彼は、我が家に度々泊りがけで遊びに来るようになった。

その頃オレは「東清会」という、オレの東京の友人と、清水の友人を一同に集め、年に一回の宴会を開催していた。これはホテルを一晩借り切って、清水の美味いものと、全国の銘酒を飲みながら、朝方まで語り合おうという壮大なものだった。



   「東清会」で  



    女流映画監督の渋谷昶子さんとじゅんちゃん



          洋画家の中村清治先生

  
 みんなの体操の長野信一さんと故橋本博英画伯




 こんな人も・・・

オレは、中央で活躍してる画家や彫刻家、映画監督などに清水の良さを知ってもらい、清水の友人達には中央の文化の香りを嗅ぎ取ってもらいたかった。 確か9回ぐらいやったと思うけど、じゅんちゃんは勿論皆出席だった。これには数々のエピソードがあるけど、いずれの機会に紹介したい。



    飲みすぎて夢の中

ある日じゅんちゃんから電話がかかってきた。「今沖縄なんですよ。映画撮ってる最中で、天気が悪いんでみんなで飲んでるんですよ」というものだった。その時撮っていた映画が、あの「マリリンに逢いたい」だった。きっと横では安田成美加藤雅也三浦友和も一緒に飲んでいたんだろうね。

それから彼は次々と作品を撮りだした。「砂の上のロビンソン」「ふたりだけのアイランド」「女帝」「スキヤキ」そして「秋桜(コスモス)」という映画を撮っていた時に女優の榊原るみさんと出会い、伴侶とした。その後るみちゃんを主役に「ひとりね」という映画を撮った後、二人でアメリカに渡り、ロサンゼルスに生活の場を移した。

アメリカでも吉川ひなのをヒロインに使い、「ホーンテッド・ハイウエイ(その後デスライドに改題)」という映画を撮り、アメリカでも高い評価を受けた。

そのじゅんちゃんがドキュメント映画を製作した。先の戦争の時にアメリカにいた日系人が、アメリカ国籍を持っていたにも関わらず、強制的に収容所に収容された。その生活を一人の日系カメラマンがフィルムに収めていた。「宮武東洋の覗いた時代」という、その映画が日本で4月から公開される。みなさんも是非見てください。

それに合わせてじゅんちゃんも4月に日本に来る。その時はるみちゃんも一緒に我が家に泊まりに来るはずだ。何をご馳走しようかな?じゅんちゃんかなりグルメだからな~~。待ってるよ!!じゅんちゃん。




 「ラブユー東京」「さそり座の女」「夜の銀狐」などの作曲家 中川博之、作詞家の高畠じゅんこ夫妻と



  我が家で鍋を囲むじゅんちゃん夫妻


  


2009年01月23日 Posted by 臥游山人 at 22:04Comments(0)交遊録

おめでた国家

あれほど国民もマスコミも朝青龍をめったぎりにして叩いていたのに、朝青龍が連勝しだしたら、今度は賞賛の嵐だよ。何だ?この変わり身の速さは!!日本はどうしてこんなに言葉も気持ちも軽い国になってしまったのだろうか?

そして昨日から、朝刊も夕刊もオバマ一色だ。テレビではNHKですら実況中継までやっていた。一体オレは、日本に住んでいるのか、アメリカに住んでいるのか、分からなくなってしまいそうだったよ。

確かにアメリカは世界経済に大きな影響力を持っているし、初めての黒人大統領誕生という話題性も分かる。しかし、所詮他国だよ。客観的な報道は当然必要だけど、このお祭り騒ぎはどうしたことだろう。

「オバマ新大統領に期待する」などとおめでた発言があちらこちらから聞こえてくるけど、ブッシュの時はどうだった??同じようなこと言ってたんじゃないかい。誰が大統領になってもアメリカの大統領なのだから、アメリカの国益に沿った政策しかやらないよ。

拉致問題だってそうだったでしょ。結局はブッシュの最後の点数稼ぎ政策の犠牲にされて、いつの間にか片隅に追いやられてしまったじゃないか。拉致された日本人が、すぐ隣の国で生きているのが分かっているのに連れ戻すことも出来ない。日本の政府が日本の国民すら救えない。政府が無力だから、業を煮やした被害者家族がアメリカのブッシュに直訴した。横田さん達はそこまで追い込まれたんだよ。日本国民としてこんなに恥ずかしくて悔しいことはない。

日本は何でもアメリカ様様だ。だから牛肉問題などでもつけ込まれる。日本の牛肉は輸入禁止してるくせに、アメリカの肉は買えと迫ってくる。こんなおかしな話はないと思うよ。まぁ、その裏には独立行政法人、「農畜産業振興機構」が大きく口を開けて控えてるんだけどね。

アメリカ信者のコイズミとヘーゾーはなんでもアメリカ様の言う通り、言われるままに規制緩和してしまった。その結果日本はどうなった??食料自給率がみるみる下がり、今回の派遣労働者切りにも深く影響を及ばしているんじゃないか。

そういえば日本のどこかの市が、大統領の名前と発音が一緒といってバカ騒ぎしてたね。こんなのオレはアホの極みだと思うよ。一体何が目出度いんだい?自分達のほうがよっぽどお目出度いよ。こんなことをしてる限り、日本はいつまで経ってもアメリカに見下され続け、対等のパートナーシップは得られないだろう。

今年から始まる裁判員制度だってそうだ。マスコミや、一部の法律関係者の取り上げ方は、余りにも国民をバカにしてないかい。まるで日本国民は幼稚園児並みの判断力しかないような扱いだ。我が「おめでた国民」の中には、そうだ、そうだと相槌を打つ者までいる。

国民よ、そろそろ「舐めるんじゃないよ」と、怒ろうゼ。大事な家族と国は、自分達で守る!!こんな普通のことを普通に言える国にしようよ。いつまで経っても「おめでた国民」してたら、素晴らしい国日本を、可愛い子供達に引き継ぐことができなくなるよ。



  


2009年01月22日 Posted by 臥游山人 at 17:44Comments(0)日々雑感

ウルトラマンとパンツ

昭和45年から昭和47年までの二年間、オレは東アフリカ、タンザニアの首都であるダルエスサラームに住んでいた。21歳から23歳までのまさに青春真っ盛りの頃だった。実は好きで行った訳でもない。オレの親父が青年海外協力隊の創設者だったので、半ば強制的に行かされたのだが、今では、何物にも変えられない貴重な二年間だったと、死んだ親父に感謝している。




当時のアフリカは植民地支配から解放され、独立機運がアフリカ中で高まり、アフリカナイゼーションの真っ只中だった。そのため政治テロがあちらこちらで勃発し、危険性も高かった。でもオレも若かった。90ccのポンポン乗り回し、お構いなしで夜遊びばかりしてたナ~~。オレが通った橋が10分後に爆破されたり、10人位の人相の悪い奴に取り囲まれたり、今考えるとよく生きて帰れたもんだよ。




ある時、協力隊の現地事務所にいたら、数人の日本人が血相変えて飛び込んできた。何かの撮影隊のようだった。事情を聞いたら、メインストリートに車を止めてレストランで食事をし、車に戻ったら車の中がスッカラカンになっていたという。

被害届を出すために警察に案内し、オレが通訳をした。着替えも何も全部なくなったらしい。可哀想になったのでオレの新品のパンツを全員にあげた。それから何日か事務所の庭にテントを張っていたが、いつの間にかいなくなった。

その中にひときわ目立つハンサムな男がいた。「ウルトラマンの黒部です」と挨拶されたけど、オレには何のことか分からなかった。彼が初代ウルトラマンのハヤタ隊員こと黒部進さんと分かったのは日本に帰国してからだった。黒部さんは、その後アフリカを度々訪れるほどアフリカに魅了されたらしい。

こんなことを一昨日、元円谷プロのチーフプロデューサー、鈴木清さんに飲みながら話したら、「後日御礼がありましたか?」と聞かれた。「いや、何も」と言ったら「そりゃ~けしからん、帰ったら黒部に電話しますよ」と言うので「40年も前のことだし、たかがパンツ一丁のことですから」と丁重にお断りした。

しかし世の中はホントに不思議だ。あの時のウルトラマンとの小さな出会いが、40年近くたってこのような大きな実になって結実するとは。いや、まだ結実したわけではあるまい。鈴木さんとの付き合いは始まったばかりだ。

さあ、この先どうなるウルトラマン!!もひとつどっこいアンパンマン!!



  


2009年01月20日 Posted by 臥游山人 at 20:02Comments(0)交遊録

ウルトラマンからアンパンマンへ

昨日から鈴木清さんが遊びに来て、一泊して今朝帰って行った。鈴木清といえばウルトラマン、ウルトラマンといえば鈴木清と云われるほど、ウルトラマン一筋の人生を送ってきた人で、ウルトラマンマニアなら知らない人はいないといわれるほど有名な人なんだよね。

鈴木さんをオレに紹介してくれたのは、映画監督のすずきじゅんいち、女優の榊原るみ夫妻だった。じゅんちゃん夫妻は8年程前からロサンゼルスに住んでいるけど、じゅんちゃんとオレとはもう三十年近い付き合いになる。去年の春帰国した際にるみちゃんと清水に遊びに来たんだけど、その時鈴木清さんも一緒だった。



   イチゴ狩り じゅんちゃん、るみちゃん、鈴木清さん

るみちゃんは寅さんの7代目マドンナとして有名だけど、ウルトラマンシリーズにも出てたんだよね。それで去年鈴木清さんがチーフプロデューサーとして制作した「大決戦 超ウルトラ8兄弟」に出演するために帰国したので、時間を見つけて清水遊びにに来たのだった。



   すんぷ夢ひろばで、るみちゃん、オレ、じゅんちゃん

その鈴木清さんが去年の暮れに円谷プロを退社した。何があったのか多くを語らないが、あれほどウルトラマンを愛した鈴木さんが決別を決意したのだから、余程のことがあったのだろう。いずれ真相は明らかになると思う。

久しぶりに会った鈴木さんの顔は、何か晴れ晴れとしていた。実は鈴木さん、今月から横浜にある「アンパンマンミュージアム」に請われてオブザーバーとして参加しているらしい。清水に来たのは、今まだ内容は明かせないが、オレと何かコラボできないかという相談だった。



   創作に没頭する鈴木清さん




鈴木さんと一緒に何か楽しいことをやれるんだったら、勿論オレに異論があるはずがない。色々と打ち合わせをして大体の形が見えてきたので、今日の仕事は終わり。アメリカのじゅんちゃんに報告のメールをしたら、なんと今日本に帰国中らしくて、すぐじゅんちゃんから電話がかかってきた。

じゅんちゃんは、今年日米同時公開される日米合作ドキュメンタリー「東洋宮武の覗いた時代」という自分の映画のプロモーションのために緊急帰国し、23日にはアメリカに戻るらしい。「じゃぁ今回は会えないね」ということで電話を切った。

それじゃぁ鍋でも囲んで一杯やりますかってんで、早速お片づけ。残念ながら海の状態が良くなく、お目当ての金目鯛が手に入らなかったので、ホウボウとアブラボウズの鍋にした。酒は色々あるぞ。




鍋がグズグズしたところで、まずはビールで乾杯!ささやかな宴のスタートだ。思い出した!!きくちゃんを呼ぼう、早速電話して誘ったら、ご主人と一緒に来るという。さぁ!にぎやかになるぞ~。




熟年ばかりが集まって、久しぶりに熱い会話で盛り上がった。秘蔵の日本酒もカラにした(マチコちゃんゴメン!!)アイスワインを飲み、最後はブランディーで〆た。気がついたら夜中の一時半だった。

朝は、きくちゃんのご主人手作りの「ちりめん山椒」と鯵の開きで朝食。二日酔いもなし、すこぶる快調だ。十時に鈴木さんが帰られたので、それから日課の散歩。結構風は強かったが、上着を脱ぐほど暖かい。富士山が今日もでんと気高く聳えていた。




 鈴木さんが持ってきてくれたウルトラマンのゴルフボールとDVD集 



   


2009年01月19日 Posted by 臥游山人 at 14:25Comments(0)交遊録

日本漂流

それにしてもアソーソーリは一体日本をどこに導こうとしてるのだろうか?定額給付金問題ひとつとっても、歩み寄りがなく、国民の懐勘定を弄ぶように自民、民主両党が我田引水の主張ばかりしている。その結果、アソーさんの冷たい対応ばかりが目についてきた。アソーさんには独裁者の本音が見え隠れしてきたようでイヤ~な雰囲気だ。

今やアソーソーリの政治家としての、いや人間として資質が問われている。漢字の読み間違いにしても、素直に「間違いました」と謝ればいいものを、「単なる勘違いだ」と開き直る様は見苦しかった。裕福な家庭に生まれ育ち、30代で青年会議所の会頭におだて上げられれば、人に頭を下げることも、所謂、雑巾がけという人間教育もなされずにここまで来たんだろうね。

だからちょっと間違いを指摘されると、それを認めないばかりか更に態度を硬化させ、自説を押し通そうとする。周りにゴマスリの茶坊主を配置し、直言する者を遠ざけてしまった。今回の渡辺元行革相の件にしてもそうだ。国民の大半がその内容に賛成しているにも関わらず、質問書を受け取りもしなかった。ここら辺にもアソーさんの人間としての器の小ささを感じるのはオレだけだろうか?

又、官僚はうまく使うものだと豪語しているようだが、面従腹背の官僚にうまく利用され、いいように操縦されてるなんてこれっぽっちも思ってないんだろうね。「渡り」の問題がいい例だね。官僚の都合のいいように文言を書き換えられたことに気づこうともしない。政治家としてのセンスも問われると思うよ。

しかし、民主党にも困ったもんだ。日本が未曾有の危機に陥っているというのに、政局闘争に明け暮れている。このままいけば、自民党は柿の実が腐って木から落ちるように自滅するのだから、解散、解散などと言わないで、今こそ国民のため真摯に国政に打ち込むべきだよ。そして、なによりもまず自党内で政治改革を図るべきだね。西松建設の不正献金でも名前が取りざたされているような胡散臭い人には早くお引取り頂いて、一刻も早く清潔なメンバーに執行部を入れ替えるべきだ。

そうしないと、若し政権交代が実現したとしても、野に下った自民党は必死にスキャンダルを探し出し、攻撃を開始するはずだ。イチローさんとその周辺にはきな臭い香りがプンプンする。国民を置き去りにして壮絶なスキャンダル合戦が始まるかもしれない。今でも永田町には怨念が漂い、オドロオドロシイ感情が渦巻いているといわれる。そうなれば政権は長く続かないだろう。

悲しいことに今、日本の操縦を任せる政治家が見当たらない。日本はどこに漂流して行くのだろうか?



  


2009年01月17日 Posted by 臥游山人 at 16:25Comments(0)日々雑感

住田弁護士講演会に行ってみませんか?

日本銀行静岡支店長の武藤さんより電話があった。「ちょっとお願いしたいことがあるのですが・・・」と言うので「金はないよ」と言おうとしてやめた。内容は、人気番組「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演している住田裕子弁護士による講演会があるので、是非ヤングカレッジの若者にも来て欲しいというものだった。

いいですよと言ったら、早速営業課長と担当の女性職員がチラシを持って家まで来てくれた。内容を良く見たら、開催日が1月29日の午後3時からになっている。これじゃぁ仕事をしている若者は参加できないね。

そこで、皆さんどうですか?入場料も無料ですよ。時間のある方は是非出掛けてみてください。




『気をつけよう!金融トラブル』

講師: 住田裕子(弁護士)

日時: 平成21年1月29日(木) 15:00~16:30 (開場14:30)

開場: 清水テルサ 「テルサホール」
      静岡市清水区島崎町223

定員: 500名(申込先着順)

入場料: 無料

主催: 静岡県金融広報委員会・静岡県

後援: 金融広報中央委員会

申込方法

ハガキ、FAXのいずれか

あて先:〒420-8720
     静岡市葵区金座町26-1 日本銀行静岡支店内
     静岡県金融広報委員会事務局

     FAX 054-275-0001

①氏名 ②郵便番号 ③住所 ④電話番号 ⑤参加人数  
⑥NPO法人ヤングカレッジ
と書いて送ってください。

尚、不明な点があったら下記に問い合わせてください。

静岡県金融広報委員会  
  TEL 054-273-4112  FAX 054-275-0001
     
  


2009年01月16日 Posted by 臥游山人 at 12:24Comments(0)NPO法人ヤングカレッジ

じじぃ公害

今日も朝から快晴で、気持ちよく散歩に出掛けた。毎日一時間ほど早足で歩いているんだけど、もう15年になるかな。これだけ歩いててちっとも痩せないんだから、若し歩いてなかったらどれだけ太ってたんだろう?考えただけでもゾっとするね。

オレにとっては歩いてる時間が思索の時間だ。だからいつもうつむき加減で歩いてる。それにオレは、根が真面目(?)で几帳面(?)ときてるから必ず道路の右側を、それも端っこを歩くことにしてるんだ。

それが今朝、いつものコース船越公園の階段の横のスロープを登っていったら、突然人とぶつかった。見たら犬を連れた70くらいのじいさんだった。ごめんなさいくらい言うのかなと思ったら「何だ、このやろう」だってさ。

オレも「あなたは日本の道路規則を知ってますか?歩行者は右側通行でしょう。学校で習いませんでしたか?」と言ってあげた。いや、もう少し強い口調だったかな??そうしたら「そんなの関係ネー」と、どこかで聞いたような言葉が返ってきた。関係ネーと言われたら会話が続かない。オレも言葉を失って、ちょっと強めに睨んであげたらプイと視線を外して歩き出した。

バカらしくなってオレも歩き出したが、気になってもう一度見てみたら、まだこちらを見ながらブツブツ言ってる。「何かまだ言いたいことがあるんですか?」と、(もうちょっと強めに言ったかな?)言ったら姿が見えなくなった。

最近すぐ切れるじじぃが多くなってるそうだ。そういえば、公園内に自転車で乗り込んだり、犬を放したり、タバコの吸殻をポイポイ捨ててるのもじじぃが多いな。

確かにこの世代が今の日本の繁栄を築いてきたのも事実だ。しかし、経済復興、高度成長の代償に、失った物も多い。日本人の誇り、高度な公共心、精神性のようなものがどれだけ失われたのだろうか?このじさまたちは、エコノミック・アニマルと世界から嘲笑され続けても、余計なことは考えず、ただただひたすら働き続けてきた。そして・・・定年を迎え、会社という社会から地域社会にほっぽり出される。

片やばあさんたちは習い事や趣味を広げ、コミュニティを作り、老後を豊かに楽しくするために余念が無い。昔と違って今のじじぃは定年を迎えても体力も気力も残ってる。でもその使い方を知らないんだよ。だからやることが無くて家の中でゴロゴロし、ばあさんに疎んじられて仕方なく公園に来て、じいさん共が集まって、朝から大きな声でじじぃ放談だ。

知恵も体力もあるんだから、ボランティアをするとか何か社会貢献することを考えればいいのに何にもしない。何で日本のじじぃはこんなに社会性が無いんだろう。

あと十年もすれば、オレ達団塊の世代がじじぃの中心となり、日本がじじぃだらけになる。このままでは加齢臭を撒き散らしながら、社会性も、公共心も、正義感もないじじぃ共が日本中を席巻するぞ。そして「じじぃ公害」が社会問題になるかも知れない。そうなったら怖いゾ~~。
  


2009年01月15日 Posted by 臥游山人 at 22:47Comments(0)日々雑感

青空うれし師匠

うれし師匠を紹介してくれたのは、江戸芸カッポレ家元の二代目櫻川ぴん助だった。今から20数年前になるかな。うれし師匠はコロッムビアトップの弟子で、そのトップ師匠を可愛がって自分の家に居候させていたのが初代の櫻川ぴん助、つまり当代のお父さんだったのだ。当然うれし師匠も先代のぴん助師匠に大分お世話になったようだ。



そのうれし師匠が仲間を連れてハワイに行くというので、オレとカミさんも仲間に入れてもらった。それが縁でそれから何回も海外旅行をご一緒した。このうれし師匠が大の買い物好きで、行く先々で買いまくる。骨董や雑貨も好きだけど、特に野球グッズに目がない。

ある時、野球を観戦するためにアナハイムに向かっているとき、道路横で「スワップ・ミート」をやっているのを見つけてしまった。さあ、野球も見たいし、市にも行きたい。師匠、ソワソワムズムズ落ち着かない。試合が7回まで進んでエンジェルスが3対0で負けている。師匠ここで敢然と立ち上がり、「もう試合は決まりだから、出るよ!」と言ってブツブツいう仲間を無理やり立たせて球場を後にした。

勿論狙いは「スワップ・ミート」での買い物だ。師匠がせわしなく買い物をしてる時、球場の方から花火の音が聞こえてきた。それが四発も続いた。エンジェルスの選手がホームランを打つと花火を打ち上げるのだ。その試合は、ホームランを連発したエンジェルスが、逆転サヨナラホームランで勝ったという、滅多にないエキサイティングな試合だったんだよね。いつもこんな面白事件満載で、うれし一行の旅行が続く・・・それは又の機会に・・・



  サンフランシスコのレストラン「ローリーズ」で

うれし師匠は年に一回、目白の「椿山荘」でディナーショーを開く。殆ど師匠の顔なじみが集まるんだけど、多いときで500人近くなる。芸能界、演芸界、歌謡界、スポーツ界、師匠の交遊は驚くほど広い。去年は、11月14日に「芸能生活55周年記念」と銘打ってディナーショーが開催された。

オレはカミさんと二人で参加した。会場に着くと、懐かしい顔が一杯いる。司会は美川憲一の専属司会をしているナナオ君が担当、売り出し中の宮田陽・昇がアシスタントとしてキビキビと動きまわっている。この会は色々なゲストが舞台に上がり、持ち芸を披露してくれるのも楽しいが、抽選も豪華だ。師匠の知り合いから色々な物を提供してもらうので、お宝が結構あるんだよね。



  土橋正幸さんも北海道でのマスターズリーグを抜け出して駆けつけた



  怪童尾崎行雄さんと。尾崎さんは師匠の草野球チームでピッチャーをやってる



  稲川淳二さんは以前師匠のプロダクションに所属していた



  駒澤大学の後輩中畑清さんは、うれし親分のパーティは皆出席で
  毎回歌いまくって帰る




  忙しい中、ケーシー高峰さんも駆けつけた、右は宮田昇



  青山和子さんは勿論「愛と死をみつめて」を歌ってくれた



   「ここに幸あり」を歌う大津美子さん 



  東京ボーイズも師匠の草野球チームに所属している

オレは阪神の藤川のサインボール、カミさんは石毛のサイン入りグローブが当たった。そしてみんなに漏れなく師匠の近著『「芸人」爆笑パラダイス』が配られディナーショーはお開きになった。この本は師匠の芸能生活55年が凝縮されてるので、是非皆さん読んでください。結構シモネタあるけど面白いよ。あとがきで師匠がこう書いてる。



   笑味機嫌 「芸人」爆笑パラダイス

「国会図書館に行っても無い、ある意味貴重な本なんだと、バカは馬鹿なりに自負しているのである。とにかく拙著にお付き合い下さった皆様のご健勝とご多幸を祈念して、またこの本を手にしない方々の不幸を祈りながらお別れしたいと思います。御機嫌よう、サヨーナラ!」

師匠!まだまだサヨナラしないよ。枯れるどころか70を過ぎて益々パワーを増してきた気がするよ。今年も石毛さんと清水に来てもらうからね。お寿司でも食べながらゆっくり話をしようよ。




  去年の9月に「末廣鮨」で親方と一緒に




  


2009年01月13日 Posted by 臥游山人 at 15:42Comments(0)交遊録

春日三球師匠

「地下鉄はどこから入ったんだろうね?それを考えると夜も眠れない」というフレーズで瞬く間に日本中の人気者になった春日三球・照代という漫才コンビを憶えてる人は多いと思う。残念ながら照代さんが若くして亡くなられたが、三球さんはまだまだ健在だ。

オレと三球師匠との出会いは20年程前になるだろうか。青空うれし師匠が主催したハワイ旅行で知り合った。三球師匠とうれし師匠は無二の親友で、お互いが影のように寄り添っている。年齢的には三球師匠が上で、やんちゃ坊主のうれし師匠を、目を細めて見守る兄貴のような二人の関係は見ていてもほのぼのとするね。

この三球師匠、風貌からして気の長い穏やかな性格だと思われがちだが、それがとんでもない。瞬間湯沸しのようなオレよりも気が短いことを、このハワイ旅行で発見した。

みんなでゴルフに出掛けたのだが、同行したガイドの態度が不遜で不愉快だった。オレは我慢の限界がきて、こりゃオレが言うしかないと思い声を出しかけたら、オレより大きい声で怒鳴りつけた人がいた。三球師匠だった。オレはすっかり三球師匠が好きになり、意気投合してしまった。それから師匠とは何回も海外旅行をご一緒した。



  左からチャンス青木、三球師匠、なべかずお(ビッグボーイズ)、一文字辰也、
  伏見知か志、オレ、



  リムジンに乗ってご機嫌な三球師匠



  チャンス青木さん、三球師匠と



  なべかずお、一人置いてオレ、三球師匠

又、当時オレは船橋の「ららぽーとそごう百貨店」の画廊で毎年のように個展をやっていたのだが、何回目かの個展の初日にひょっこり顔を出してくれた。隣のホテルで知り合いの結婚式があり、来賓で呼ばれたのだそうだ。そして「先生、これ!」と言って白い封筒を差し出した。見ると結構な金額が入っている。「金持ちいたからね、作品買ってよって言ったらくれたんだよ。これで適当にみつくろって」だってさ。

ある時三球師匠が、「なんでうれしさんにだけあげて俺にくんないの」とすねた時があった。それはうれし夫妻が清水の我が家に遊びに来た時に、「お二人で健康のためにお抹茶をのんでください」と言って抹茶茶わんを差し上げたことがある。その経緯をうれし師匠が「墓をたずねて三千キロ」という自分の著書に書いたもんだからそれを見たらしい。

早速三球師匠にも抹茶茶わんを差し上げてご機嫌を直してもらったのは言うまでもない。暫らく経って師匠から電話があった。「この前の御礼にご夫婦を初島に招待するよ」というものだった。「そんなつもりで差し上げたわけでないので、結構ですよ」と、一応ことわったのだけど、「まあ、まあ、そういわずに」といってくれるので甘えることにした。それに財界、いや才界一の富豪だしね。熱海の港で待ち合わせをして、「XIV初島クラブ」に泊まり、カラオケなどで楽しい時間を過ごした。三球師匠がぐっと身近になった。



  初島のホテルで三球師匠と

その後、オレんちにも泊まってもらったり、楽しい交遊を続けているが、昨年文字通り世界は狭いなという出来事があった。清水の末廣鮨の若親方から電話があり、「さっき親父から電話があって、三球さんとバッタリ会って、先生の話で盛り上がったからそれを伝えてくれと言われました」との事だった。親方は「飛鳥」に乗って世界一周の船旅の途中で、イギリス近辺にいると聞いていた。どういうこと?と聞いてみると、三球師匠が短期乗船でイギリスから乗り込んできたらしい。どうせロクなことは言われてないと思うけどね・・・



  うれし師匠のパーティで、一緒にアメリカ旅行した歌手の三島敏夫さんと再会

今年五月には「ヤングカレッジ」恒例の老人ホームの慰問がある。三球師匠に出演をお願いしたら快諾してくれた。末廣の親方にも毎年協力して美味しい寿司を提供してもらっている。師匠、ウチに泊まる時間があるかな?安い謝金で来てもらうんだから、夜は末廣鮨に案内しようかな。そしたらその時、船の中で何の話をしたか聞いちゃおう。





  


2009年01月12日 Posted by 臥游山人 at 17:43Comments(0)交遊録

前田隣師匠

前田隣って知ってる?・・・じゃぁ「ナンセンストリオ」と言ったら、知ってる人がいるかもしれないね。「親亀の背中に子亀をのせて~~♪」や、紅白の小旗を持って「赤上げて、白下げて」などで一世を風靡したあの「ナンセンストリオ」で、ひげを生やしてすらっと背の高い、そう!あの人が何を隠そう前田隣なんですよ。マイダーリンをもじって付けた芸名で、親しみを込めてみんなからダーリンさんと呼ばれている。



コロムビアトップ・ライトの門下で「青空あれや・これや」で漫才をやっていたが、昭和39年に「ナンセンストリオ」を結成した。すると、たちまち売れっ子になり、テレビに登場しない日はないほどだったが、その後解散し、ピンで寄席を中心に活動を続けてきた。

10年ほど前に肝臓がんが見つかり、余命宣告もされながら、浅草を中心に舞台に立ち続け、その生き方が若手芸人から尊敬され、今や生きたレジェンドになっている。若手だけではなく、立川談志やビートたけしなどからも一目置かれる存在である。




奥さんはノリローさん(ミクシーネーム)と云って、これが30歳も年が離れている。プロの音楽家で、大学で教えたり、「平田紀子のちょっと嬉しい伴奏が弾きたい」という本も著している才媛だ。

オレもダーリン師匠の生き様に何か惹かれるものがあって、時々師匠のブログを覗いたりしていたのだが、ある時さがみ三太師匠と飲んでいて、「ダーリンさんっていいよね。」って三太師匠に話題を振ってみた。「オレの昔からの仲間だよ。若い時はお互いハチャメチャ生きてきたな~」

何か遠くを見るように宙に目を泳がせ、暫し感慨に耽っているようだったが、思い出したように携帯のボタンを押しだした。誰かと簡単な会話を交わしていたが、ホイとオレに電話を差し出し、「話してみろ」と言う。

「もしもし、前田ですが・・・」そんなムチャな・・・相手はダーリン師匠だった。いきなりだったので慌ててしまったが、色々な話をしてマイミクになる約束をして電話を切った。三太師匠は油断も隙もありゃしない。牧伸二師匠や、内海桂子師匠の時もそうだったが、オレがちょっと「こんな企画があるんだけど・・・」と切り出すと、もうその場で電話して即決で話を決めてくれる。ホントにすごい人だと思うよ。

ダーリン師匠とは、浅草東洋館で師匠がライブをやった時にお会いした。オレは客席から見るだけで帰るつもりだったけど、ビックボーイズのなべかずおが「楽屋で師匠にあってくださいよ」と言うので楽屋に挨拶に行った。

その時ダーリン師匠の言った言葉が今でも忘れられないね。「あなたとは初めて会った気がしませんね」わざわざ静岡から駆けつけてホントに良かったと、その時心から思ったよ。




そのダーリン師匠が昨年の3月に突然倒れた。がんではなく、脳梗塞だった。前日まで元気にミクシーの日記を書いていたのに・・・

すぐにでも見舞いに行きたかったが、奥さんのノリローさんのミクシー日記で、大分回復してきたことを知り、さがみ三太師匠と二人で築地の癌センターに見舞いに出掛けたのは6月に入っていた。

ダーリン師匠は大きな体を病院のベッドに横たえていた。最初は不思議そうにオレ達二人を見ていたが、すぐニコニコとやさしい笑顔になった。ノリローさんが甲斐甲斐しく世話をしていたが、まるで慈母を見るように頼りきった目をチラチラと彼女に注いでいた。入れ歯を外しているので、舞台で見る舌鋒鋭い毒舌家の面影はなく、好々爺そのものだった。オレはこの顔もいいなと思った。

ダーリン師匠はその後も一進一退を繰り返し、一時は自宅に戻られたが、今また病院におられるようだ。言葉も大分回復されたと聞いている。熱狂的なファンや仲間が、一日も早い師匠の復帰を今か今かと待ち望んでいる。オレもその中の一人だ。

師匠!世の中益々おかしくなってきてるよ。師匠の出番でっせ。舞台から、あの誰も真似のできない痛快な毒を飛ばしてくださいよ。ネタは一杯ありますよ。ネタ(苦しいっ)ないで早く起き上がってくださいよ。



  


2009年01月11日 Posted by 臥游山人 at 16:06Comments(0)交遊録

さがみ三太師匠

オレはどういう訳か演芸界に仲良しが多い。伝説の番組「ウイークエンダー」に10年間レギュラー出演していた青空うれし、地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球、浪曲漫談のさがみ三太などの大家から、声帯模写の鯉川のぼる、漫談のチャンス青木、漫才のビッグボーイズなど、実に顔ぶれ豊か。

うれし師匠には、昨年野球の石毛宏典氏と二人で清水に講演に来てもらったし、三球師匠も今年5月に清水に来てもらうことになってる。お二人とはロスやハワイに何回もご一緒した。



  三球師匠と、右は二代目コロムビア・ローズさん

そして、さがみ三太師匠とはロスアンゼルス、ラスベガス旅行で一気に仲良くなった。殆ど芸人さんばかりの旅行にオレも参加させてもらったんだけど、十日間ほどの旅行ですっかり打ち解けて、何故か、帰りの成田から師匠の住む市川に拉致(?)され、酔いつぶれるほど二人で痛飲した。



    ドジャース球場で三太師匠と

縁というのは不思議なもので、数年後、三太師匠が「すんぷ夢広場」の演芸場の座長として静岡に移ってきた。それからというものオレと師匠は時間を見つけては飲み歩いたもんだよ。師匠はオレが頼んだことには無条件で協力してくれた。年に一回行うヤングカレッジの老人ホームの慰問にはノーギャラで出演してくれた。いや、持ち出しの時もあったと思う。



  「キャリコ」で三太師匠と

こんな田舎のNPOの慰問に牧伸二師匠や、内海桂子師匠も破格のギャラで駆けつけてくれた。みんな三太師匠が段取りしてくれた。その他、保育園や公民館で子供との触れ合いにも無料で出演してくれた。

師匠も、昔からボランティアとして、いろんな施設で慰問をしてきているので、オレの気持ちを全て汲んでくれる。甘えついでにオレは「師匠、今静岡は元気がなくなっているので、活性化に協力してくんない?」と頼んだら、二つ返事で「あんたがやるんだったら120パーセント協力するよ」と言ってくれた。

そこでオレは、何人かの影響力のあろうと思われる人に「師匠が協力するといってるので何か一緒にやりませんか?」と声を掛けてみた。オレの言ってることが理解できないのか、用心してるのか知らないが、結果は何の反応もなしだった。活性化、活性化と言っていながら、これが実態なんだよね。前向きな姿勢も意欲も感じられない。商店街がシャッター通りになるのも分かるような気がしたもんだよ。



  釣りにも一緒に行った

昨年の9月に師匠は活動の場所を元の浅草に戻した。つまり清水は、大きな宝物をみすみす逃してしまったことに今でも気付いていないんだろうと思う。



  家族で送別会をやった

三太師匠とは一昨日電話で話をした。近々、四国方面にさすらいの旅に出掛けるんで、そのついでに寄るよとのことだった。師匠結構ロマンチストで、老後は(今でも充分老後だと思うけど)小島でひっそりと暮らしたいんだそうだ。でもオカミサンが承知しないんでその夢は実現しそうにないけどね。

いつものことだから、突然ひょっこりと現れるんだろう。そしてオレも普段のままで師匠を迎えるだろう。我がオンボロ家に泊まるだろうから、師匠とゆっくりと酒を飲んで語りつくしたいな。でも最近二人ともめっきり酒量が落ちたからな~~。


  


2009年01月09日 Posted by 臥游山人 at 22:11Comments(1)交遊録

卑しい国

仕事をしながら国会中継を聞いていたんだけど、定額給付金で、アソーさんボッコボコにやられていたね。受けとると言えば自分がさもしい人間になるし、受け取らないと言えば公明党に怒られる。自分で蒔いた種とは云え、何とも無様だったね。

定額給付金に、国民の80%近くが反対し、でも給付されたらやっぱり80%を超える国民が受け取るという。それを民主と自民が都合の良い方を盾にとって言い争ってる様は、まるでマンガのようだ。

でも、国民も国民だよ。今日本の政治が変わろうとしている大事な時じゃないか。給付金に反対なら、矜持を持って「くれると言われてもいらない!」と突っぱねればいいんだよ。日本人は昔から「武士は食わねど高楊枝」というプライドを持っていたはずだ。「それを制度は反対だけど、くれるというんなら貰っちゃおうか」なんて、いつからこんなさもしい国民になっちゃったんだろう。

又、給付金が配布されたら、マネーロンダリングされて某宗教団体に吸い上げられるのではないか、という声もあちらこちらから聞こえてくるし、オレの知り合いの行政関係者も「こんなの丸投げされたらたまらん」と、戦々恐々していたよ。公平に配布するのは不可能だし、必ず抗議が来る。それに年寄りを狙った詐欺が横行するだろうと言っていた。

日本がどんどん卑しい国になっていく・・・
  


2009年01月08日 Posted by 臥游山人 at 23:34Comments(0)日々雑感

コイズミ&ヘーゾーの遺したモノ

先日何かの番組でヘーゾーさんの顔を久しぶりに見た。途中からだったので前後の経緯は分からなかったが、頬を膨らませてしきりに怒っていた。「皆さん私を責めますけど、お金を儲けて何が悪いのですか?儲ける人には大いに儲けてもらったらいいじゃないですか!そして貧乏な人を救う方法を考えればいいんですよ」と、こんな内容だったと思う。

一見まともな言い分だと思うんだけど、ヘーゾーさんは世界の富がいつまでも右肩上がりで膨らんでいくと思ってるらしい。世の中、パイの大きさがあるのだから、儲ける人が儲け続ければ、その分貧乏な人が益々増えていくということに気がつかないようだ。

アメリカのサブプライムローンを見れば一目瞭然だろう。いつまでも土地の値段が上がり続ける訳がないのに、金を貸し続け、それを商品化して売るだけ売って最後のババを弱者に押し付ける。この度の派遣社員切りだってそうだ。あれだけ我が世の春を謳歌していた車会社が、情け容赦なく派遣社員を突き放した。

儲かっていた時にたっぷり社内留保しているくせに、その金には手をつけず、あんなに貢献してくれた派遣社員を片っ端から解雇していく。日本の社会はこんなに義理も人情もなくなったのか?

コイズミさんがあれだけ「自民党をぶっ潰す」「規制緩和」「官僚機構改革」などと勇ましく吠えまくっていた結果がこの有様なのか?

マスコミも一緒になって、市場原理主義だの自己責任だのと煽るから、一気に拝金主義が蔓延し、一部のヒルズ族のような泡まみれ人間が産み出され、「儲けた金を何に使おうが俺の勝手だ」とばかりにその豪遊振りを自慢する。それをマスコミは勝ち組だセレブだと持ち上げ、くだらない覗き番組を量産した。

コイズミさんやヘーゾーさんも大事なことを忘れていた。儲けた人の教育こそ必要だったんだよ。儲ければ儲けるほど影で苦しんでいる人がいる。フィランソロピーというのか、メセナというのか、「皆さんのお陰でこんなに儲けさせてもらいました」と、社会貢献できる体制をしっかり作るべきだったのに何もしなかった。

これがコイズミとヘーゾーの遺したものじゃないか?現にコイズミさんは、代々独占してきた既得権を引き続き一族で独占するためなのか、倅を跡継ぎにしようとしている。「息子を跡継ぎにして何が悪い!」と開き直り、何の後ろめたさも感じてないらしい。これが日本中をブームにした、所謂コイズミの正体なんだよね。

そのコイズミとヘーゾーを裏で操ったアメリカだって、凋落と自己欺瞞の崖を転げ落ちようとしている。武力と冷戦構造を利用して世界の盟主を任じていたが、今や裸の王様状態だ。いずれアジア、ヨーロッパが更に発言力を持ち、新たな冷戦構造が生まれるかも知れない。ガザ問題でのイスラエル擁護がその引き金になるかも知れないよ。

いずれにしても日本は、色々な意味でガラガラポンの時期に来てるのかも知れない。
  


2009年01月06日 Posted by 臥游山人 at 22:19Comments(0)日々雑感

富士山

今日も普通に起きて、普通に散歩して、普通に食事をして、

普通の一日が過ぎてゆく。

そしてそんな世俗の営みを、富士山は黙って

見守っていてくれる。



日本人の心のシンボル富士山は、いまだに世界遺産に

登録されていない。

白砂青松の地だった三保半島も、商業主義で

すっかり蓋いつくされ、

鉄骨やコンクリートで呼吸も出来ず喘いでいる。



それでも富士山は愚かなオレ達をじっと見下ろしてる。



  


2009年01月02日 Posted by 臥游山人 at 23:17Comments(0)日々雑感

鈍牛のごとく

明けましておめでとうございます






さぁ2009年がスタートした。そしてオレは年男。

ことしの目標・・・は特になし。

カミさんと二人、楽しく健康に過ごせれば

それだけでいいな。

不器用だから、媚びずへつらわず、

鈍牛のごとくゆっくり生きていこうか。

ただし、牛飲だけは慎まなきゃ。



  


2009年01月01日 Posted by 臥游山人 at 00:10Comments(2)日々雑感