チェコ紀行2011 <9月30日>
7:00 起床
8:30 朝食。
実は、このホテルは姪のアキコにネットで予約して貰った。宿泊代が朝食付きで二人分900kcと信じられない安さだった。日本円にして二人で4000円ちょっとだよ。余りの安さに、部屋がひどいんじゃないか、、、食事はどうなんだ、、、と心配したけど、部屋はメゾネットで5人分のベッドがあり、チェコでは珍しくバスタブ付きでお湯もしっかり出た。
正直朝食は期待していなかったのだが、これが驚くほど種類があり、それにデザートのケーキまでついていた。大満足だった。
チェコを安く旅行するコツは、小さな町のホテルを利用して、そこから電車やバスで大きな町を観光する、それに尽きるな~と思ったね。
チェックアウトの時間までもう一度城の庭園を散歩することにした。

右側の塀のところにある小さな入口を入る。

朝の日差しで木々の緑が眩しい。

庭園の方から城を眺める。

城の横をオフジェ川がゆったりと流れている。

ダムで水量を調節している。

城の入口に掲げたあったレリーフ。

城の前庭の噴水。

噴水から「サーラテレーナ」を望む。

「サーラテレーナ」のアーケードの中を闊歩している孔雀。

天井の壁画が一部保存されていた。

11:00 ホテルをチェックアウト。
ホテルに駅までのタクシーを呼んでもらう。ぼられるのでは心配だったが、値段を聞いたら50Kcだという。一寸多めにチップを払って無事に駅に到着した。
11:43 出発。

途中、このような発電所が何箇所か見えた。チェコには原発もあるのだが、これは原発ではなさそうだ。

近代的な建物と古い建物が混在している。

Usti nad Labem 駅に到着。ここからスイッチバックして逆走する。

ラベ川の風景。

遠くにプラハ城が見えてきた。もう直ぐプラハだ。

14:30 7分遅れでプラハ到着。
改築されて明るい雰囲気になったプラハ駅。

15:09 プラハ出発。
コンパートメントに乗ったのだが、たちまち高校生の集団で溢れてしまった。寮生活の学生が週末に帰宅するのだと思うが、いやはや、騒々しいのなんのって、、、
話を聞いていると、時々チェコ語も混ざるけどみんな英語で話している。敢て英語で話しているようだ。国を開いていくということは、こういうことなんだね。若者よ、頑張れ!!
17:00 ハラデツ到着。
明日からハンガリーを訪れる。食事をして、今日は早く寝よう。
8:30 朝食。
実は、このホテルは姪のアキコにネットで予約して貰った。宿泊代が朝食付きで二人分900kcと信じられない安さだった。日本円にして二人で4000円ちょっとだよ。余りの安さに、部屋がひどいんじゃないか、、、食事はどうなんだ、、、と心配したけど、部屋はメゾネットで5人分のベッドがあり、チェコでは珍しくバスタブ付きでお湯もしっかり出た。
正直朝食は期待していなかったのだが、これが驚くほど種類があり、それにデザートのケーキまでついていた。大満足だった。
チェコを安く旅行するコツは、小さな町のホテルを利用して、そこから電車やバスで大きな町を観光する、それに尽きるな~と思ったね。
チェックアウトの時間までもう一度城の庭園を散歩することにした。
右側の塀のところにある小さな入口を入る。
朝の日差しで木々の緑が眩しい。
庭園の方から城を眺める。
城の横をオフジェ川がゆったりと流れている。
ダムで水量を調節している。
城の入口に掲げたあったレリーフ。
城の前庭の噴水。
噴水から「サーラテレーナ」を望む。
「サーラテレーナ」のアーケードの中を闊歩している孔雀。
天井の壁画が一部保存されていた。
11:00 ホテルをチェックアウト。
ホテルに駅までのタクシーを呼んでもらう。ぼられるのでは心配だったが、値段を聞いたら50Kcだという。一寸多めにチップを払って無事に駅に到着した。
11:43 出発。
途中、このような発電所が何箇所か見えた。チェコには原発もあるのだが、これは原発ではなさそうだ。
近代的な建物と古い建物が混在している。
Usti nad Labem 駅に到着。ここからスイッチバックして逆走する。
ラベ川の風景。
遠くにプラハ城が見えてきた。もう直ぐプラハだ。
14:30 7分遅れでプラハ到着。
改築されて明るい雰囲気になったプラハ駅。
15:09 プラハ出発。
コンパートメントに乗ったのだが、たちまち高校生の集団で溢れてしまった。寮生活の学生が週末に帰宅するのだと思うが、いやはや、騒々しいのなんのって、、、
話を聞いていると、時々チェコ語も混ざるけどみんな英語で話している。敢て英語で話しているようだ。国を開いていくということは、こういうことなんだね。若者よ、頑張れ!!
17:00 ハラデツ到着。
明日からハンガリーを訪れる。食事をして、今日は早く寝よう。
2011年11月30日 Posted by 臥游山人 at 14:29 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月29日>
7:00 起床。
8:30 朝食

今日もしっかり朝食を摂る。

朝食後、9:40 ホテルをチェックアウトする。
町なかの売店でバスチケット(一枚18Kc)を買う。10:20 市内循環1番のバスに乗ってカルロヴィ・ヴァリ・ホルニー駅に向かう。

11:05 カルロヴィ・ヴァリ出発。
今日はカルロヴィ・ヴァリから36キロ離れた、クラーシュテレツ・ナト・オフジー <Klasterec nad Ohri>という、オフジェ川沿いの小さな町を目指す。
二人分86Kc

11;42「Klasterec nad Ohri駅」に到着。
駅からホテルまでは、地図を見る限り3キロ程離れている。どうしようかと思いながら駅を出たら、駅前に旧式のオンボロバスが停まっていた。度胸を決めて運転手に地図を見せ行き先を指差したら、このバスに乗れという。バス代は一人9Kc、日本円で40円ぐらいだろうか。
バスはまもなく発車した。乗客はオレ達を入れて10人程。すぐ着くだろうと思っていたのだが、バスは町からどんどん離れていく。思わずカミさんと顔を見合わせたが、ここは運を天に任せるしかない。
バスは大きく迂回して何箇所かの団地を周りながらやっと町の中に入った。この町の中心広場と思われる所に来た時、運転手が「ここで降りなさい」とジェスチャーで示してくれた。
オレ達は礼を言ってバスを降りたが、ここからホテルの場所がわからない。ウロウロとしながら周りを見渡したら、塔のある白い建物があった。そこにインフォメーションがあった。入っていったら可愛い娘さんがニコニコと応対してくれた。どうも日本人が珍しかったようだ。ホテルの場所も親切に教えてくれた。

ようやくホテルにチェックイン出来たが、ホテルといっても一階ががレストランになっていて、家族で経営してる民宿のようだ。ホテルの名前が「Hotel Bohemia Excellent」、大げさな名前に、つい笑いがこみ上げてきたが、部屋も広かったし対応も親切だった。
部屋で一休みしてから、この町のシンボルである「DouPovske城」に向かう。

城に向かう途中に綺麗な教会があったので中を覗いてみた。

この教会は、「ホーリー・トリニティ教会」といって1665~1670年にかけて造られたそうだ。

さっきバスを降りた「エドヴァルド・ベネシュ広場」にも寄って見る。中央に噴水があり、その奥に見られるのが「三位一体」の塔で、1694年に建てられた。

小さな門をくぐって城に入ったらこんな綺麗な建物があった。

「サーラテレーナ」と呼ばれるこの建物は、元々宮殿の一部だったらしいが、それをアーケードホール付き初期バロック様式の別荘に改築されたものだそうだ。

Brokoff(1652~1718)という彫刻家の作品が、建物の周りに沢山並んでいる。

後ろは「ホーリー・トリニティ教会」

一階部分にあった彫刻。スパリゾートとしても有名だったらしいが、ここがスパの跡だったのだろうか?。

「DouPovske城」を正面から見る。

中庭風景。

城内ツアーを申込みに行ったら、出発したばかりだったが途中から合流させてくれた。しかしチェコ語なので聞いても判らない。この城はチェコの磁器の博物館になっているらしく、夥しい数の焼物が展示されていた。この地方もチェコでは有数の磁器の生産地だそうで、白磁に金彩を施した食器などが並んでいた。

ツアーが終了してから城の後ろの広大な庭園を散歩した。

この庭園は市民に開放されているので、誰でも利用できる。

城を出て町の方に出てみる。後ろの白い建物がインフォメーションがあったタウン・ホール。

ホテルに戻る途中にあった石像。

1743~1760年建築の「聖母マリアトロスト墓地教会」。

ホテルのレストラン。なかなか綺麗だった。

デザートで頼んだアイスクリーム。チェコ人はアイスクリームが大好きで、殆どのレストランに置いてある。

でたぁ、パラチンキ! 前回の旅行で食べ過ぎたので遠慮していたのだが、チーズケーキを頼んだらこれが出てきた。甘い、、、でっかい、、、思わず降参。
しかし、チェコではこれが普通サイズなんだよな~~
8:30 朝食
今日もしっかり朝食を摂る。
朝食後、9:40 ホテルをチェックアウトする。
町なかの売店でバスチケット(一枚18Kc)を買う。10:20 市内循環1番のバスに乗ってカルロヴィ・ヴァリ・ホルニー駅に向かう。
11:05 カルロヴィ・ヴァリ出発。
今日はカルロヴィ・ヴァリから36キロ離れた、クラーシュテレツ・ナト・オフジー <Klasterec nad Ohri>という、オフジェ川沿いの小さな町を目指す。
二人分86Kc
11;42「Klasterec nad Ohri駅」に到着。
駅からホテルまでは、地図を見る限り3キロ程離れている。どうしようかと思いながら駅を出たら、駅前に旧式のオンボロバスが停まっていた。度胸を決めて運転手に地図を見せ行き先を指差したら、このバスに乗れという。バス代は一人9Kc、日本円で40円ぐらいだろうか。
バスはまもなく発車した。乗客はオレ達を入れて10人程。すぐ着くだろうと思っていたのだが、バスは町からどんどん離れていく。思わずカミさんと顔を見合わせたが、ここは運を天に任せるしかない。
バスは大きく迂回して何箇所かの団地を周りながらやっと町の中に入った。この町の中心広場と思われる所に来た時、運転手が「ここで降りなさい」とジェスチャーで示してくれた。
オレ達は礼を言ってバスを降りたが、ここからホテルの場所がわからない。ウロウロとしながら周りを見渡したら、塔のある白い建物があった。そこにインフォメーションがあった。入っていったら可愛い娘さんがニコニコと応対してくれた。どうも日本人が珍しかったようだ。ホテルの場所も親切に教えてくれた。
ようやくホテルにチェックイン出来たが、ホテルといっても一階ががレストランになっていて、家族で経営してる民宿のようだ。ホテルの名前が「Hotel Bohemia Excellent」、大げさな名前に、つい笑いがこみ上げてきたが、部屋も広かったし対応も親切だった。
部屋で一休みしてから、この町のシンボルである「DouPovske城」に向かう。
城に向かう途中に綺麗な教会があったので中を覗いてみた。
この教会は、「ホーリー・トリニティ教会」といって1665~1670年にかけて造られたそうだ。
さっきバスを降りた「エドヴァルド・ベネシュ広場」にも寄って見る。中央に噴水があり、その奥に見られるのが「三位一体」の塔で、1694年に建てられた。
小さな門をくぐって城に入ったらこんな綺麗な建物があった。
「サーラテレーナ」と呼ばれるこの建物は、元々宮殿の一部だったらしいが、それをアーケードホール付き初期バロック様式の別荘に改築されたものだそうだ。
Brokoff(1652~1718)という彫刻家の作品が、建物の周りに沢山並んでいる。
後ろは「ホーリー・トリニティ教会」
一階部分にあった彫刻。スパリゾートとしても有名だったらしいが、ここがスパの跡だったのだろうか?。
「DouPovske城」を正面から見る。
中庭風景。
城内ツアーを申込みに行ったら、出発したばかりだったが途中から合流させてくれた。しかしチェコ語なので聞いても判らない。この城はチェコの磁器の博物館になっているらしく、夥しい数の焼物が展示されていた。この地方もチェコでは有数の磁器の生産地だそうで、白磁に金彩を施した食器などが並んでいた。
ツアーが終了してから城の後ろの広大な庭園を散歩した。
この庭園は市民に開放されているので、誰でも利用できる。
城を出て町の方に出てみる。後ろの白い建物がインフォメーションがあったタウン・ホール。
ホテルに戻る途中にあった石像。
1743~1760年建築の「聖母マリアトロスト墓地教会」。
ホテルのレストラン。なかなか綺麗だった。
デザートで頼んだアイスクリーム。チェコ人はアイスクリームが大好きで、殆どのレストランに置いてある。
でたぁ、パラチンキ! 前回の旅行で食べ過ぎたので遠慮していたのだが、チーズケーキを頼んだらこれが出てきた。甘い、、、でっかい、、、思わず降参。
しかし、チェコではこれが普通サイズなんだよな~~
2011年11月29日 Posted by 臥游山人 at 15:57 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月28日> ②
13:49 ドルニー駅到着。
駅からゆっくり歩いてホテルに戻る。
ホテルで暫く休んで、疲れを取ってから散歩に出かける。
今日はテプラー川沿いのメーンストリートではなく、山際の奥まった道を歩いてみる。そこには、緑の中に瀟洒なペンションやホテルが点在し、まるでおとぎの国に迷い込んだような錯覚さえ覚える。

ホテルを出発。ホテル前の風景。

ここから山側に道が続く。

聖ルカーシュ教会。




聖ペテロ聖パウロ教会。







ドヴォジャーク公園。

サドヴァー・コロナーダ。



一回りしてムリーンスカー・コロナーダに戻ってきた。
カルロヴィ・ヴァリは、中世からヨーロッパの社交場として栄えてきた。町にはヨーロッパ中の富豪や貴族が屋敷を構え、名だたる文人や音楽家なども滞在し、この町の名は世界中に知られることになった。
しかし、今カルロヴィ・ヴァリは転機に晒されている。この町を歩くと、出会うのは殆どイワン顔をしたロシア人か、アラブの人達である。前には日本人らしき観光客も見られたが、アジア人と見られるのは殆ど「謝謝」などと話す国の団体客で、街中を大声で話しながら闊歩している。この先この町はどのように変貌していくのだろうか?
そろそろお腹も空いてきた。今夜はどこで食事をしようかな?
今夜がカルロヴィ・ヴァリ最後の夜となる、、、
駅からゆっくり歩いてホテルに戻る。
ホテルで暫く休んで、疲れを取ってから散歩に出かける。
今日はテプラー川沿いのメーンストリートではなく、山際の奥まった道を歩いてみる。そこには、緑の中に瀟洒なペンションやホテルが点在し、まるでおとぎの国に迷い込んだような錯覚さえ覚える。
ホテルを出発。ホテル前の風景。
ここから山側に道が続く。
聖ルカーシュ教会。
聖ペテロ聖パウロ教会。
ドヴォジャーク公園。
サドヴァー・コロナーダ。
一回りしてムリーンスカー・コロナーダに戻ってきた。
カルロヴィ・ヴァリは、中世からヨーロッパの社交場として栄えてきた。町にはヨーロッパ中の富豪や貴族が屋敷を構え、名だたる文人や音楽家なども滞在し、この町の名は世界中に知られることになった。
しかし、今カルロヴィ・ヴァリは転機に晒されている。この町を歩くと、出会うのは殆どイワン顔をしたロシア人か、アラブの人達である。前には日本人らしき観光客も見られたが、アジア人と見られるのは殆ど「謝謝」などと話す国の団体客で、街中を大声で話しながら闊歩している。この先この町はどのように変貌していくのだろうか?
そろそろお腹も空いてきた。今夜はどこで食事をしようかな?
今夜がカルロヴィ・ヴァリ最後の夜となる、、、
2011年11月28日 Posted by 臥游山人 at 14:40 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月28日> ①
7:15 起床 8:30 朝食
今日も昨日と同じ、カルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅まで歩き、電車に乗ってベチョフ・ナト・テプロウ<Becov nad Teplou>という村にお城を見に行くために11:00ホテルを出発する。

ドルニー駅。

前回乗った時はボロい電車だったが、綺麗な電車になっていたので驚いた。前回はここからマリアンスケー・ラーズニェに出かけた。もうあれから6年も経っている。今日出かける所は、その時車窓から眺めて、必ずもう一回来るぞと誓った所だ。強く願えば実現できるもんだね。
11:00 発車。往復一人48Kc

11:31 到着。この駅で降りる乗客が意外と多かった。

ベチョフ・ナト・テプロウ駅。

駅から右に折れ、線路と併行して歩く。又右折して線路を渡り、テプラー川を越えると村に入る。この川がカルロヴィ・ヴァリまで流れてオフジェ川と合流する。

聖ジョージ教会の尖塔。

お城の入口が見えてきた。正門前にはペンションやレストランがあり、観光客で賑わっていた。

バロック様式の八角の建物は、1570年頃にできたものらしい。

ピンクの橋を渡って城に入る。城内ツアーを申し込もうとしたが、13:00まで一杯だと云われた。ツアーに参加すると、帰りの電車が15:15まで無い。仕方なくツアーをあきらめて、外から城を見学することにする。

庭園の方に行ってみる。

庭園からの眺め。人口1,000人にも満たない小さな村である。しかしこの村は錫の採掘で繁栄を極めた時期があった。

庭園は他の城に比べるとかなり狭い。

ゴシック様式の城は14世紀初頭に建てられたようだ。

城に入る橋の上にあった石像。


駅に向かう時に、民家の間から眺めた城。

13:15 出発。

帰りの電車から眺めた城の全景。ゴシック様式とルネッサンス様式、そしてバロック様式が合体した、とても美しい城だと思う。
今日も昨日と同じ、カルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅まで歩き、電車に乗ってベチョフ・ナト・テプロウ<Becov nad Teplou>という村にお城を見に行くために11:00ホテルを出発する。
ドルニー駅。
前回乗った時はボロい電車だったが、綺麗な電車になっていたので驚いた。前回はここからマリアンスケー・ラーズニェに出かけた。もうあれから6年も経っている。今日出かける所は、その時車窓から眺めて、必ずもう一回来るぞと誓った所だ。強く願えば実現できるもんだね。
11:00 発車。往復一人48Kc
11:31 到着。この駅で降りる乗客が意外と多かった。
ベチョフ・ナト・テプロウ駅。
駅から右に折れ、線路と併行して歩く。又右折して線路を渡り、テプラー川を越えると村に入る。この川がカルロヴィ・ヴァリまで流れてオフジェ川と合流する。
聖ジョージ教会の尖塔。
お城の入口が見えてきた。正門前にはペンションやレストランがあり、観光客で賑わっていた。
バロック様式の八角の建物は、1570年頃にできたものらしい。
ピンクの橋を渡って城に入る。城内ツアーを申し込もうとしたが、13:00まで一杯だと云われた。ツアーに参加すると、帰りの電車が15:15まで無い。仕方なくツアーをあきらめて、外から城を見学することにする。
庭園の方に行ってみる。
庭園からの眺め。人口1,000人にも満たない小さな村である。しかしこの村は錫の採掘で繁栄を極めた時期があった。
庭園は他の城に比べるとかなり狭い。
ゴシック様式の城は14世紀初頭に建てられたようだ。
城に入る橋の上にあった石像。
駅に向かう時に、民家の間から眺めた城。
13:15 出発。
帰りの電車から眺めた城の全景。ゴシック様式とルネッサンス様式、そしてバロック様式が合体した、とても美しい城だと思う。
2011年11月27日 Posted by 臥游山人 at 23:12 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月27日> ③
13:16 ロケト発。 一人24Kc
13:43 カルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅到着。

ドルニー駅から町に出ると、直ぐ右側に大きな緑色の瓶の看板が見える。ここがカルロヴィ・ヴァリ名産の「ベヘロッカ」の博物館になっている。「ベヘロッカ」は約100種類の薬草や香辛料が入っている薬草酒だが、意外と度数が高い。19世紀初頭にヤン・ベヘールという人がこの酒の製造を始めた。
その前を通りホテルに向かう。

ホテルに戻ったが、カミさんは外出中だったので、テプラ川の上流の方に歩いてみる。

こんな建物が川沿いに連なっている。

カルロヴィ・ヴァリの奥まったところに<Grandhotel Pupp>「グランドホテル・プップ」がある。このホテルはカルロヴィ・バリで最も由緒あるホテルで格式が高い。勿論宿泊代もプラハ並みに高い。だから当然オレ達はこのホテルに泊まったことはない。
このホテルでも「007カジノロワイヤル」の撮影が行われた。

「LazneⅠ」日本語に訳せば「一番浴場」とでもいうのだろうか?この中にスパ施設や、温浴設備がある。

町の真ん中を流れるテプラー川

川の奥の方まで立派な建物が建ち並んでいる。

「LazneⅠ」を別の角度から眺める。カルロヴィ・ヴァリにはこんな温浴施設が何箇所もある。

この温泉を発見したというカレル4世の石像

今度は下流の方に歩いてみる。

立派な劇場がある。この劇場でモーツァルトのオペラ(名前を忘れたが)の初演があったと聞いたことがある。

今晩コンサートがあるようだ。

ホテルの近くまで戻った。

トルジニー・コロナーダ。
ホテルに戻ったらカミさんも帰ってきたので、暫く休憩をして夕食に向かった。さっき散歩の時に見つけたレストラン「エンバシー」に入る。

ノルウェー・サーモンのソティ。

ローストダック。

食事を終え外に出たら、夜の帳が降りはじめていた。

聖マグダラのマリア教会。

ここにも温泉の蛇口がある。温泉を飲みながら、ゆっくりと時の流れを楽しんでいるように見える。

ムリーンスカー・コロナーダの前は、夜遅くまで観光客で賑わっている。 こうしてカルロヴィ・ヴァリの夜は更けていくのだった、、、
13:43 カルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅到着。
ドルニー駅から町に出ると、直ぐ右側に大きな緑色の瓶の看板が見える。ここがカルロヴィ・ヴァリ名産の「ベヘロッカ」の博物館になっている。「ベヘロッカ」は約100種類の薬草や香辛料が入っている薬草酒だが、意外と度数が高い。19世紀初頭にヤン・ベヘールという人がこの酒の製造を始めた。
その前を通りホテルに向かう。
ホテルに戻ったが、カミさんは外出中だったので、テプラ川の上流の方に歩いてみる。
こんな建物が川沿いに連なっている。
カルロヴィ・ヴァリの奥まったところに<Grandhotel Pupp>「グランドホテル・プップ」がある。このホテルはカルロヴィ・バリで最も由緒あるホテルで格式が高い。勿論宿泊代もプラハ並みに高い。だから当然オレ達はこのホテルに泊まったことはない。
このホテルでも「007カジノロワイヤル」の撮影が行われた。
「LazneⅠ」日本語に訳せば「一番浴場」とでもいうのだろうか?この中にスパ施設や、温浴設備がある。
町の真ん中を流れるテプラー川
川の奥の方まで立派な建物が建ち並んでいる。
「LazneⅠ」を別の角度から眺める。カルロヴィ・ヴァリにはこんな温浴施設が何箇所もある。
この温泉を発見したというカレル4世の石像
今度は下流の方に歩いてみる。
立派な劇場がある。この劇場でモーツァルトのオペラ(名前を忘れたが)の初演があったと聞いたことがある。
今晩コンサートがあるようだ。
ホテルの近くまで戻った。
トルジニー・コロナーダ。
ホテルに戻ったらカミさんも帰ってきたので、暫く休憩をして夕食に向かった。さっき散歩の時に見つけたレストラン「エンバシー」に入る。
ノルウェー・サーモンのソティ。
ローストダック。
食事を終え外に出たら、夜の帳が降りはじめていた。
聖マグダラのマリア教会。
ここにも温泉の蛇口がある。温泉を飲みながら、ゆっくりと時の流れを楽しんでいるように見える。
ムリーンスカー・コロナーダの前は、夜遅くまで観光客で賑わっている。 こうしてカルロヴィ・ヴァリの夜は更けていくのだった、、、
2011年11月26日 Posted by 臥游山人 at 22:19 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月27日> ②
ロケト城の歴史は意外と古く、12世紀にゴシック様式として築城されたようだ。

城の下に下りる道があったのでそこから城を眺めてみる。

オフルジェ川に架かる橋。

したから見上げると、天然の岩山を利用して造られた城だということがよくわかる。

惚れ惚れするような美しい城である。

岩山の小道をかけ上がり、橋を渡ってみることにする。

橋の上から城を望む。

ここが正式のバス停だったようだ。

城に入るために、もう一度橋を渡る。

こんな武器が展示してあったが、これで本当に撃ったのだろうか?

城の中はかなり荒れ果ててしまっている。

見張り台だろうか?今回は登らないでおこう。

篠の中庭。

地下に下りたら、真っ暗な闇からなにやらうめき声が聞こえてきた。この城は19世紀には刑務所として使われていたという。その様子を再現しているのだが、一人で行ったら少し不気味だった。


城の見学を終え、広場を目指す。

橋を渡りバス停に向かう。


ベンチに座り、バスの到着を待つ。
城の下に下りる道があったのでそこから城を眺めてみる。
オフルジェ川に架かる橋。
したから見上げると、天然の岩山を利用して造られた城だということがよくわかる。
惚れ惚れするような美しい城である。
岩山の小道をかけ上がり、橋を渡ってみることにする。
橋の上から城を望む。
ここが正式のバス停だったようだ。
城に入るために、もう一度橋を渡る。
こんな武器が展示してあったが、これで本当に撃ったのだろうか?
城の中はかなり荒れ果ててしまっている。
見張り台だろうか?今回は登らないでおこう。
篠の中庭。
地下に下りたら、真っ暗な闇からなにやらうめき声が聞こえてきた。この城は19世紀には刑務所として使われていたという。その様子を再現しているのだが、一人で行ったら少し不気味だった。
城の見学を終え、広場を目指す。
橋を渡りバス停に向かう。
ベンチに座り、バスの到着を待つ。
2011年11月25日 Posted by 臥游山人 at 21:28 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月27日> ①
7:30 起床。 9:00 朝食。
さすが4☆ホテルだけあってメニューが豊富だ。朝からしっかり食べて今日は<Loket>という町に出かける。カミさんは今日はカルロヴァ・ヴィリでゆっくりしたいというので、オレ一人でバスに乗る。


見よ!このパンの種類。

ホテルを出発。歩いて駅に向かう。

暫く歩くと右手に見えるのが「ホテル・テルマル」。この町には不向きな近代的なビルであるが、このホテルが一年おきに行われる「カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭」の会場になる。

今やちょっとした町ならどこでも見かける風景だが、近くのレストラン(特にオープンエアー)にとっては大きな問題になっていると思う。とにかく臭いのだ、、、

市内のバスターミナルを素通りして、更に野菜や果物を売ってる屋台を通って小さなトンネルを抜ける。

見えてきたのがカルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅である。カルロヴィ・ヴァリには昨日降りたホルニー駅とドルニー駅の二つの駅がある。
ドルニー駅にはバス・ターミナルと、マリアンスケー・ラーズニェに行く電車の乗り場がある。今日はここからバスに乗る。

11;00 出発 一人22Kc

ロケトとは、チェコ語で”肘”という意味だそうだ。この航空写真で見るように、三方をオフルジェ川に囲まれた小さな町だ。ゲーテがこの町の佇まいに魅了され、何回も足を運んだことでも有名である。

11.28 到着。バスの中から城らしき建物が見えたのであわててここで降りたが、どうも一つ前のバス停で降りてしまったようだ。

城を目指しながら町の中に入っていく。

静かでいいな~。こんな風景が大好きだ。

町の中心広場に到着。

実はこの場所が「007カジノロワイヤル」のロケ地として使われたのだ。設定はモンテネグロだったらしいが、ここをジェームス・ボンドの運転する車が疾走したのだそうだ、、、残念ながらオレは見ていない。

聖ヴァーツラフ教会。

中を覗いてみた。

パイプオルガン。

ここがロケト城の入口。

城に入る前に、外側から城を一回りしてみることにした。
さすが4☆ホテルだけあってメニューが豊富だ。朝からしっかり食べて今日は<Loket>という町に出かける。カミさんは今日はカルロヴァ・ヴィリでゆっくりしたいというので、オレ一人でバスに乗る。
見よ!このパンの種類。
ホテルを出発。歩いて駅に向かう。
暫く歩くと右手に見えるのが「ホテル・テルマル」。この町には不向きな近代的なビルであるが、このホテルが一年おきに行われる「カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭」の会場になる。
今やちょっとした町ならどこでも見かける風景だが、近くのレストラン(特にオープンエアー)にとっては大きな問題になっていると思う。とにかく臭いのだ、、、
市内のバスターミナルを素通りして、更に野菜や果物を売ってる屋台を通って小さなトンネルを抜ける。
見えてきたのがカルロヴィ・ヴァリ・ドルニー駅である。カルロヴィ・ヴァリには昨日降りたホルニー駅とドルニー駅の二つの駅がある。
ドルニー駅にはバス・ターミナルと、マリアンスケー・ラーズニェに行く電車の乗り場がある。今日はここからバスに乗る。
11;00 出発 一人22Kc

ロケトとは、チェコ語で”肘”という意味だそうだ。この航空写真で見るように、三方をオフルジェ川に囲まれた小さな町だ。ゲーテがこの町の佇まいに魅了され、何回も足を運んだことでも有名である。
11.28 到着。バスの中から城らしき建物が見えたのであわててここで降りたが、どうも一つ前のバス停で降りてしまったようだ。
城を目指しながら町の中に入っていく。
静かでいいな~。こんな風景が大好きだ。
町の中心広場に到着。
実はこの場所が「007カジノロワイヤル」のロケ地として使われたのだ。設定はモンテネグロだったらしいが、ここをジェームス・ボンドの運転する車が疾走したのだそうだ、、、残念ながらオレは見ていない。
聖ヴァーツラフ教会。
中を覗いてみた。
パイプオルガン。
ここがロケト城の入口。
城に入る前に、外側から城を一回りしてみることにした。
2011年11月24日 Posted by 臥游山人 at 19:05 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月26日>
6:30 起床。 7:30 朝食。8;00 ペンションを出発。
今日は、今回の旅で二回目の遠征になる。目的地はチェコ屈指の温泉地であるカルロヴィ・ヴァリ。バスで行く手もあるのだが、どうしても車窓から眺める景色を楽しみたくて列車で行くことにした。
9:08 ハラデツ・クラロヴェ発 列車は5分遅れで出発した。
プラハまで一人112Kc(二等車)

10:47 プラハ着。結局10分ほど送れた。

11:31 プラハ発
カルロヴィ・ヴァリまで一人440Kc(一等車)

ラベ(エルベ)川の緩やかな流れ。この川が2002年に大氾濫を起こした。

ラベ川沿いにのどかな景色が広がる。

ストジェコフ<Strekov>城が見えてきた。もう直ぐ<Usti nad Labem>に到着する。

この城はワーグナーが滞在し、「タンホイザー」の着想を得たところとして有名である。今度は車窓からではなく、直接自分の足で訪れてみたいと思う。


<Usti nad Labem>駅に到着。ここから列車はスイッチバックして全く逆に走り出す。判ってないと不安に駆られる。

今度は打って変わって山の風景を楽しむ。

山の上に見えるのは、<Most-Hnevin>城だと思われる。


14:47 カルロヴィ・ヴァリ・ホルニー駅に到着。

これだけの観光地なのにこの駅は昔と全く変っていない。何故もっと綺麗にしないのだろうか?ホテルまでバスに乗ることも考えたが、道が下りなので景色を楽しみながら歩いていくことにした。

オフジェ川を渡り、町に到着したが、これからホテルまではまだまだ歩かねばならない。

これが今回泊まる「ホテル・ロマンス」。ホテルは気に入ったけど、名前がなんだか気恥ずかしい、、、チェックインを済ませ、早速町の散策に出かける。この町に来るのはこれで4回目になるが、何時来ても綺麗だな~と思う。

この温泉は、14世紀半ばに時のボヘミア王で神聖ローマ皇帝であったカール4世が、鹿狩りの時に偶然発見したものといわれている。19世紀には鉄道の開通により更に発展を遂げた。しかし、1938年にナチスドイツによるズデーデン併合でドイツ領となり、住民の殆どがドイツ人となった。
第二次大戦後、ベネシュ布告によりドイツ系の住民はその財産を全て没収され、強制国外退去となった。

温泉といっても飲泉が主体なので、温泉客は取っ手に飲み口の付いた独特のコップで温泉を飲んでいる。。

トルジニー・コロナーダ。湯治客が雨でも温泉を飲みながら散策できるように、町の中にはこのようなコロナーダが何箇所もある。

ちょっと早かったが、お腹が空いていたので夕食を摂る。食べだしてから気づいて写真を撮る。マスのグリル。

サドヴァー・コロナーダ


町の真ん中をテプラー川が流れ、その両側にホテルやレストランなどの綺麗な建物が並んでいる。

町で一番大きいムリーンスカー・コロナーダ。当然この中にも何箇所か温泉の飲める場所がある。
今日は、今回の旅で二回目の遠征になる。目的地はチェコ屈指の温泉地であるカルロヴィ・ヴァリ。バスで行く手もあるのだが、どうしても車窓から眺める景色を楽しみたくて列車で行くことにした。
9:08 ハラデツ・クラロヴェ発 列車は5分遅れで出発した。
プラハまで一人112Kc(二等車)
10:47 プラハ着。結局10分ほど送れた。
11:31 プラハ発
カルロヴィ・ヴァリまで一人440Kc(一等車)
ラベ(エルベ)川の緩やかな流れ。この川が2002年に大氾濫を起こした。
ラベ川沿いにのどかな景色が広がる。
ストジェコフ<Strekov>城が見えてきた。もう直ぐ<Usti nad Labem>に到着する。
この城はワーグナーが滞在し、「タンホイザー」の着想を得たところとして有名である。今度は車窓からではなく、直接自分の足で訪れてみたいと思う。
<Usti nad Labem>駅に到着。ここから列車はスイッチバックして全く逆に走り出す。判ってないと不安に駆られる。
今度は打って変わって山の風景を楽しむ。
山の上に見えるのは、<Most-Hnevin>城だと思われる。
14:47 カルロヴィ・ヴァリ・ホルニー駅に到着。
これだけの観光地なのにこの駅は昔と全く変っていない。何故もっと綺麗にしないのだろうか?ホテルまでバスに乗ることも考えたが、道が下りなので景色を楽しみながら歩いていくことにした。
オフジェ川を渡り、町に到着したが、これからホテルまではまだまだ歩かねばならない。
これが今回泊まる「ホテル・ロマンス」。ホテルは気に入ったけど、名前がなんだか気恥ずかしい、、、チェックインを済ませ、早速町の散策に出かける。この町に来るのはこれで4回目になるが、何時来ても綺麗だな~と思う。
この温泉は、14世紀半ばに時のボヘミア王で神聖ローマ皇帝であったカール4世が、鹿狩りの時に偶然発見したものといわれている。19世紀には鉄道の開通により更に発展を遂げた。しかし、1938年にナチスドイツによるズデーデン併合でドイツ領となり、住民の殆どがドイツ人となった。
第二次大戦後、ベネシュ布告によりドイツ系の住民はその財産を全て没収され、強制国外退去となった。
温泉といっても飲泉が主体なので、温泉客は取っ手に飲み口の付いた独特のコップで温泉を飲んでいる。。
トルジニー・コロナーダ。湯治客が雨でも温泉を飲みながら散策できるように、町の中にはこのようなコロナーダが何箇所もある。
ちょっと早かったが、お腹が空いていたので夕食を摂る。食べだしてから気づいて写真を撮る。マスのグリル。
サドヴァー・コロナーダ
町の真ん中をテプラー川が流れ、その両側にホテルやレストランなどの綺麗な建物が並んでいる。
町で一番大きいムリーンスカー・コロナーダ。当然この中にも何箇所か温泉の飲める場所がある。
2011年11月22日 Posted by 臥游山人 at 22:31 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月25日> ③
この城にはファンファーレ隊がいたのだそうだ。城主が外出する時、帰城した時、客が入城した時、等、、、それぞれ違った曲を演奏して城内に知らせたという。又、客によっても曲を変え、誰が尋ねてきたかも判るようになっていたらしい。
中庭でファンファーレ隊の演奏があったのでそれを聞いてみた。目をつぶって聴いていると、その時代にタイムスリップしたような気になった。




音楽を聴いて気持ちが晴れやかになったところで城を後にすることにした。


車で暫く走ったところで絶景のポイントを見つけた。車を止め、暫し城の景色を堪能した。

次は、<Lazne Bohdanec>という温泉の町に向かう。ここもパルドヴィツェから8k程のところにある。
この町は1264年頃の記述に現れるというから結構歴史がある。その後鉱泉が発見され、1897年に温泉の町として知られるところとなった。そして1963年に正式に温泉として承認された。
21度のアルカリ性鉱泉は、リウマチ、関節炎、脊髄症候群、などの治療に効果があるとされ、国内外から治療に訪れる。ここはカルロヴィ・ヴァリやマリアンスケー・ラーズニェなどのように観光地化しておらず、森の中にひっそりと佇む温泉施設で、治療に専念する老人の姿が多く見られる。
ただ、ここの施設はかなり高価らしく、裕福な人しか利用できないようだ。




タウンホール

Maří Magdalény教会

<Bohdanecky rybnik>ここはサンクチュアリになっていて、貴重な鳥、トンボ、カエル、などの生息地としてヨーロッパでも有名なところらしい。

ヒロシが時々行ってるというゴルフ場。ラフが深いので、ロストボールが多そうだ。

日が沈む頃、ハラデツに戻った。

三人で広場のレストランに入る。

このレストランは昔は予約しないと入れないほど混んでいたのだが、今回はすんなり入れた。今日もタルタルステーキをオーダーする。
中庭でファンファーレ隊の演奏があったのでそれを聞いてみた。目をつぶって聴いていると、その時代にタイムスリップしたような気になった。
音楽を聴いて気持ちが晴れやかになったところで城を後にすることにした。
車で暫く走ったところで絶景のポイントを見つけた。車を止め、暫し城の景色を堪能した。
次は、<Lazne Bohdanec>という温泉の町に向かう。ここもパルドヴィツェから8k程のところにある。
この町は1264年頃の記述に現れるというから結構歴史がある。その後鉱泉が発見され、1897年に温泉の町として知られるところとなった。そして1963年に正式に温泉として承認された。
21度のアルカリ性鉱泉は、リウマチ、関節炎、脊髄症候群、などの治療に効果があるとされ、国内外から治療に訪れる。ここはカルロヴィ・ヴァリやマリアンスケー・ラーズニェなどのように観光地化しておらず、森の中にひっそりと佇む温泉施設で、治療に専念する老人の姿が多く見られる。
ただ、ここの施設はかなり高価らしく、裕福な人しか利用できないようだ。
タウンホール
Maří Magdalény教会
<Bohdanecky rybnik>ここはサンクチュアリになっていて、貴重な鳥、トンボ、カエル、などの生息地としてヨーロッパでも有名なところらしい。
ヒロシが時々行ってるというゴルフ場。ラフが深いので、ロストボールが多そうだ。
日が沈む頃、ハラデツに戻った。
三人で広場のレストランに入る。
このレストランは昔は予約しないと入れないほど混んでいたのだが、今回はすんなり入れた。今日もタルタルステーキをオーダーする。
2011年11月22日 Posted by 臥游山人 at 13:52 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月25日> ②
次に向かったのは、パルドビツェから7k程離れたところにある、クニェティチカ・ホラ <Kuneticka Hora>というお城。この城は山の上にあり、かなり遠くからでも見ることが出来る。この近辺を通る度に視界に飛び込んでくるので、ずっと前から見たいと思っていた。今日やっと念願が叶った。

山の中腹辺りに駐車場があるので、そこに車を止めた。そこには子供用の乗馬クラブと、山羊や駝鳥を見せる施設がある。家族連れが結構いたが、果たしてここにそんな施設が必要なのかは甚だ疑問に思った。

後は山頂までひたすら登る。

城の入口付近に大きな井戸があった。

壊れた城壁。

目の前に聳える円形塔。これも登ることになるのかな~?

大砲を撃つ為の窓。

見上げると、天空を突き抜けるほど高く感じられる。

下界が遥か遠くまで見渡せる。


最後の門を潜る。


何故城の中にあるのか分からなかった、アダムとイヴ。

この城にはドラゴンが住んでいるという言い伝えがあるようだ。

やっぱり上まで登らされた。ここから360度のパノラマが見渡せる。

城の模型が飾ってあった。この城が何時、誰によって築かれたのか?まだ詳細は判っていない様だが、1421年頃キャプテン・デービッシュ家の所有となり、1490年にパルドビッツェの領主であるペルンシュタイン公が買収し、後期ゴシックの城に改築したとされている。
しかし、1645年にスウェーデン軍により、破壊され火をつけられた。

当時の甲冑。

戦いの道具。

当時使われていたと思われる馬車が展示されていたが、全く野ざらし状態だった。
山の中腹辺りに駐車場があるので、そこに車を止めた。そこには子供用の乗馬クラブと、山羊や駝鳥を見せる施設がある。家族連れが結構いたが、果たしてここにそんな施設が必要なのかは甚だ疑問に思った。
後は山頂までひたすら登る。
城の入口付近に大きな井戸があった。
壊れた城壁。
目の前に聳える円形塔。これも登ることになるのかな~?
大砲を撃つ為の窓。
見上げると、天空を突き抜けるほど高く感じられる。
下界が遥か遠くまで見渡せる。
最後の門を潜る。
何故城の中にあるのか分からなかった、アダムとイヴ。
この城にはドラゴンが住んでいるという言い伝えがあるようだ。
やっぱり上まで登らされた。ここから360度のパノラマが見渡せる。
城の模型が飾ってあった。この城が何時、誰によって築かれたのか?まだ詳細は判っていない様だが、1421年頃キャプテン・デービッシュ家の所有となり、1490年にパルドビッツェの領主であるペルンシュタイン公が買収し、後期ゴシックの城に改築したとされている。
しかし、1645年にスウェーデン軍により、破壊され火をつけられた。
当時の甲冑。
戦いの道具。
当時使われていたと思われる馬車が展示されていたが、全く野ざらし状態だった。
2011年11月21日 Posted by 臥游山人 at 15:43 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月25日> ①
7:30 起床。9:00 明日のチケットを買うために駅まで出かける。
今日は昨日に引き続き、ヒロシが運転して近辺の観光に連れて行ってくれることになった。
11:00 ヒロシがペンションまで迎えに来てくれた。一旦弟の家に寄り、それから最初の訪問先であるフルメッツ・ナト・チドリノウ<Chlumec nad Cidlinou>という町に向かう。この町はチドリナ川沿いに位置し、ハラデツ・クラロヴェから西方28kにある。
この町にカルロヴァ・コルナ<Karlova Koruna>城というお城がある。プラハから弟の家に行く時にいつもこの横を通っていて、何時か見てみたいと思っていたのがやっと実現した。

城に入る門。

城まで並木道が続いている。


この城は11世紀にフルメッツの小高い丘の上に建てられた。1611年に、ヨーロッパの貴族のキンスキー家の所有となった。その後、1948年に国家に没収されたが、1992年にキンスキー家に返還された。

庭にあった石像

この城は真ん中に大ホールがあり、そこから三方に部屋が分かれている。城内ツアーに参加したが、チェコ語での解説なので殆どチンプンカンプン。写真撮影は禁止だった。100Kc払えば撮影出来たのだが、ツアー代より高いのでやめた。ツアー代金一人 70Kc

キンスキー公は乗馬と狩りが趣味だったようで、部屋の中には、代々の馬の写真と狩りの獲物が所狭しと陳列されていた。

キンスキー公の肖像画

狐までが狩りの対象だったようだ。




聖母マリア教会

ここが厩舎だったと思われる。

広い庭園は公園として市民に開放されている。

今日は昨日に引き続き、ヒロシが運転して近辺の観光に連れて行ってくれることになった。
11:00 ヒロシがペンションまで迎えに来てくれた。一旦弟の家に寄り、それから最初の訪問先であるフルメッツ・ナト・チドリノウ<Chlumec nad Cidlinou>という町に向かう。この町はチドリナ川沿いに位置し、ハラデツ・クラロヴェから西方28kにある。
この町にカルロヴァ・コルナ<Karlova Koruna>城というお城がある。プラハから弟の家に行く時にいつもこの横を通っていて、何時か見てみたいと思っていたのがやっと実現した。
城に入る門。
城まで並木道が続いている。
この城は11世紀にフルメッツの小高い丘の上に建てられた。1611年に、ヨーロッパの貴族のキンスキー家の所有となった。その後、1948年に国家に没収されたが、1992年にキンスキー家に返還された。
庭にあった石像
この城は真ん中に大ホールがあり、そこから三方に部屋が分かれている。城内ツアーに参加したが、チェコ語での解説なので殆どチンプンカンプン。写真撮影は禁止だった。100Kc払えば撮影出来たのだが、ツアー代より高いのでやめた。ツアー代金一人 70Kc
キンスキー公は乗馬と狩りが趣味だったようで、部屋の中には、代々の馬の写真と狩りの獲物が所狭しと陳列されていた。
キンスキー公の肖像画
狐までが狩りの対象だったようだ。
聖母マリア教会
ここが厩舎だったと思われる。
広い庭園は公園として市民に開放されている。
2011年11月20日 Posted by 臥游山人 at 14:12 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月24日> ②
ドレスデンはドイツ連邦共和国ザクセン州の州都で、エルベ(ラベ)川の谷あいに位置する人口約52万人程の街である。チェコ国境からわずか30kしか離れていない。
この街の歴史は今から800年程前にさかのぼる。又、1806年、神聖ローマ帝国の崩壊後、ザクセン王国として成立し、その首都となった。世界的に有名な磁器の町「マイセン」とは25kしか離れてなく、その交易で莫大な富を築いた。
第二次世界大戦の終盤、1945年の2月13日~14日にかけ米・英軍の無差別攻撃を受けて、建物の85%が破壊され、15万人もの民間人が死亡したと云われている。その爆撃でたくさんの貴重な文化財や美術品も焼失してしまった。
1990年の東西統合後、歴史的建築物の再建計画が持ち上がり、世界中から寄付金が集まった。瓦礫の中から拾い集めた破片をコンピューターで張り合わせ、新たな素材と組み合わせながら昔の建物を再建した。そのため、旧市街(アルトシュタット)の建物は、モザイク建築とも云われる。

写真で分かると思うが、ところどころ建物の色が違っている。



ドレスデン国立歌劇場

エルベ川に架かる橋を渡って新市街(ノイシュタット)に向かう。

新市街という名前がついてるが、旧市街よりこちらの方に古い建物があるらしい。





川の向こうに豪華な邸宅が並んでいる。共産党時代にはどんな人が住んでいたのだろうか?

ワインを造るための葡萄畑まである。


一時間半程の観光を終え、バスを降りてもう少し街を散策する。ノイマルクト広場。

チェコの馬車より豪華。しかし、車がこの馬車の後についてしまうと大変な目に会うことがある。馬が糞をすると、その後始末が終わるまでじっと待たなければいけない。その上臭い、、、


中心部の百貨店でヒロシのズボン等を買い、車を留めた駐車場に向かう。16:00ドレスデン出発。

チェコの国境を過ぎた辺りに、このようなミニ富士山のような形をした山がたくさんある。昔、火山の噴火で出来たものらしい。だからこのあたりには温泉も多いのだろう。
この街の歴史は今から800年程前にさかのぼる。又、1806年、神聖ローマ帝国の崩壊後、ザクセン王国として成立し、その首都となった。世界的に有名な磁器の町「マイセン」とは25kしか離れてなく、その交易で莫大な富を築いた。
第二次世界大戦の終盤、1945年の2月13日~14日にかけ米・英軍の無差別攻撃を受けて、建物の85%が破壊され、15万人もの民間人が死亡したと云われている。その爆撃でたくさんの貴重な文化財や美術品も焼失してしまった。
1990年の東西統合後、歴史的建築物の再建計画が持ち上がり、世界中から寄付金が集まった。瓦礫の中から拾い集めた破片をコンピューターで張り合わせ、新たな素材と組み合わせながら昔の建物を再建した。そのため、旧市街(アルトシュタット)の建物は、モザイク建築とも云われる。
写真で分かると思うが、ところどころ建物の色が違っている。
ドレスデン国立歌劇場
エルベ川に架かる橋を渡って新市街(ノイシュタット)に向かう。
新市街という名前がついてるが、旧市街よりこちらの方に古い建物があるらしい。
川の向こうに豪華な邸宅が並んでいる。共産党時代にはどんな人が住んでいたのだろうか?
ワインを造るための葡萄畑まである。
一時間半程の観光を終え、バスを降りてもう少し街を散策する。ノイマルクト広場。
チェコの馬車より豪華。しかし、車がこの馬車の後についてしまうと大変な目に会うことがある。馬が糞をすると、その後始末が終わるまでじっと待たなければいけない。その上臭い、、、
中心部の百貨店でヒロシのズボン等を買い、車を留めた駐車場に向かう。16:00ドレスデン出発。
チェコの国境を過ぎた辺りに、このようなミニ富士山のような形をした山がたくさんある。昔、火山の噴火で出来たものらしい。だからこのあたりには温泉も多いのだろう。
2011年11月19日 Posted by 臥游山人 at 15:33 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月24日> ①
5:30 起床。ミネラルウォーターをポットで沸かしてお茶を入れ、昨日弟が握ってくれたおにぎりを食べる。やっぱりご飯は美味い!

この時間、広場には霧が立ち込めている。これも幻想的な風景だ。
7:00に弟とヒロシが広場まで迎えに来てくれた。ヒロシがハンドルを握り、そのままドレスデンに向けて出発した。

10:00ドレスデン到着。今回は、弟が日本食などの食料買出しでドレスデンに来たのだが、オレ達も便乗したのだった。

このラーメンはヨーロッパで生産してるという。

昼食を摂る為にイケヤのレストランに入る。ここにはシーフード専門の店があり、弟もドレスデンに来たら必ず寄るという。

好きなものをチョイスして最後にお金を払うシステムになっている。

鱈のフライ

オヒョウのフライ

食事を済ませ、車で町に入る。広場が賑やかだったので、車を駐車して広場に向かった。

屋台が出て、広場は人でごった返していた。




小さな観覧車もあった。

広場を出て、街をぶらぶらしてみることにした。

これは誰でしょう?

前方に市内観光の真っ赤な2階建バスを発見!広い街を歩くのは疲れるので、このバスに乗って見学をすることにした。
この時間、広場には霧が立ち込めている。これも幻想的な風景だ。
7:00に弟とヒロシが広場まで迎えに来てくれた。ヒロシがハンドルを握り、そのままドレスデンに向けて出発した。
10:00ドレスデン到着。今回は、弟が日本食などの食料買出しでドレスデンに来たのだが、オレ達も便乗したのだった。
このラーメンはヨーロッパで生産してるという。
昼食を摂る為にイケヤのレストランに入る。ここにはシーフード専門の店があり、弟もドレスデンに来たら必ず寄るという。
好きなものをチョイスして最後にお金を払うシステムになっている。
鱈のフライ
オヒョウのフライ
食事を済ませ、車で町に入る。広場が賑やかだったので、車を駐車して広場に向かった。
屋台が出て、広場は人でごった返していた。
小さな観覧車もあった。
広場を出て、街をぶらぶらしてみることにした。
これは誰でしょう?
前方に市内観光の真っ赤な2階建バスを発見!広い街を歩くのは疲れるので、このバスに乗って見学をすることにした。
2011年11月17日 Posted by 臥游山人 at 22:40 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月23日> ②
どうやらオレの探していたガラスギャラリーは、経営がうまくいかず、数年前に元の場所から駅の近くに、規模を小さくして移転したようだ。そこで、今回はガラスをあきらめて町の散策を楽しむことにした。

城を出てから、青空市場が見たいと言うのでカミさんを広場に残し、オレは一人でメーンストリートを城と逆の方向に歩き出した。

5分も歩いたら、前方右手に小さな教会が見えてきた。

聖十字架教会。


この教会は相当由緒あるローマン・カトリックの教会のようだ。



広場に戻る。ポジェブラディ城が逆光でうまく映らない。

今度は逆の方に歩き、大きな橋の上からラベ川を眺める。この川が明日訪れるドレスデンまで続いているのだ。

公園を歩いていたら、ひと際目立つ建物があった。
<Vila Kourimka >と云われるこの建物は、きっと名のある人の別荘だったのだろう。


この町には、明治40年頃チェコの男性と結婚した竹本福さんという女性が、78歳で亡くなる1965年まで暮らしていた。社会主義時代に大変な苦難に合いながらも日本に帰らずに、ここでその人生を全うしたという。この公園の美しい花を、福さんはどんな想いで眺めていたのであろうか?


ポジェブラディ駅の待合室

13:02 ポジェブラディ出発。
14:00 ハラデツ・クラロヴェ到着。

16:00に弟と待ち合わせをして弟の家に行く。ビールとワインで乾杯し、弟が作ってくれたおにぎりを持ってペンションに戻る。

もう広場には街灯が灯り、秋の夕暮れが町を覆っていた。

さあ、明日はドレスデンだ。
城を出てから、青空市場が見たいと言うのでカミさんを広場に残し、オレは一人でメーンストリートを城と逆の方向に歩き出した。
5分も歩いたら、前方右手に小さな教会が見えてきた。
聖十字架教会。
この教会は相当由緒あるローマン・カトリックの教会のようだ。
広場に戻る。ポジェブラディ城が逆光でうまく映らない。
今度は逆の方に歩き、大きな橋の上からラベ川を眺める。この川が明日訪れるドレスデンまで続いているのだ。
公園を歩いていたら、ひと際目立つ建物があった。
<Vila Kourimka >と云われるこの建物は、きっと名のある人の別荘だったのだろう。
この町には、明治40年頃チェコの男性と結婚した竹本福さんという女性が、78歳で亡くなる1965年まで暮らしていた。社会主義時代に大変な苦難に合いながらも日本に帰らずに、ここでその人生を全うしたという。この公園の美しい花を、福さんはどんな想いで眺めていたのであろうか?
ポジェブラディ駅の待合室
13:02 ポジェブラディ出発。
14:00 ハラデツ・クラロヴェ到着。
16:00に弟と待ち合わせをして弟の家に行く。ビールとワインで乾杯し、弟が作ってくれたおにぎりを持ってペンションに戻る。
もう広場には街灯が灯り、秋の夕暮れが町を覆っていた。
さあ、明日はドレスデンだ。
2011年11月16日 Posted by 臥游山人 at 17:15 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月23日> ①
7:30 起床。8:15 朝食。
今日はプラハから東に50kmほど離れたポジェブラディ<Podebrady>に行く為に9:00にホテルを出発した。
ポジェブラディは中世から栄えた町であったが、宗教戦争などで疲弊し、近年まで寂れた町であった。1905年に城の庭に井戸を掘ったところ鉱泉が湧き出し、その後スパや公園を整備して1908年に温泉の町として開発された。
この温泉は他のチェコの温泉と同じように主に飲泉である。心臓病、高血圧、糖尿病などに効果があると云われている。

10:08 列車は約10分遅れで発車した。往復一人115Kc

二等車だが、革張りなので、写真では豪華に見える。

11:00 ポジェブラディ駅に到着。

駅を出ると整備された公園が延々と続く。

コロナーダと呼ばれる建物。ここで温泉を飲んで、雨天でも歩いて運動出来るようになっている。

その横には噴水があった。ここは鉱泉だけでなく、ミネラルを含んだ水も有名で、ペットボトルに汲んでいく人もいるそうだ。

広い公園の中を市民が思い思いに散策を楽しんでいる。


源泉。

広い公園を抜けて町に出ると、イジー広場<キングジョージ・スクェア>に出る。

イジー広場の中心にイジー候の騎馬像が建っている。

今日は露店が沢山でてて青空市場をやっていた。

広場のすぐ横にあるお城に入ってみる。

城の中庭。
この人が鉱泉を掘り当てたのだろうか?

城の中にある噴水。


城を出てもう少し町を散策することに、、、
この町には過去にもう何回か来ている。実は、ポジェブラディは温泉と並び、ボヘミアンガラスの町としても有名なのだ。今回もいいガラスがあったら買いたいなと思って来てみたのだが、ガラスショップが見つからない。
記憶を頼りに、前に来たところに行ってみたのだが店が見つからない。どうしたんだろう?オレの記憶が間違っているのだろうか?
今日はプラハから東に50kmほど離れたポジェブラディ<Podebrady>に行く為に9:00にホテルを出発した。
ポジェブラディは中世から栄えた町であったが、宗教戦争などで疲弊し、近年まで寂れた町であった。1905年に城の庭に井戸を掘ったところ鉱泉が湧き出し、その後スパや公園を整備して1908年に温泉の町として開発された。
この温泉は他のチェコの温泉と同じように主に飲泉である。心臓病、高血圧、糖尿病などに効果があると云われている。
10:08 列車は約10分遅れで発車した。往復一人115Kc
二等車だが、革張りなので、写真では豪華に見える。
11:00 ポジェブラディ駅に到着。
駅を出ると整備された公園が延々と続く。
コロナーダと呼ばれる建物。ここで温泉を飲んで、雨天でも歩いて運動出来るようになっている。
その横には噴水があった。ここは鉱泉だけでなく、ミネラルを含んだ水も有名で、ペットボトルに汲んでいく人もいるそうだ。
広い公園の中を市民が思い思いに散策を楽しんでいる。
源泉。
広い公園を抜けて町に出ると、イジー広場<キングジョージ・スクェア>に出る。
イジー広場の中心にイジー候の騎馬像が建っている。
今日は露店が沢山でてて青空市場をやっていた。
広場のすぐ横にあるお城に入ってみる。
城の中庭。
城の中にある噴水。
城を出てもう少し町を散策することに、、、
この町には過去にもう何回か来ている。実は、ポジェブラディは温泉と並び、ボヘミアンガラスの町としても有名なのだ。今回もいいガラスがあったら買いたいなと思って来てみたのだが、ガラスショップが見つからない。
記憶を頼りに、前に来たところに行ってみたのだが店が見つからない。どうしたんだろう?オレの記憶が間違っているのだろうか?
2011年11月15日 Posted by 臥游山人 at 22:19 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月22日>
7:00 起床。8:30 最後の朝食。今朝も食堂から見える聖なる丘の眺望を楽しみながら、ゆっくりと食事を楽しむ。


10;50 ホテルをチェックアウトして、お土産で重くなったキャリーバックを引きずりながら駅に向かう。今度は下り坂なので、来た時よりはずっと楽だ。今日の中心広場はひっそりとしていた。

早めに駅に到着したが、まだだ~れもいない。チェコではいつも間際になるとどこからともなく乗客が集まってくる。

列車到着。二両編成の一番前に乗る。
12:02 出発。
<Mikulov na Morave> から <Breclav> 乗り換え <Pardbice>乗り換え <Hradec Kralove> まで、一人239Kc

12:30 ブジェツラフ駅到着

13:02発のEC170が電光掲示板に20分遅れと出ていたが、結局30分遅れた。この分ではパルドヴィッツェでの乗り換えが間に合わない。まあ、急ぐ旅ではないので、次の電車に乗ればいい。
13:32 ブジェツラフ出発。

ブルノを過ぎてから、右手に城らしき建物を発見。なかなか魅力ある建物だ。<Letovice>という駅の名前を確認した。いつかここに来ることがあるのだろうか?

15:33 パルドヴィッツェ駅到着。

次の電車まで構内で一休み。

ハラデツ行きの列車に乗り込む。列車は空いていた。
16:08 パルドヴィッツェ出発。

16:29 ハラデツ到着。構内の売店でトロリーのチケットを10枚買った。1枚15Kc。6番のトローリーに乗りペンションに向かう。

やっと着いた。突き当りを左折したらペンションだ。

新市街方面を少し歩いて、お腹を空かせてから夕食をとることに。


まずはやっぱりビールだね。黒の生ビールがなかったので、仕方なく壜ビールのコゼルを飲む。旅の無事を祝してカンパ~イ!!

まだ暑かったので、広場のオープンエアーに陣取る。

今日もサーモン

そしてサラダ、、、
こうして、ズノイモ5泊、ミクロフ5泊、計10泊。日本で用意した時刻表と地図だけを頼りに、言葉も通じない町を巡る無謀な夫婦二人旅は無事終了したのだった。ヨカッタ、ヨカッタ、、、
10;50 ホテルをチェックアウトして、お土産で重くなったキャリーバックを引きずりながら駅に向かう。今度は下り坂なので、来た時よりはずっと楽だ。今日の中心広場はひっそりとしていた。
早めに駅に到着したが、まだだ~れもいない。チェコではいつも間際になるとどこからともなく乗客が集まってくる。
列車到着。二両編成の一番前に乗る。
12:02 出発。
<Mikulov na Morave> から <Breclav> 乗り換え <Pardbice>乗り換え <Hradec Kralove> まで、一人239Kc
12:30 ブジェツラフ駅到着
13:02発のEC170が電光掲示板に20分遅れと出ていたが、結局30分遅れた。この分ではパルドヴィッツェでの乗り換えが間に合わない。まあ、急ぐ旅ではないので、次の電車に乗ればいい。
13:32 ブジェツラフ出発。
ブルノを過ぎてから、右手に城らしき建物を発見。なかなか魅力ある建物だ。<Letovice>という駅の名前を確認した。いつかここに来ることがあるのだろうか?
15:33 パルドヴィッツェ駅到着。
次の電車まで構内で一休み。
ハラデツ行きの列車に乗り込む。列車は空いていた。
16:08 パルドヴィッツェ出発。
16:29 ハラデツ到着。構内の売店でトロリーのチケットを10枚買った。1枚15Kc。6番のトローリーに乗りペンションに向かう。
やっと着いた。突き当りを左折したらペンションだ。
新市街方面を少し歩いて、お腹を空かせてから夕食をとることに。
まずはやっぱりビールだね。黒の生ビールがなかったので、仕方なく壜ビールのコゼルを飲む。旅の無事を祝してカンパ~イ!!
まだ暑かったので、広場のオープンエアーに陣取る。
今日もサーモン
そしてサラダ、、、
こうして、ズノイモ5泊、ミクロフ5泊、計10泊。日本で用意した時刻表と地図だけを頼りに、言葉も通じない町を巡る無謀な夫婦二人旅は無事終了したのだった。ヨカッタ、ヨカッタ、、、
2011年11月14日 Posted by 臥游山人 at 15:11 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月21日> ③
簡単な昼食を済ませ、ヴァルチツェ・メスト駅の方向に歩くことにした。日本で調べた地図に、「Belvedere」という遺跡があったので、それを見てみたいと思った。

駅に向かう真っすぐな道。前回来た時は、道がこんなに綺麗に舗装されてなかった気がする。

ヴァルチツェ・メスト駅。駅を越して踏み切りを渡る。


踏み切りを渡るとすぐ左手にホテルがあった。それを過ぎると、程なく左に入る道がある。余り人の通った跡もない道で草が伸び放題だった。向こうに建物らしきものが見えるのだが、全く人の気配がなく、建物も荒廃している。なんとなく不気味さを感じたのか、カミさんが「やめようよ」と言うので、残念だったが町に戻ることにした。

噴水があった。

町に戻りワインショップを覗いていたら、ブルチャークがあったので、迷わず飲んでみる。でも、ズノイモやミクロフで飲んだブルチャークには遠く及ばず、甘みが薄く渋みもあった。でもここヴァルチツェも有名なワインの産地で、城の地下には広大なワインセラーがあるらしい。
ブルチャークの心地よい酔いを楽しみながら、ミクロフ行きのバスに乗るため列に並んだ。
14:17 ヴァルチツェ発
14:40 ミクロフ着 ホテルのすぐ側のバスストップで降りる。
ホテルで少し休憩を取り、明日のチケットを買うために駅まででかける。

駅の近くの住宅街から聖なる丘を眺める。

城の裏道を歩く。


真っ赤なバラが一輪咲いていた。

山羊の砦

小さな公園の噴水の横にあった彫刻。

中心広場

今日は結構観光客の姿を見ることが出来た。
快適だったミクロフ滞在も今日が最後の夜になる。ペテルと16時に落ち合い、一緒に夕食をとることにした。

サーモングリル

チーズフライ

ペテルの注文したものだが、なんだか分からなかった。

最後に食べた蜂蜜のケーキ。これは美味かった。
明日は十日ぶりにハラデツに戻る。あっという間だったな~。この町はカミさんも気に入ったようだから、きっと又来ることになるだろう。
しかし、オレの頭の中はそんな感慨よりも、ペテルからお土産に貰ったワイン6本、この大荷物を持って、どうやって駅まで歩こうか?そのことで一杯であった、、、
駅に向かう真っすぐな道。前回来た時は、道がこんなに綺麗に舗装されてなかった気がする。
ヴァルチツェ・メスト駅。駅を越して踏み切りを渡る。
踏み切りを渡るとすぐ左手にホテルがあった。それを過ぎると、程なく左に入る道がある。余り人の通った跡もない道で草が伸び放題だった。向こうに建物らしきものが見えるのだが、全く人の気配がなく、建物も荒廃している。なんとなく不気味さを感じたのか、カミさんが「やめようよ」と言うので、残念だったが町に戻ることにした。
噴水があった。
町に戻りワインショップを覗いていたら、ブルチャークがあったので、迷わず飲んでみる。でも、ズノイモやミクロフで飲んだブルチャークには遠く及ばず、甘みが薄く渋みもあった。でもここヴァルチツェも有名なワインの産地で、城の地下には広大なワインセラーがあるらしい。
ブルチャークの心地よい酔いを楽しみながら、ミクロフ行きのバスに乗るため列に並んだ。
14:17 ヴァルチツェ発
14:40 ミクロフ着 ホテルのすぐ側のバスストップで降りる。
ホテルで少し休憩を取り、明日のチケットを買うために駅まででかける。
駅の近くの住宅街から聖なる丘を眺める。
城の裏道を歩く。
真っ赤なバラが一輪咲いていた。
山羊の砦
小さな公園の噴水の横にあった彫刻。
中心広場
今日は結構観光客の姿を見ることが出来た。
快適だったミクロフ滞在も今日が最後の夜になる。ペテルと16時に落ち合い、一緒に夕食をとることにした。
サーモングリル
チーズフライ
ペテルの注文したものだが、なんだか分からなかった。
最後に食べた蜂蜜のケーキ。これは美味かった。
明日は十日ぶりにハラデツに戻る。あっという間だったな~。この町はカミさんも気に入ったようだから、きっと又来ることになるだろう。
しかし、オレの頭の中はそんな感慨よりも、ペテルからお土産に貰ったワイン6本、この大荷物を持って、どうやって駅まで歩こうか?そのことで一杯であった、、、
2011年11月12日 Posted by 臥游山人 at 15:34 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月21日> ②
ここから城の裏側に行ってみる。
古い貴重なレリーフがこんなにも簡単に展示されていた。
きっとこれも古いんだろうな~。
庭園の方から眺めた「ヴァルチツェ城」
こんな石像があちらこちらに、、、
まだまだ裏の方は修復が進んでいない。
庭園風景
こんな可愛い噴水があった。
裏の方から城を抜け町の方に出かけてみる。
聖母マリア教会。
修道院
余りお腹が空いてなかったので、パンを買って食べた、
2011年11月11日 Posted by 臥游山人 at 22:19 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月21日> ①
7:30起床。8:30朝食。
食堂から見える聖なる丘は、今日も違った表情を見せてくれる。

ゆっくりと食事をして、10時過ぎにホテルを出発する。今日は朝から快晴で気持ちがいいので、ミクロフ城をブラブラしながらバスの停留場に向かう。

正門から眺めるミクロフ城は実に堂々としている。


城から見える聖なる丘。

裏門から城を出る。この辺にシナゴーグがあり、ドイツ人が入植する前は相当数のユダヤ人が住んでいた。この町がドイツによって破壊されたのはそのためである。

今日は、昨日のレドニツェ城に引き続き、世界遺産「レドニツェとヴァルチツェの文化的景観」のヴァルチツェ城を見学に行く。
11:19分発、585番のバスに乗る。一人18Kc
11:39分、Valtice Besedni dom に到着。

スイスとオーストリアに挟まれた「リヒテンシュタイン公国」という小さな国がある。この国の君主はリヒテンシュタイン公であるが、その祖先は元々ハプスブルク家に仕える下級家臣であった。しかし、次第に頭角を現し、やがては数カ国にまたがり広大な領地を持つようになった。1806年、神聖ローマ帝国の崩壊後に独立国家の君主となり、更に1815年のウイーン会議後、ドイツ連邦に参加した。
ここモラヴィア地方もその領地で、歴代藩主の一人であるカール一世が「ヴァルチツェ城」 を居城と定め、この地に定住するようになった。1641年頃より元の城をバロック様式に改築しそれが現代まで伝わっている。
栄華を欲しいままにしていたリヒテンシュタイン家であるが、第二次世界大戦でドイツが敗戦し1945年のベネシュ布告で、土地財産を没収され国外追放となった。そのため度々チェコとリヒテンシュタイン公国の間で土地の返還を求めた訴訟が発生し、長年国交がなかった。
ヴァルチツェ城はそんな歴史を秘めた城なのである。

スヴォヴォダ広場に面した町並み。

ヴァルチツェの町役場。


広場から聖母マリア教会を望む。

ここから城に入る。

右に聖母マリア教会の尖塔が見える。

城の正面。この階段を登って城に進む。

階段を登った所に迫力ある二体の石像が建っている。

城を正面から望む。

城の入口

城の中庭。ここには観光客用のホテルがある。
食堂から見える聖なる丘は、今日も違った表情を見せてくれる。
ゆっくりと食事をして、10時過ぎにホテルを出発する。今日は朝から快晴で気持ちがいいので、ミクロフ城をブラブラしながらバスの停留場に向かう。
正門から眺めるミクロフ城は実に堂々としている。
城から見える聖なる丘。
裏門から城を出る。この辺にシナゴーグがあり、ドイツ人が入植する前は相当数のユダヤ人が住んでいた。この町がドイツによって破壊されたのはそのためである。
今日は、昨日のレドニツェ城に引き続き、世界遺産「レドニツェとヴァルチツェの文化的景観」のヴァルチツェ城を見学に行く。
11:19分発、585番のバスに乗る。一人18Kc
11:39分、Valtice Besedni dom に到着。
スイスとオーストリアに挟まれた「リヒテンシュタイン公国」という小さな国がある。この国の君主はリヒテンシュタイン公であるが、その祖先は元々ハプスブルク家に仕える下級家臣であった。しかし、次第に頭角を現し、やがては数カ国にまたがり広大な領地を持つようになった。1806年、神聖ローマ帝国の崩壊後に独立国家の君主となり、更に1815年のウイーン会議後、ドイツ連邦に参加した。
ここモラヴィア地方もその領地で、歴代藩主の一人であるカール一世が「ヴァルチツェ城」 を居城と定め、この地に定住するようになった。1641年頃より元の城をバロック様式に改築しそれが現代まで伝わっている。
栄華を欲しいままにしていたリヒテンシュタイン家であるが、第二次世界大戦でドイツが敗戦し1945年のベネシュ布告で、土地財産を没収され国外追放となった。そのため度々チェコとリヒテンシュタイン公国の間で土地の返還を求めた訴訟が発生し、長年国交がなかった。
ヴァルチツェ城はそんな歴史を秘めた城なのである。
スヴォヴォダ広場に面した町並み。
ヴァルチツェの町役場。
広場から聖母マリア教会を望む。
ここから城に入る。
右に聖母マリア教会の尖塔が見える。
城の正面。この階段を登って城に進む。
階段を登った所に迫力ある二体の石像が建っている。
城を正面から望む。
城の入口
城の中庭。ここには観光客用のホテルがある。
2011年11月10日 Posted by 臥游山人 at 21:28 │Comments(0) │旅行記
チェコ紀行2011 <9月20日> ②
その後就任したリヒテンシュタイン家カール一世が、ヴァルチツェ城を居城とした為、この城は夏の離宮となった。広い領地の中には様々な建築物があり、城主が狩りを楽しみながら泊まり歩いたのだろう。


レドニツェ城の前景

城の正面にはこのような庭園があり、季節ごとに綺麗な花が植えられている。



城の横に、熱帯植物を集めた植物園がある。


前回来た時に城内ツアーで城を見学してるので、今回は植物園に入ることにした。 入園料一人40Kc


可愛い「ガーゴイル」があった。

城の教会内部

少し寒かったので広場に戻り、カフェで暖かい飲み物とケーキを食べた。時刻表を見たら14:30発のバスがあったので、早めにミクロフに戻ることにする。

15:24ミクロフ着。聖なる丘が霞んで見える。

暫く部屋で休憩してから食事に向かう。雨の為、今日もホテルのレストランで食べる。地元のワインを少々、、、

前菜は冷製のフォアグラだった。これをパンにぬって食べる。

羊肉のステーキ、シャンピニオンソース添え。

雨が止んでいたので、食後町に出てみる。ライトアップされたミクロフ城。

町に人の姿も見えないので、ホテルに戻る。
明日はヴァルチツェ城を見に行く。
レドニツェ城の前景
城の正面にはこのような庭園があり、季節ごとに綺麗な花が植えられている。
城の横に、熱帯植物を集めた植物園がある。
前回来た時に城内ツアーで城を見学してるので、今回は植物園に入ることにした。 入園料一人40Kc
可愛い「ガーゴイル」があった。
城の教会内部
少し寒かったので広場に戻り、カフェで暖かい飲み物とケーキを食べた。時刻表を見たら14:30発のバスがあったので、早めにミクロフに戻ることにする。
15:24ミクロフ着。聖なる丘が霞んで見える。
暫く部屋で休憩してから食事に向かう。雨の為、今日もホテルのレストランで食べる。地元のワインを少々、、、
前菜は冷製のフォアグラだった。これをパンにぬって食べる。
羊肉のステーキ、シャンピニオンソース添え。
雨が止んでいたので、食後町に出てみる。ライトアップされたミクロフ城。
町に人の姿も見えないので、ホテルに戻る。
明日はヴァルチツェ城を見に行く。