オレの人生 ケ・セラセラ!!

今日で2月も終わり。さあ来週から忙しくなるゾ~~。ヤングカレッジ教養講座の募集受付が始まる。3月3日、4日、5日の三日間、清水の産業情報プラザで直接受け付けがある。

それが終われば、電話、ファクス、メールでの受付。今まで22教室だったのが25教室に増えた。増えたのは「簡単手作りスイーツ」「トークタイム英会話」「かっぽれ」の三教室。

「かっぽれ」は直接かっぽれ家元の櫻川ぴん助が教えてくれることになった。本当に家元がこんな安い受講料で教えてくれるの?と思われるかも知れないけど、そこはオレとぴんちゃんの仲だ。ホントにやってくれるそうだ。出来る限り教室に顔を出すと言ってるので、本家本元の「KAPPORE FUNK」を習いたい人にはたまらない教室になる筈だよ。

受講生募集と並行して後援会員の募集も始まった。これは、所謂ヤングカレッジのサポーターである。清水商工会議所の後押しもあって、年々企業の会員が増えているのだが、今年は一寸厳しくなりそうだ。こんな時期だからね・・・

4月に開講式があり、その時に協立電機の西社長に記念講演をしてもらう。西さんはM&Aの権威で、会社を買収しながら世界中にネットワークを広げている。その一方でワインに関してソムリエ顔負けの知識を持っているので、そんな話も聞けるのかなと期待している。

そして5月には老人ホームの慰問がある。オレは何をやるにも先ず楽しいことから、という根っからの楽観主義者なので、今年は地下鉄漫才で一世を風靡した春日三球さんに来てもらうよ。そして昼食は、お馴染み清水の「末廣鮨」の寿司を食べてもらう。勿論親方も参加してくれるよ。三球さんも末廣の親方もオレの趣旨に賛同してくれる。ホントに有難いね。

6月には、急遽決まったんだけど江尻交流館にマジシャンのケン正木さんを迎えて「やんかれセミナー」を行う。ケンさんはこれまたオレのマイミクなんだけど、社団法人日本奇術協会専務理事というエライ肩書き持ってるんだ。

皇后さんの還暦のお祝いに招かれ、皇后さんの前で30分も奇術を演じたり、小林幸子や綾小路きみまろと全国ツアーで廻ったり、Mrマリックの超魔術団旗揚公演に参加するなど、日本を代表するマジシャンだ。そのうち参加者募集始めるけど、これは見ないと損だよ。入場料は無料だよ。

8月には恒例のみなと祭りの総踊りにヤングカレッジが参加する。これはオレには無理なので、若いもんに任せてオレは高みの見物を決め込むよ。この時は外国の人にも参加を呼びかけるので、色々の国の人が参加してくれる。お揃いの青いTシャツを着て、楽しく踊りながら国際交流をする。ヤングカレッジが弾ける瞬間だ。

というような訳で、「お前はいつ仕事をやるんだ?」といわれそうだけど、オレだってプロだからね。今年の11月には間違いなく展覧会をやるよ。

その前に、明日はさがみ三太師匠と修善寺温泉で待ち合わせだ。何をするんだって??今は言えないね。しかし、こんなことしてて本当にいいのかな?自分でもちょい不安になるけど、まぁ、何とかなるさ。オレの人生ケ・セラセラ!!
  


2009年02月28日 Posted by 臥游山人 at 16:11Comments(0)NPO法人ヤングカレッジ

踊る!さんま御殿!!

「踊る!さんま御殿!!」にロケット団が出演していた。所謂吉本興業のお笑いと違い、浅草で鍛えられた実力派の漫才で、「ナイツ」「宮田陽・昇」「ホンキートンク」らと若手漫才四天王として今まさに脚光を浴び始めた。




「ナイツ」のほうがM-1で先に名が売れてしまった感もするが、「ロケット団」だって文化庁芸術祭新人賞、浅草芸能大賞新人賞を受賞した逸材だ。まだテレビには余り出演していないが、寄席の世界ではもう既に超売れっ子で、お茶の間の人気者になるのももうすぐだとオレは確信している。







「沖縄対東北」と題した今日のテレビでは、残念ながら沖縄勢にすっかりお株を奪われ余り活躍できなかったが、その辺も人の好い東北人の特徴が出ているナ~と思えた。でも山形弁をネタにした本芸は圧巻で、大いに笑わせてくれるよ。




そう!「ロケット団」の三浦君とオレは同じ山形生まれなのだ。ミクシーでマイミクにもなっている。そして、先日亡くなったダーリンこと前田隣師匠が一番可愛がっていた若手がその三浦君だった。

前田隣師匠が亡くなってきっとガックリしてるだろうと思い、オレは彼にメールを送った。彼からこんな返事が返ってきた。

ご心配いただきましてどうもありがとうございます!
亡くなる前の先週会っていてほんとに良かったです。
あんなカッコイイジジイになれるように、精進いたします。
お世話になってばっかりだったので、いつか恩返ししたいと思います!


まだまだジジイになるまで時間がたっぷりあるよ三浦君!きっとダーリン師匠は君に芸人魂を伝授して、思い残すことなく後を託して黄泉に旅立ったんだよ。






  在りし日の前田隣師匠~浅草東洋館・にこにこ大会~


尊敬する師匠が亡くなって、間髪入れずに天下のさんま御殿に出演できた。天はなかなか味な演出をするナ・・・と思った。

皆さん、これからの「ロケット団」注目して下さい。



  


2009年02月24日 Posted by 臥游山人 at 22:26Comments(0)交遊録

前田隣逝く・・・

今、ビッグボーイズのなべかずおから、オレのマイミクでもある、前田隣師匠が亡くなったという電話があった。

前田隣師匠は、ナンセンストリオから脱退し、末期癌の余命宣告を受けながらも舞台に立ち続け、ピン芸人として浅草で復活した。若手芸人から生きた伝説の如く信奉されていて、その生き様はマスコミでも取り上げられ、人生の最後に大輪の花をまさに咲かせようとしたその刹那に、昨年の3月、脳血栓で倒れてしまった。

6月にさがみ三太師匠と一緒に築地の病院まで見舞いに行った時も、三太師匠の顔が分からないと言ってたので、オレは心配でならなかった。しかしその後、一時的に退院を果たし、若しかしたら舞台復帰が出来るのでは・・・という期待感が流れたが、又発作を起こし、入退院を繰り返すことになる。

暮れにオレの友人が作ったちりめん山椒を送ったら、奥さんのノリローさんから「おかげ様で主人はモリモリご飯を食べています」と御礼のメールが入った。オレは心の中で、奇跡の復活を祈っていたのだが・・・残念、無念でならない・・・

又、昭和の芸人が消えていった・・・

ダーリン(前田隣)さん、お疲れ様でした。安らかにお眠り下さい。

ノリローさん、あなたの周りには支えてくれる人が沢山います。泣きたいだけ泣いて、そして一日も早く立ち直ってください。
  


2009年02月19日 Posted by 臥游山人 at 20:21Comments(0)交遊録

「開運」蔵出しの会2009

今日は年に一度の「開運」蔵出しの会で、掛川市にある土居酒造場まで出掛けた。この会は静岡市の経済界の人たちが「開運」の新酒を楽しみながら交流を深めようという趣旨で始まり、今年で十回目になる。

何故かオレもその端くれに加えてもらい、毎年参加させてもらっている。今年もはごろもフーズの後藤会長の車に便乗させてもらい会場に向かった。土井社長の自宅の広間を解放してもらうのだが、毎年参加者が増え今年は39名になった。




全員そろって集合写真を撮った後、みんなで会場設営を手伝い、いよいよ会のスタートだ。酒のつまみと寿司は清水の末廣鮨が毎年用意してくれる。今年も親方始め息子のユキマサ君など4人が来てくれた。




この会は、三菱商事の支店長が世話人となり開催される。始めに土井社長が挨拶し、末廣の親方の乾杯で会がスタートした。テーブルには五種類ほどの新酒が並んだ。最初はそれぞれ飲み比べていたが、4,5杯目ぐらいからもうどうでも良くなってしまう。何年か前までは瓶がすぐからっぽになってしまいお代わりをしたもんだが、悲しいけれどペースが軒並み落ちてきた。オレ達のテーブルはアラ還ばかりだ。一番若いのが静鉄社長酒井さんの55歳かな?








今日初めて参加した人の挨拶が始まった。NHK静岡局長の広瀬さん、キリンビール支社長の西尾さん、TOKAI会長の鴇田さん、エスパルス社長の早川さん、静岡瓦斯社長の岩崎さん、毎日新聞支局長の照山さんなど、話し慣れてる人ばかりだから会場が大いに盛り上がる。











そこで、全員に少しずつ話をしてもらおうということになり順番に話し始めた。オレも立ち上がって話をしたが誰も話を聴いちゃいない。酒が入ってるので収拾がつかなくなり途中で頓挫してしまった。これだけ日本酒を飲んじゃったらどうしようもないね。


それでも最後にこの会の最長老、86歳の山崎さんが挨拶すると会場は静かになった。お茶関係の仕事をしている山崎さんは毎日30杯のお茶を飲んでるそうだ。酒の会なのに、お茶を沢山飲んで又来年元気で会いましょう!という〆の挨拶に一同大笑いし、最後にピーエーシー社長の柴山さんの一本締めで今年の会が終了した。

帰りも後藤会長の車で清水に戻った。さてさて来年もこの会は続くのだろうか?それを考えると夜も眠れなくなっちゃう。これは春日三球さんの持ちネタだけど、5月の老人ホーム慰問に三球さんに来てもらうよ。そして寿司は末廣鮨にお願いするよ。今日親方にお願いしたら協力約束してくれたよ。



  


2009年02月18日 Posted by 臥游山人 at 23:56Comments(0)交遊録

Yさん

同じ町内にYさんという人がいる。うちのカミさんが20年程前に町内会の役員をしていて、その時何かとお世話になったのが縁でオレも時々お会いするようになった。といっても、その程度の付き合いだった。

それが・・・オレがヤングカレッジを立ち上げてから、色々な事業を記録に残したいと思い、Yさんが写真やビデオに詳しいと聞き、お願いするようになった。若い時に船乗りだったそうで、歳は70半ばを越えているだろう。痩躯ではあるが元気いっぱい、好奇心旺盛の、魅力のあるジーさんだった。

オレは、三月のヤングカレッジの次期受講生受付の時に大きなスクリーンに各教室の受講風景を映したいと思い、Yさんに相談したらその撮影を買って出てくれた。そこで先週からYさんが各講座を回って、自慢のカメラで撮影を開始した。ちょくちょく家にも顔を出して報告もしてくれた。

先週の木曜に船越の交流館で一緒になった。色々な教室を駆け廻りながら楽しそうに撮影をし、その映像をオレに見せながら構想を話してくれた。家に帰って編集をするのが楽しくて気がついたら夜中になってしまうこともあるそうだ。

オレは先に帰ろうと歩き出したら、Yさんが自転車で追いついてきて二人で歩きながら話をした。奥さんに先立たれたが、子供も自立したので一人暮らしをしている。それがかえって気楽らしく、町内の世話をしたりボランティアをしたりしてまさに人生を楽しんでいる。

最近買った電機自転車が気に入ったらしく、「これで近々焼津まで行ってこようかな」なんて言っていた。「Yさん、いいね~~楽しそうで。それに元気で羨ましいよ」そう言ってオレはYさんと別れた。

最近いやなジジーばかり目に付いて嫌気が差していたのだが、こんなジジーならいいなと思った。オレもこんなジジーになりたいなとホントにそう思った。

それが、、、、、次の日Yさんが亡くなった。夜、風呂に入っていてそのまま息を引き取ったのだそうだ。その知らせを受けてオレは絶句した。あんなに元気だったのに・・・何故??・・・何十年もかかってやっと仲良くなれたのに・・・

風呂で亡くなる時は苦しまないと聞いている。享年78歳、早い旅立ちでもないだろう。いずれオレも行くよ。今生で余り深い付き合いが出来なかったけど、、、Yさん!オレがあちらに行ったら笑顔で迎えてくださいよ。

今夜はYさんに一献差し上げようと思っている・・・
  


2009年02月15日 Posted by 臥游山人 at 22:13Comments(0)NPO法人ヤングカレッジ

あれ~~??

一気に政局動き出したぞ~~。


アソー退陣近いのかな~~??


解散は出来ないだろうから、


次は誰なんだ・・・??


コイ・・・・・??


いや、いや、、、



季節はずれに出るなよ、お化け・・・


  


2009年02月12日 Posted by 臥游山人 at 22:40Comments(0)日々雑感

チャンス青木

昨夜「99+」というバラエティ番組を見ていたら、売り出し中の「ナイツ」が出ていた。ナイツの二人が結婚するので、浅草の芸人が祝福の言葉をかけるというものだった。観ていると見慣れた顔が出てきた。チャンス青木さんだった。もう40年の芸暦があるのにかなり緊張してるのが手に取るように分かる。ハラハラしながらもほのぼのした気持ちになった。

チャンスさんと初めて会ったのは20年近く前になる。青空うれし師匠と行ったサンフランシスコ・ロサンゼルスの旅で一緒だった。彼は、人見知りでシャイでおおよそ芸人らしからぬ性格なので、初日は殆ど会話しなかった。二日目に事件(?)があった。



行きの飛行機の中で、中央がチャンスさん、左は声帯模写の伏見知か志さん

ホテルを出発したバスの中でなにやらブツブツとすこぶる機嫌が悪い。聞いてみると朝の食事に誰も誘ってくれなかったらしい。海外が初めてなので言葉も分からず、その上アメリカは怖いゾと脅されてきたらしく、ホテルから一歩も出れなかったそうだ。「みんな冷て~な~!」としきりに言っていた。

次の朝、一番でオレは彼の部屋をノックし、朝食に誘った。帰りにスーパーにも寄り、買い方を教えた。それが嬉しかったのか、それから一気に仲良くなり、次のラスベガス旅行も一緒した。

ロスのファーマーズ・マーケットに行った時、一緒にフィッシュ&チップスを食べてゴミを捨てようとしたら、チャンスさんがみんなのゴミを集めて「私が捨ててきます」と近くにあった緑色の木箱に捨ててきた。



ファーマーズ・マーケットで春日三球さんとチャンスさん

その時「オ~!ノ~!!」と女性の甲高い声がした。見ると白人のおばあちゃんがその木箱を指差して怒っている。何とそれはショッピングカートだった。チャンスさん、土下座をせんばかりに「アイム ソ~リ~」を連発してる。おばあちゃんはチャンスさんのあまりに必死の形相に気味が悪くなったのか小走りに駆け出した。それを追ってチャンスさん「ソ~リ~、ソ~リ~」の連発だ。市場中、爆笑の渦に巻き込まれた。オレも笑いすぎて腹が痛くなっちゃったよ。



問題のショッピングカートとチャンスさん

こんな人なのでチャンスさんを悪く言う人はいない。もともと「Wけんじ」の弟子として「Wチャンス」という芸名でコンビを組んでいたのだが、1983年にコンビを解消し青木チャンスで漫談をやってきた。それが、何を思ったのか2年ほど前に芸名を「チャンス青木」に変えた。

若手から慕われ、先輩から可愛がられ、今では浅草の主のような存在になった。若手が追い越していってもいやな顔ひとつしないで祝福してあげる。それなのに一向に芸人として花が咲かない。根が真面目で小心者で、恥ずかしがりやの人見知りときてる。それじゃぁ芸人にならなきゃいいのにと思うんだけど、好きなんだね~、芸人の世界が・・・

オレはこんなチャンスさんが大好きだ。この頃は年に数度しか会えなくなったが、浅草に行けば必ず楽屋に顔を出して挨拶してくるようにしている。行けば、出番を控えて緊張のため青ざめた顔をしたチャンスさんが、「や~!」と親指を突き出して出迎えてくれる。

ね~、もうそろそろ名前のように「チャンス」をモノにしようぜ。それとも「ピンチ青木」に芸名変える??みんなこんなチャンスさんを応援して下さいよ。


  


2009年02月11日 Posted by 臥游山人 at 15:58Comments(0)交遊録

さがみ三太見参!!

三太師匠と会うのは四ヶ月ぶりぐらいになるだろうか?師匠が静岡にいた時はしょっちゅう会っていたんだけどね。去年の9月に東京に戻ってしまったので前のように一緒に飲む機会がなくなってホントに淋しくなった。

自分で車を運転して夕方六時頃我家に無事到着した。師匠には来るなりすぐ風呂に入ってもらい、続けてオレも入浴を済ませる。さあ、これでゆっくり飲めるゾ。

今日は金目鯛と、ずっしり重くてでかい生のズワイガニが手に入ったので、我家自慢の寄せ鍋にしてみた。味付けは勿論オレの担当。薄味の品のいい味付けが出来た。というより素材がいいので誰がやっても美味くなるよ。




師匠もオレもビールは封印して、「正春」という35度の芋焼酎で乾杯をした。師匠かなり不器用だけど、実に美味そうに食べてくれる。そして最後は雑炊の出番だ。これがまた美味いんだ。師匠、珍しく二杯も食べちゃったよ。




ここで、きくちゃん夫婦の登場。狭い我家が一気に賑やかになった。酒は和歌山の「功の鷹」の新酒を開けた。次から次へと話に花が咲き、日付が変わった。明日は特に用事もないし、いいか~~ってな訳で、そのまま宴会続行。気がついたら朝の5時だった。




師匠もオレもそのままぐっすり眠り、起きたのが昼の12時半。師匠はオレの散歩に付き合ってくれた。2時前に帰宅。カミさんに、きくちゃんのご主人が打ってくれた蕎麦を茹でてもらい昼食にする。師匠、「ウマイ、ウマイ」と大喜びして結構食べたな~。やっぱり蕎麦は美味いよ。それに手打ちだもん。

実は今回師匠が清水に来たのには理由があった。去年NPO法人の老人ホーム慰問で、師匠に頼んで牧伸二師匠や、内海桂子師匠に出演してもらったんだけど、それを知った清水のある団体から連絡があり、内海桂子師匠を呼んで欲しいと頼まれた。早速三太師匠に電話をしたら、「俺も行ってやるよ」ということになり、内海師匠と三太師匠、二人の豪華な顔ぶれが揃うことになった。その打ち合わせが今日あった。







3時にその団体の役員にウチに来てもらった。そうしたら、もうひとつおまけがついちゃったよ。師匠、本格的に浪曲をうなってくれそうだよ。曲師の澤村豊子師匠も連れてきてくれるそうだ。オレも何回か見せてもらったことがあるけど、これは迫力があるよ。8月にやるけど、オレも当日裏からコッソリ見せてもらっちゃおう。

師匠は6時に沼津で人と会う約束があるらしくて、5時に出発した。昨日あれだけ飲んだのに元気なもんだよ。もっともっと舞台をやって欲しいと思うんだけど、師匠は何やら思うところがあるらしい。最近の芸人や、メディアにかなり失望しているようだ。「孤島巡りをしながら、島の人たちにオレの芸を楽しんでもらいたいな~、勿論ボランティアでやるよ」と、会う度オレに言うようになった。

師匠の気持ちに嘘はない。いつかきっと行動に移すに違いない。でもな~、オレは清水に住んでもらいたかったんだよな~。師匠のボランティアの拠点を清水につくり、師匠に協力してもらって全国に発信できるような「何か」をやりたかったな~。アイデアはいっぱいあったんだけどな~。しゃ~ない、縁がなかったんだよ・・・



  


2009年02月09日 Posted by 臥游山人 at 21:07Comments(0)交遊録

ジジー公害 (2)

この前のアソー発言にはホントに驚いちゃったよ。自分が総務大臣として内閣の一員でありながら、「実は郵政民営化には反対だった」と、国民注視の委員会でのうのうと言っちゃうんだもんナ~~。それにヘーゾーがやったことだと、責任転嫁までしてみせた。

オレはかねがね、若者達がこの国の将来に夢が持てなくなり、絶望や悲観から政治も経済も立ちいかなくなり、そこから国の滅亡が始まるんじゃないかと恐れていたけど、どうも違うようだ。若者よりジジー共がおかしくなっている。

ジジー共が国を滅ぼし始めている気がする。オリックスの宮内CEOも、野球の球団を持ったり政府の委員などを務めたり富も名誉も手に入れたんだから、国を思う気持ちで余生を送るのかと思ったらこの有様だ。所詮町の金貸しとなんら変わらないことが分かった。哲学や品性の一片も感じられない。

キャノンやトヨタにしてもそうだ。派遣労働者を酷使して儲けるだけ儲けて、旗色が悪くなれば遠慮会釈もなしにぶった切る。義理も人情もあったもんじゃない。経団連や同友会のトップとして、いい時は、人の道なんか説いていたんじゃないのか?

スキャンダルだらけのセージカ、己の欲得しか眼中に無いカンリョー、下手すりゃ国をも売りかねないザイカイジン、一日も早くこんなジジー共に引っ込んでもらって国を立て直さないと、取り返しもつかないことになっちゃうぞ。



  


2009年02月07日 Posted by 臥游山人 at 21:00Comments(0)日々雑感

セージカとカンリョー

「え~い無礼者、そこになおれ!即刻打ち首にしてやる!!」世が世ならこんな風に断罪されたであろうが、何とも情けないね~~。ソ~リもデ~ジンも官僚に甘く見られているから、一国のソーリが主宰する会合に人事院総裁が欠席しても、直接叱責することも出来ずに遠吠えしているだけだ。

セージカとカンリョー、一体どっちが偉いんだい?セージカは議員立法もままならず、答弁にしてもヤクニンの書いた原稿を棒読みばかりが目に付く。国会は隔靴掻痒の議論のすれ違いで、相手が絶句するほどの核心を突く質問は無い。きっとセージカたちは立場が逆になっても同じようなことをやっているんだろうな。

人事院総裁が、今回の件で「公務員の中立性が保てなくなる」と言っていたが、よく言うよ。確かに地方では真面目に仕事をしてる公務員も多い。しかし、残念ながら霞ヶ関のカンリョーどもは時の政権与党と大企業にべったり擦り寄り、己の保身と利権の拡大しか視野にない。

だから薬禍問題や年金問題が起きてもまるで無関心だ。いや、その裏で自分達の年金だけは磐石のシステムにしているよ。下々の庶民がいくら辛く悔しい思いをしていても、鉄火面のようにつめたい対応しかできない。

そして自分達の権利だけは最大限主張し、国民の知らないところで、都合のいいルールを作ってしまう。「渡り」や「早期退職」のシステムもそうだ。民間では、同期が出世して悔しい思いをしても、我慢して勤めを続けているんだよ。ヤクニンだって定年まで仕事をすればいいんだよ。そうすりゃ、こんなに血眼になって天下り先を増やす必要もないだろう。

セージカはこんなヤクニンをうまく利用してると思ってるに違いない。持ちつ持たれずで、飴玉をしゃぶってきたと思っているんだろう。でも、したたかなヤクニンに手のひらで転がされ続けてきたんだよね。だから、いくら問題が起きても国民目線で決着することはなく、いつもヤクニンは責任を追及されずに玉虫色の決着だ。

しかし今回は余りの支持率低下に内閣も驚いたんだろうね。このままでは最低の内閣の一員と烙印を押されるのを恐れたデージンが、お気楽ソーリに詰め寄って方針を転換させたようだ。でもアソーさん、ことの重大さを分かってるかね?裏で、総務省が入れ知恵してるとの憶測も流れているし、結局ヤクニンの手のひらの中か・・・奸計は益々したたかで巧妙になっていく。 そして政権が変われば手のひらを返して新政権に擦り寄っていくだろう。

そういえば、世間では少年の心を持った大人がもてているそうだ。でも良く考えてごらんよ。大人というのは、しっかりした判断力を持った大人の心を持ってなくてはいけないんだよ。どこかのマスコミが創り出したキャッチフレーズに乗せられているから、年をとっても漫画ばかり見て、ろくに漢字も読めない大人が増えていくんだよ。



  


2009年02月04日 Posted by 臥游山人 at 20:10Comments(0)日々雑感

頭の中は・・・

昨日は窯焚きのために徹夜し、夜、窯の火を止めてからゆっくり風呂に入った。風呂上りに梅酒の水割りを一杯だけ飲んだら眠くなり、そのまま朝まで9時間ほどぐっすり寝れた。可愛いもんだ。若いときゃぁそのまま街に繰り出し、朝まで飲みまくったもんだ。・・・そして二日酔い・・・こんなことの繰り返しだったな~~。

日課の散歩をしてたら目に付いたことがある。あちらこちらで梅の花が咲き出した。しだれ梅、白梅、紅梅。何だよ何だよ、もうそこまで春が来てるじゃないか?富士山は残念ながら姿を表していなかったが、ココロがちょっぴり軽く、暖かくなった気がした。

Oさんから電話があった。まだ車椅子の生活のようだけど、声には張りがあったので一安心した。「ちょっとあげたいものがあるからいらっしゃい」との嬉しい電話だった。早速カミさんが手作りのイチゴと橙のジャムを持ってOさんの家に向かった。





やった~!!今年も貰ったよ。上海蟹の酔っ払い蟹を。生きてる蟹を紹興酒に漬け込んだものだけど、これが酒のつまみに最高なんだよね。それも雌ばかりだ。これが最高にうまいんだけど、最高に悪いんだよね、痛風に・・・





そして、酒も二本いただいた。「菊姫」の濁り酒と、「ねのひ」の金賞受賞の大吟醸酒だった。もう頭の中は今晩のことで一杯。やっぱり季節ものだし、今晩は濁り酒だよな~~。蟹は濃厚だから、もう一品さっぱりしたつまみも欲しいな~~。





この前医者に行ったら、中性脂肪と、高コレステロールを注意されたばかりなのに、もう頭の中は・・・何て奴だ、、、オレって奴は、、、



  


2009年02月02日 Posted by 臥游山人 at 14:21Comments(0)メタボの素

今年は個展をやるよ

オレ、あんまり目的や予定を立てるの苦手な人間だけど、今年はこれだけは絶対やらなきゃと思っていることがひとつだけある。それは個展。考えてみるとこの二年個展をやってないんだよね。18歳で修業を始め、26歳で自立。それからガムシャラに生きてきた。




お声がかかればあちこちのデパートの画廊や、街のギャラリーで年に2~3回の個展をやってきて、回数も60回を軽く越えたと思う。・・・それが、50歳を過ぎた頃から個展の回数が減ってきてるんだよナ~~。




ある時、自分の中にもう一人の自分が現れてきてこう言うんだよ。「そろそろ休んでみたら?他の世界もチョッと覗いてみろよ」確かにオレはこれまで陶芸一筋の人生だった。一回たりとも給料やボーナスなんか貰ったこともない。逆言えば、才能も無いオレが挫折せずに40年もやってこれたのは運が良かったということなのだろう。




いや、本音を言うと、沢山の人の善意と愛情に支えられたからこそここまでやってこれたんだ。だから少し寄り道したくなったんだよ。ちょうどNPOのことなどもあり、まだエネルギーのあるうちに少しぐらい世のためになることもやりたかった。世の中にお返しをしとかないと、先々に後悔が残るからね。




その間、経済的にもカミさんに随分迷惑を掛けた。先輩や友人達からも「個展いつやるの?」と、愛情と激励のこもった質問があちらからこちらから突き刺さってきた。みんな本当に心配してくれているんだよね。その気持ちは痛いほど分かるけど、まだまだNPOも完全に人に任せられるほど自立できていない。

「もう少し待ってよ」と言いながらダラダラと月日が流れ、今年オレは還暦を迎える。もう待ったは効かない。だから今年は個展をやりますよ!!いや、やるよ~~。時期は11月。会場はオレの友人の陶器店。弟子と二人展になると思う。この世界じゃオレの歳なんざ~まだまだヒヨッコ扱いだけど、ボチボチ本職に戻る準備を始めるよ。

2時から窯に火をつけるので、今日は徹夜だ~~。


  


2009年02月01日 Posted by 臥游山人 at 01:48Comments(0)松韻窯陶房