日本国国技「相撲道」

何でも勝てばいいのかい?強けりゃ文句ないの?マスコミも手のひらを返すように提灯記事を垂れ流し始めたね。土俵の外に出た相手を更に突いたり、負けた相手を睨みつけて威圧する。これが国技を標榜する相撲の、それも横綱の姿なのかい?ヒールというのはあくまでもヒーローのアンチテーゼのはずだ。つまり横綱がヒールになってはいけないとオレは思うよ。

相撲を単なる格闘技と言うのなら、税金を投入せずにK-1のように自主運営して、国技なんていう看板をさっさと外したほうがいい。柔道といういい見本があるじゃない。国際化という掛け声の下にオリンピック種目にまでなったけど、あれが本来の日本の柔道なの?おしりを突き出しへっぴり腰で袖をつかみ合い、長い手足で相手を引っ掛けて転ばせるだけだ。見ていて何にも面白くない。

勝負が終われば、勝った相手を称え、負けた相手には労わりの心で接する。これが相撲道の、いや日本の武道の美学じゃなかったのかい?いや、東西を問わず、西洋にだってこの精神はあるんだよ。ラグビーのノーサイドがそうじゃないの?

オレはサッカーという球技に昔から疑問を感じている。いや、サッカーそのものは素晴らしいスポーツだと思うよ。でもテレビで試合を見てると、反則を犯した選手に、解説者やアナウンサーが「今のは仕方ない反則ですね」などと反則を正当化するような発言をよくしている。

確かに2回までは許されている。果敢なプレーが反則と判定されることもある。しかし彼らが言うのは、明らかに反則を承知して犯したプレーに対する発言である。「チームのため」「サポーターのために」そして勝利のためにあえて反則を犯したのだと、その反則行為を賞賛すらしているように聞こえるのだ。

これを「地位や名誉のため」「お金のため」と置き換えてみればいい。今、日本はこんな国に成り下がってしまったのではないか?世間では、いくら努力しても地位もお金も手に入らない人が圧倒的に多いはずだ。それでも自分の身の丈で明るく楽しく生きていける、そんな国を目指さなければいけないのに、ずるをしてでも成功した人を、セレブだ勝ち組だと誉めそやす、日本はそんな品格のない国になろうとしている。

傍若無人に相撲界のしきたりをかき回し、挙句に、強けりゃいいんだろうとばかりに土俵上で、負けた相手に惻隠の気持ちさえ持つこともできない。それでも我が「おめでた国民」はそんな横綱に声援を送り続けて、外人大相撲を盛り上げている。いや~、めでたい、めでたい。実におめでたい。



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2009年01月26日 Posted by臥游山人 at 18:09 │Comments(0)日々雑感

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