あにさん


今朝、声帯模写の鯉川のぼる師匠から電話があった。師匠と私は義理の兄弟の契り(?)を結んだ仲なので、私にとってはあにさんになる。鯉川のあにさんは、古くは鶴田浩二の物真似で一世を風靡し、初代の物真似四天王の1人に数えられていた。今は漢字が読めなかった元首相の物真似が秀逸だ。


あにさんも十数年前に大病を乗り越えたので、その経験を教えてくれながら私を励ましてくれる。「いつか、二人で又美味しい酒を飲もうね」と約束して電話を切ったが、元気になったら、一体何人と酒を飲むことになるんだろう?嬉しいやら、怖いやら、、、

今日は体調はいいのだけど、朝から立ちくらみがする。前のように昏倒しないように気をつけねば。昼から友人の理容院に行く。髪を切ってもらってすっきりしよう!!
  


2014年07月30日 Posted by 臥游山人 at 11:36Comments(0)交遊録

月光

病気になってから、とみに人の心の有難さに触れる機会が多くなった。こんなつまらない男のことを色々と気遣ってくれる。本当にありがたい。

今日はTさんからプラム“月光”が届いた。それも何と6箱。きっとお世話になっている方々にも配りなさいという心遣いだと思う。



昨日摘んだものらしくまだ成熟していないが、赤みの多いものを一つ食べてみた。甘い。“月光”は新種のプラムだから余り知られていないけど、プラムとしてはかなり高価な果物になる。暫く楽しめそうだ。



最近少しずつ食欲が出てきたように感じる。暖かい人たちの気持ちに応えられるように、焦らず、少しずつ体力を取り戻したいな~。
  


2014年07月26日 Posted by 臥游山人 at 16:02Comments(0)日々雑感

さよならは言わない


「ラブユー東京」「さそり座の女」など、数々の名曲を送り出した作曲家の中川博之先生が6月に亡くなられた。

今年作曲家生活50年を迎え、記念リサイタルを行うという話も伺っていただけに、突然の訃報に愕然とした。無性に悲しい。まだ先生の逝去を受け止められないでいる。

先生とは25年を越える交遊で、時々清水にも出かけて頂いたり、私が東京に行ったり、その都度、カラオケをご一緒させて頂いた。先生は誰にも優しく、そしてサービス精神に溢れていた。元々歌手を目指していたので、歌は抜群にうまい。次から次と自分が作曲した歌を歌ってくれた。


一回り年上なのに、こんな貧乏陶芸家の私などにも「先生」と呼んでくれ、常に気配りをしていただいた。何よりも友達を大事にするロマンチストだった。徹底して権威を嫌い、弱い人々を優しく包み込む、それが中川メロディだった。

そして今日、とうとう「お別れの会」の通知が届いた。7月30日、会場は帝国ホテル孔雀の間。私は行かない。いや、行けない。その頃、まだ体調は万全ではないだろうから、、、

でも先生、私は先生と別れないよ。ずっと私の心の中に先生は住んでいるよ。



  


2014年07月10日 Posted by 臥游山人 at 16:40Comments(0)交遊録

これってオノロケ???


県立総合病院での検査も大体終了し、医師からも症状の説明を受けた。確かその二日後、4月10日頃だったと記憶している。

私は布団に横たわっていた。家内も入浴を済ませ、寝る支度を始めた頃、私は出来るだけの笑顔と明るい声で家内に話しかけた。「一緒になって40年以上になるけど、オレ、本当に楽しかったよ。又生まれ変われたらお前と一緒になりたいな〜」普通ならこんな会話は絶対にしないのに、この日は自然に話せた。

すると間髪入れずに「私もよ」という答えが返ってきた。家内も笑顔だった。そして続けて、「でも、もうちょっと長生きして頂戴」と付け加えた。嬉しかった。

この頃が、自分の命というものを今までの人生で一番意識した時期だったと思う。それだけに、余計に家内の言葉が嬉しかった。これで気持ちがスッと楽になったような気がした。

9時間に及ぶ手術、その後の言葉にならない程のリハビリ。それも家内の言葉で乗り越えられた気がする。そして今、1年に及ぶ抗がん剤の服用が始まった。副作用もいろいろ出てくる。その都度私の顔は仏頂面になる。きっと家内だって辛い気持ちになっているはずだ。

でも家内は愚痴も言わず、笑顔で私を支え続けていてくれる。だから私は今、体全体を家内の愛情に包み込まれて生きている、、、

これって、オノロケかな???





  


2014年07月02日 Posted by 臥游山人 at 14:59Comments(0)日々雑感