孤高の鴨

食べそびれた食パンが一斤あったので、それを持って朝の散歩に出かけた。ここのところ散歩していても何となく気が重かったが、今朝は久しぶりに気持ちが清清しい。実は義母の容態が少し安定したので、カミさんが昨日二週間ぶりに東京から戻ってきた。

船越堤には毎年渡り鳥が飛来して冬の間羽を休めている。その鳥達にパンを与えようと思ったのだ。どこから飛んでくるのか分からないが、こんな小さな池に毎年飛んできて市民の目を楽しませてくれる。少しは御礼しなくちゃね。



池に着いたら先客がいた。オレくらいの歳のおじさんだが、食パンを何斤も袋に入れて持ってきていた。見ているとスライスしたパンをフリスビーのように見事に狙ったところに投げ込む。上手いもんだ。こりゃ~かなり慣れてるね。オレも負けずにちぎったパンを投げてみるが、遠くまでは届かない。

鴨の種類はマガモとキンクロハジロのようだが、こうして毎日パンを貰っている筈なのに、ある一定の距離からは決して近づかない。結界を張っているのだ。やっぱり野生だ。そのうち近くに落ちたパンを狙って巨大な鯉が集まりだした。立ち泳ぎしながら鯉が次々とオレの投げたパンを大きな口で吸い込んでいる。



ふと見ると、離れたところで二羽の鴨がピクリともせずに悠然と浮かんでいる。オレ達の投げるパンに全く興味を示さず、他所を向いたまま毅然と孤高を囲っている。いや~、鴨にもいるんだな~、オレみたいに群れないヤツが、、、立派なもんだ。

一人得心していたら、隣のおじさんがオレの気持ちを見透かしたように一言、「あの二羽はね、人間に相当虐められたんだよ」。ん、、、そうかも知れないけど、、、そう思いたくないな~。

船越堤を抜けたところに小さな川がある。こんなところにも近年蛍が飛ぶようになったそうだ。それを隠れて網で捕っていくヤツがいるらしい。そんな事を考えながら歩いていたら目の前を翡翠色の小鳥が横切った。

カワセミだ!!間違いない。いるんだ、こんなところに。この前はカルガモを4羽見た。そういえば最近小魚の姿もチラホラ見えてきた。それなのに、、、子供を連れた若い父親が遊びのためだけにその魚を釣っていた。そして道路には死んだ魚が・・・

せっかく自然の摂理が戻りつつあるというのに、人間共が無邪気にそれを壊していく・・・


今日の富士山は厳しくそそり立っていた。









  


2010年01月29日 Posted by 臥游山人 at 22:03Comments(0)日々雑感

起きろ!!奇跡!!

義母は相変わらず意識が戻らず眠ったままで、毎日親類縁者が最後のお別れをしに病院に見舞いに来てくれているらしい。カミさんからは毎日報告の電話があった。しかしここ三日ほど何の連絡もない。オレはそろそろその時が来たのかなと覚悟を決めていた。

それが今日カミさんから明るい声で電話があった。オレは恐る恐る「どう?」と聞いてみたら意外な返事が返ってきた。何と義母が回復の兆しを見せていると云うのだ。救急車で運ばれてから緊急検査で腹膜炎が見つかり、翌日3m以上の小腸を切除するという大きな手術を受けている。そのまま人工呼吸器をつけて植物状態に陥っていた。

何といっても89歳という高齢だ。誰もが回復は無理だと思っていた。現に医者から「今晩が山です」と、告げられたとカミさんから悲痛な電話があった。オレは何時その日が来てもいいように喪服の準備も整えていた。

カミさんの電話によると、三日ほど前から血圧も上がり人工呼吸器を外したのだそうだ。万一のこともあるので様子を見てからオレに連絡したらしい。今朝は、カーテンを明けて日差しを浴びたら眩しそうに瞼をピクピクと動かしたという。医者も回復ぶりに驚いているという。

決して楽観してはいけないと思いつつも、オレは今感動している。義母がオレに命の力強さを教えてくれている、、、あんなに小さな体で、命の逞しさを実証して見せてくれている、、、

オレは56歳でこの世とオサラバしようと思っていた。その理由は以前の日記に書いた。そんなオレのひ弱さを義母は無言で叱り飛ばしている、、、オレはガツーンと頭を張り飛ばされたような気がした。

今、奇跡が起きようとしている・・・起きろ!!奇跡!!




  


2010年01月26日 Posted by 臥游山人 at 18:57Comments(0)

愛おしき命を抱きしめて

13日の夕方義兄より電話があった。「お袋が救急車で運ばれた」というものだった。義母は東京で一人暮らしをしている。一日おきに来てくれるヘルパーさんが、倒れている義母を発見して救急車をよんでくれたらしい。

早速カミさんは東京に向かったが、オレは仕事のこともあり静岡に残った。去年の暮れにもそんなことがあった。そのときは、胃の機能が衰えているということで、一週間ほどで退院できた。オレは今回もそんなことじゃないかとタカをくくっていた。

しかしカミさんからの電話で容態は重篤だということを知らされた。血圧が低下し、体中の数値が殆ど悪いのだそうだ。つまり老衰ということになる。みんなで話し合った結果、延命措置を施さないことにしたからと、カミさんは気丈に話していた。

義母は今年で89歳になる。強い人だった。そして優しかった。オレがまだカミさんと結婚する前、親父と対立しカミさんの家に転げこんだことがある。仕事もなく、毎日昼近くまで寝て、ゴロゴロしているオレに義母は嫌味一つ言わなかった。それどころか毎日美味しい食事を作ってくれた。それをいいことにオレは数か月も居候してしまった。

その時、オレは負けたと思った。それからオレは義母を悲しませないようにまじめに仕事に励もうと思った。そうしてオレは、親父の七光りと言われないように、親父の知り合いがいない静岡に移って、カミさんと二人だけの生活をスタートさせたのだった。それからもオレは事あるごとに義母に助けられた。

義母は今まで何回も大病を乗り越えてきた。股関節が悪く歩くことも出来なくなった時も、手術を受けずにリハビリで克服した。くも膜下出血の時は正直駄目だと思ったが、幸い発見が早く、手術もうまくいったので奇跡的に助かった。

その都度カミさんは看病のため東京に行った。長い時では4カ月に及ぶ時もあった。この歳になっての一人暮らしもきついけど、それがオレに出来る最大の恩返しと思いオレは耐えた。全て自炊し、その間一回も外食をしなかった。それが、ひたすら義母の回復を願うオレの気持ちに繋がるんだと信じてた。

それからカミさんは事あるごとに母親の介護で東京に通うようになった。それがオレ達夫婦の日常となった。その間何回か、こちらで一緒に住まないかと聞いてみたことがある。しかしけっして顔を縦には振らなかった。友人も近くにいるし、住み慣れた家を離れたくないという。杖をつきながらも家事は何とか自分でこなしていた。

だからオレはこのまま義母は百歳位まで生きてくれると思っていた。体は若い時より随分小さくなったけど、血色も良くまだまだ元気だった。事実、倒れる前の日も義母の弟が遊びに来て普通に会話したという。

義母は命の最後のひとしぼりまで生き抜いたのだと思う。そして今、命がまさに燃え尽きようとしている。その仄かな炎が消えるのを縁のある人たちが静かに見守っている・・・

考えてみれば、89歳なら女性の平均寿命以上生きたことになる。不慮の事故で亡くなるわけでもない。清々しく天寿を全う出来るのだと思えば、悲しむべきことではなく、むしろ祝福してあげるべきではないか。

そう思いつつも、オレの心は深く、透明で、静かに冴えわたり、限りなく悲しく、切ない・・・


そしてオレは今日も独りだけの夜を唯静かに乗り越える・・・今にも消えようとしている愛おしき命を抱きしめて・・・








  


2010年01月16日 Posted by 臥游山人 at 17:34Comments(0)

来年も新年会!!

一昨日、陶芸教室「三日月会」の新年会が袖師の中華料理店「盛旺」を貸し切って行われた。参加者は20数名。オレはカミさんと一緒に参加した。夕方6時からスタートなのだが、到着したらもう既に酒盛りが始まっていた。

ほごろもフーズの後藤会長が開会の挨拶をして本格的に新年会が始まった。生ビールで乾杯し、木内建設の木内社長が持参した初亀の純米大吟醸「亀」が回ってきたので日本酒に切り替えた。料理も次々と運ばれ、暫し無言で飲み、そして喰らう。




オレの隣は元JR東海静岡社長の木村さん。今日はわざわざ名古屋から駆けつけてくれた。それから元日銀静岡支店長の田口さんも東京からの参加だ。

思えば、後藤会長がまだはごろもフーズの総務部長だった頃に始まった月一回の陶芸教室が、こうしてまだ続いている。それがもう210回を超えた。その間みんなで旅行をしたり、口実を見つけては飲み会をやったり、実に仲がいい。オレもその仲間に加えてもらい、得がたい交友を続けさせてもらっている。

陶芸はやらないが飲み会の時だけ皆出席の静岡銀行の中西頭取、暫らく陶芸を休んでいたが先日復帰したタイカ(元鈴木総業)の鈴木社長、ずっと飲み会だけの参加だったが、去年から陶芸もやりだしたバンデロールの伴野オーナー、協立電機の西社長、菱和設備の山名社長・・・みんな楽しそうだ。こんな笑顔は仕事の時には絶対見られないだろうな。




そのうちにゴルフの成績発表が始まった。昼のうちはゴルフを楽しんだのだ。オレは数年前にゴルフを卒業させてもらったけど、みんなゴルフが好きだね~~。今年も優勝は木内さんのようだ。今年64歳になる筈だけどまだグロス70台で回る。立派なもんだね。

今年は例年に比べ料理の種類が多い気がする。どうもタイカの鈴木社長が前もって「盛旺」の望月さんに注文したらしい。オヤ~?ボルドーの赤が何本か運ばれてきた。そして十年ものの紹興酒も。あれも飲みたい・・・これも飲みたい・・・オレの前はグラスで一杯になった。いくつになってもオレは意地汚いな~~。反省しつつも手はグラスに伸びる。マッいいか、今日は特別だから・・・




そしていつものように突然閉会になる。この会のいいところはその見事なまでの切れの良さだ。だれもグズグズしない。五分もしたら誰もいなくなる。

この会は、いつもは忘年会として年末ぎりぎりにやっていたのだけど、今年は都合で新年会になった。でも、忘年会だと何か一年の反省とか総まとめという雰囲気になる。その点新年会は、希望とか出発という、華やかな雰囲気がしていいね。そういえば心なしか参加者の顔も生き生きしてたな~~。ヨ~シ!!来年も新年会にしてもらおう。




  


2010年01月11日 Posted by 臥游山人 at 15:35Comments(0)交遊録

さよならだけが人生だ

淋しいことだが、毎年貰っていた年賀状が今年も何枚か減った。友人知己がぽつりぽつりと鬼籍に入りだしたのだ。そういう歳周りになってきたんだな~とつくづく思う。

今は亡き友人の思い出に浸りながら一人飲む酒はホロ苦い。ホロ苦さがココロにじわっ~と沁み込んでゆく。喧嘩もしたはずなのに何故か楽しかった思い出しか浮かばない。笑顔だけが浮かんでくる・・・。

今でも充分貧乏だけど、もっともっと貧乏だった頃・・・口角泡を飛ばしながら安酒をあおり、議論に疲れたら、肩をくんで高歌放吟、そしてまた酒をあおる。そんな時代を一緒に過ごした今は亡き友・・・もう二度と帰って来ないオレの青春。

唐の詩人、千武陵の詩にこんなのがある。

   勧 君 金 屈 巵
   満 酌 不 須 辞
   花 発 多 風 雨
   人 生 足 別 離

  

それを井伏鱒二がこう訳した。

   この盃を受けてくれ

   どうぞなみなみつがしておくれ

   花に嵐のたとえもあるぞ

   さよならだけが人生だ


この年になってくるとこの詩の意味がなんとなく解ってくる。ココロの深いところにずしんと響いてくる。


この一杯が明日も一緒に飲めるとは限らない。友よ、さあ、オレの酒を受けてくれ・・・なみなみと注がせてくれ・・・


昔と比べると大分少なくなったけどこれから何回か新年会がある。全て気の合う仲間とだけの新年会だ。だからこそ思う。一杯一杯を大切にしよう。一期一会をココロに秘めて、万感の思いを込めて盃を重ねよう。

    ・・・さよならだけが人生だ・・・



  


2010年01月07日 Posted by 臥游山人 at 21:20Comments(0)日々雑感

幻の初釣行

昨日の昼過ぎに釣り仲間のMちゃんから電話があった。「明日行こうか?」、「波、大丈夫?」、「午前中だけならいいと思うよ」これでOK!!前日に電話があって、二つ返事でOKする暇な人間は世間にゃそういないだろう。こりゃ自慢にならんか?

そうと決まれば行動は早い。まず餌の確保だ。釣り具屋に走りオキアミブロックを買ってくる。後は仕掛けだが、その前に釣り竿とリールのセッティングをしなければいけない。魚の引きを楽しむために、オレは迷わずに柔らかいムーチングロッドに小型電動リールを選んだ。そして釣り場に着いたら直ぐ仕掛けを下ろせるように片てんびんに2ミリのクッションゴムをつなぎ、80号のサニービシを装着した。

釣り場は羽衣ノ松沖の鯛場だ。まず朝一で真鯛を狙えるように、12メートル3号ハリスを4セット作った。聞くところによると釣り場にイナダが相当回っているらしい。オレはイナダが釣れてもいいように4号5メートル仕掛けも数組用意した。その他、いざとなった時のために太刀魚用、アマダイ用も加えた。こうして完璧に翌日の支度を終えたのだった。

後はたっぷり眠るだけ・・・8時前に風呂に入った。オレは梅酒を一杯飲み、体がポカポカしたところで明日の釣果を夢見つつ眠りについた・・・

4時に目が覚めた。さあ、釣るぞ~~、気合十分だ!!ところが、、、ところがである、、、、、、

外の様子が変だ。吹いてる、、、どうも風が吹いてる気がする。恐る恐る外に出てみるとやっぱり・・・垣根の葉っぱが揺れている。暫く様子を見てみよう、、、オレは祈るような気持ちで5時近くまで待って、思い切ってMちゃんに電話してみた。

「どう?」「まずいな、強風波浪注意報が出てるね」「じゃあ、止めるか」それで決まりだった。海の男は決断が早い。何よりも安全な方に決断する。それが定石だ。

残念だがこの風では仕方がない。オレは納得して、まだ冷めきっていない布団に潜り込み二度目の眠りに就いたのだった。

そして快適な目覚め・・・「どれどれ、風はどうかな?」と外を見てみたら・・・


な、な、な~~んと、どっぴんか~~ん。その上無風だった。

これじゃあ行けたじゃないか?くっそ~~、、、行ってりゃ今頃、真鯛のシャブシャブ、イナダのズケ、太刀魚の塩焼きで、美味しい夕食・・・の筈だったのに・・・







そして、、、まだオレは、仕事場一杯に広げた釣り道具を放っぽり出したままだ。片づける意欲が一向に起きないどころか見る気もしない。さてさてどうしてやろうか?

こうしてオレの2010年初釣行は幻に終わった・・・ああ、くやしいナ・・・





  


2010年01月06日 Posted by 臥游山人 at 20:51Comments(0)日々雑感

国際交流会とビックボーイズ

昨日「ビックボーイズ」のなべちゃんから謹賀新年の電話があった。「ビックボーイズ」は社団法人漫才協会の第21代真打で、今売り出し中の「ナイツ」の遥か先輩格になるが、今や「ナイツ」は「ビックボーイズ」をとっとと追い越し、浅草漫才界のトップスターになってしまった。「ナイツ」ばかりではない、後輩の「ロケット団」「Wコロン」「宮田陽・昇」なども次々とビックボーイズを追い越していく・・・




しかし、二人とも欲がないというか、人がいいというか・・・追い抜いていく後輩を嬉しそうに笑顔で見守っているのだ。生き馬の目を抜くといわれる世界で、こんなに人がいいのはこのビックボーイズとチャンス青木くらいだろう。だからオレは彼らが好きなんだけどね。

ビックボーイズは浪曲漫談のさがみ三太師匠の弟子にあたる。漫才の他にパントマイム、バルーン芸、マジックなど起用にこなす。だからダメなんだと三太師匠は言う。師匠ばかりではない。他の大物芸人達もビックボーイズの芸達者は認めているのだが、本芸の漫才だけで勝負しないビックボーイズを歯がゆく思っているようだ。そう言えば青空うれし師匠も先日オレにそんなことを言ってたな~~。




相方の羽生愁平は生粋の清水っ子だ。清水小、3中、南高を経て東大(オット失礼、東洋大学でした)に進学。昭和57年に「笑ってる場合ですよ」の「君こそスターだ」で5週勝ち抜き、この世界に入った。そして昭和61年になべかずおに誘われ「ビックボーイズ」に加わったのだ。

趣味が格闘技で柔道二段、体格もいいから武闘系と思いきや、実におっとりしていて人がいい。その上人見知りときてるから、オレとも最初はあんまり口を利かなかった。慣れてくるとこんないい男はいない。




そのビックボーイズが来月清水に来てくれる。ヤングカレッジが行う国際交流会の司会進行を買って出てくれた。近くの皆さん(遠くでもいいですよ)、覗きに来ませんか?入場無料です。ビックボーイズの演芸タイムもたっぷりありますよ。興味のある人は当日直接会場に来てください。


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NPO法人ヤングカレッジ 「国際交流会」
      ~Who’s your valentine~
日 時:平成22年2月7日(日) 
     12:30~16:00(12:00開場)
場 所:静岡市清水産業・情報プラザ1F
     静岡市清水区相生町6番17号
対 象:どなたでも(外国の方大歓迎)
参加費:無料
内 容:国際交流・地域交流、ヤングカレッジの活動発表、
    (フラダンス・マジック・ゴスペル・かっぽれetc・・・)
    その他、ネイルアート、タイ古式マッサージの体験ブース
共 催:静岡市国際交流協会




  


2010年01月04日 Posted by 臥游山人 at 22:29Comments(0)NPO法人ヤングカレッジ

ジジ・ババの国、日本

オレは買ったことがないけど、巷では福袋が大流行だそうだ。朝早くからズラーっと並んでる様がテレビで映し出されると、これがせめてもの庶民の憂さ晴らしなのかと身につまされてしまう。

今年の福袋は中身が見えるんだそうだ。でもこれって何か変だよな。中身が見えないから福袋なんじゃないの?これじゃあ、手を変えただけの単なる大安売りだよね。全く夢のない話じゃないか。

昨晩テレビをつけたら、なにやら討論会をやっていた。民主党のなにやら大臣が「今一番問題なのは、若者に覇気がないことですよ」と実にありきたりの正論を吐いていたが、それに和服のおばちゃんが噛み付いていた。

「そんな言い方はおかしい。若者が夢を見られない社会や政治が悪いのだから、若者のせいにしないで欲しい」と、これまた、実に真面目な顔で更にありきたりの反論をしていたのだ。高級そうな和服に身を包んだおばちゃんに、ウンウンと頷いてるおっさんも何人かいたな。オレはそこでチャンネルを変えた。

でもこれって問題だよな。まるで自分が若者の味方かのように、社会の代弁者かのように熱弁してたけど、何となくウソっぽいよな~。じゃあ、世の中や政治が悪い時に若者は何もしなくてもいいの?責任をよそに押し付けてゲームやファッションにうつつを抜かしてればいいの?

大体若者が夢と希望に燃えてる時代なんて歴史上そんなにないよ。理想と現実の狭間でもがき苦しみ、そして、、、夢と希望を求めて立ち上がる。多くの歴史がそうして作られてきた。何時の時代でも社会を改革していくのは若者でしかないんだよ。

日本が、民主主義という有史以来体験したこともない思想を押し付けられ60数年が過ぎた。そして日本という風土の中で独自な風化を遂げながら今に至った。それは政治家、官僚、財界、と見事な癒着態勢を生み出し、世界に例を見ない汚職国家として開花した。

以来、労働者や若者は阻害され、金と権力を持ったジジ・ババにこの国は牛耳られてきた。ジジ・ババは変化を好まない。今がいいなら多少の悪には目をつぶる。その結果バブルに狂乱し、暴走し、日本を弾けさせてしまった。

それが今の日本だ。それでも若者よ、夢を見ろ!!希望を語れ!!

だってこの前ちょっと若者が選挙に行っただけで日本が変わったじゃないか。利権にまみれて我が世の春を謳歌していた連中に鉄槌を下してやったじゃないか。もっともっと社会に参加して、日本を立て直してくれ。それを出来るのは若者しかいないんだよ。

若者よ、ジジ・ババなんか信用するな!!・・ん??オレも立派なジジーだっけ・・・





  


2010年01月02日 Posted by 臥游山人 at 15:57Comments(0)日々雑感

おめでとう

良く分からんけど、えぬえちけいにはスーザン・ボイル、民放にはポール・ポッツだって。




そして公設派遣村では・・・




かくして、モーさんは駆け去り、トラさんがやってきたのだ。




我がおめでた国民の皆さん。そしておめでた国家「日本」。




明けましておめでとう!! 今年もよろしく!!


  


2010年01月01日 Posted by 臥游山人 at 00:22Comments(0)日々雑感