近況
カミさんが母親の看病で実家に帰ってもう既に四ヶ月が過ぎた。お蔭様で義母は順調に回復し、今はリハビリ病棟に移り退院に向けて懸命に努力している。しかし、このまま退院しても施設を探してそこに移ることになるだろう。そうなれば少しはカミさんの負担も軽減するかも知れないが、それでも当分清水には戻って来れないと思う。
「独りでも大丈夫だよ」と強がってきたけど、これだけ続くと侘しさと寂しさが募ってくる。朝起きて窓を開け、新聞を取ってきて洗濯物を干す。弟子が来たら入れ違いに散歩に出かける。帰ってきて新聞を読み終えたら昼食兼用の食事を作って食べる。食器を洗う。洗いながら夕食のメニューを考える。
陶芸教室の生徒さんが来ればその指導を行う。三時ころになると買い物に出かける。これがオレには一番つらい。いい年をしたおっさんが一人、買い物かごをぶら下げて野菜や惣菜を物色してる姿なんざぁ他人に見られたくないもんだ。それより何よりオレは買い物が大嫌いなんだよね。
最近は弁当を食べることも多くなってきたけど、オレは基本的に外食は嫌いだ。だからなるべく自分で料理をする。男の料理だから段取りが悪い。そして散らかしてしまう。その上ついつい作りすぎてしまう。
折角時間をかけて作った料理でも、食べるのは一人だから何とも味気ないしあっという間に食べてしまう。会話のない食事はただ食餌を摂ってるようなものだ。そして洗い物を見て茫然自失。一人ぽっちの食事なのにどうしてこんなに洗いものが多いんだ・・・
食事が終わるとつい甘いものが欲しくなる。チョコレートなんぞをかじりながら本を読み出すと今度は強烈な睡魔が襲ってくる。ウトウトして目が覚めたらありゃもうこんな時間。風呂を沸かし風呂に入る。
オレは、この風呂が一番怖い。オレの知り合いが何人も入浴中に亡くなった。朝裸で浮いてるところを弟子に発見される、、、考えただけでも身の毛がよだつ。寝ないように緊張して風呂に入る。リラックスなんかできゃしない。
風呂から上がれば今度は洗濯だ。まめに洗濯をすると楽だと知ったのはつい最近だが、パズルのように効率よく洗濯ばさみで吊るすのはどうしても上手くなれない。それでもパンパンとたたいてしわを伸ばして出来上がり!!
そうこうしているうちに時計は十二時を回る。さぁそれからだ。飲もうかな?いや、今日は止めとくかな?しばらく悩みの時間が続くが、大体欲望のほうが勝つ。本を読みながら体内にアルコールを注入。やがて眠くなる、、、そのまま布団へ、、、
これがオレの日常です。い~~え、弱音なんか吐きまへんよ。あれだけカミさんが頑張ってるんだし、なによりも義母が奇跡の回復劇を演じてるんだから・・・
でも・・・早く日常に戻りたいね~~。結局、平凡でさりげない日常が人間にとって一番の幸せなんだよな~~
2010年05月31日 Posted by 臥游山人 at 14:50 │Comments(2) │日々雑感
やっぱり小遣い吹っ飛んだ
昨夜チェコの姪が静岡に到着。カミさんと迎えに行く。姪が元気な顔を見せて改札を抜けてきた。スーツケースを引きずりながら馴染みの鮨屋まで歩く。時間は8時を回っていたが、店の前にセンチュリーが何台も並び、運転手とお付がゾロゾロと並んでいた。何かものものしい雰囲気がしている。
予約してるけど大丈夫かな?と、恐る恐るカウンターを覗いたらカウンター席は空いていた。両隣に客がいたが、オレ達はカウンターのほぼ真ん中に座った。若親方のY君がニコニコと出迎えてくれた。
オレは焼酎のお茶割り、カミさんと姪は生ビールで、久しぶりの再会を祝して乾杯をした。あん肝、才巻き海老、バイガイの三点盛りからスタートして、ヒラメ、鰹の刺身が続く。自慢のトロも勿論出てくるが、オレはトロを剥がしたスジのところを炙ってもらう。全く酒飲みは変なものが好きで困ったもんだ。今日は珍しく天然のクエがあったのでそれを酒蒸しにしてもらう。そして五時間かけて蒸したという鮑のぶつ切りを空揚げにしてもらった。
そうこうしているうちに親方が現れた。今日は大会社の首脳達が鮨を食べに来てたらしい。二階のビップルームで親方が握ったようだが流石に親方も疲れたようだ。それでもオレの横に座り四方山話に花が咲く。オレも親方の話を肴についつい飲みすぎている。
姪は中国の深圳から関空に降り、それから新幹線で静岡まで来たのだがどうも朝が早かったらしい。いつもなら美味しそうに残さず食べるのに、パタっと箸が止まっている。そこでオレは大出費を覚悟して親方にメロンを注文した。
メロンなら姪も喜んで食べると思ったからだ。ここのメロンは美味い。この店は磐田のクラウンメロンの最高級のものしか使わない。大きなマスクメロンの半分割が一人ずつ出てきた。その真ん中にブランディをたっぷり注ぎ込んで食べるとなんともいえない。贅沢な食べ方だけどホントに美味い。親方がチラっと悪戯っぽく笑ったのできっと安くしてくれるだろう。案の定、姪は「美味しい!!」と言ってきれいに食べた。
いつの間にか他の客も帰り、店も静かになったのでオレ達も帰ることにする。勘定を頼んだら、やっぱり親方安くしていてくれた。それでもオレの小遣いきれいさっぱり吹っ飛んだ。
予約してるけど大丈夫かな?と、恐る恐るカウンターを覗いたらカウンター席は空いていた。両隣に客がいたが、オレ達はカウンターのほぼ真ん中に座った。若親方のY君がニコニコと出迎えてくれた。
オレは焼酎のお茶割り、カミさんと姪は生ビールで、久しぶりの再会を祝して乾杯をした。あん肝、才巻き海老、バイガイの三点盛りからスタートして、ヒラメ、鰹の刺身が続く。自慢のトロも勿論出てくるが、オレはトロを剥がしたスジのところを炙ってもらう。全く酒飲みは変なものが好きで困ったもんだ。今日は珍しく天然のクエがあったのでそれを酒蒸しにしてもらう。そして五時間かけて蒸したという鮑のぶつ切りを空揚げにしてもらった。
そうこうしているうちに親方が現れた。今日は大会社の首脳達が鮨を食べに来てたらしい。二階のビップルームで親方が握ったようだが流石に親方も疲れたようだ。それでもオレの横に座り四方山話に花が咲く。オレも親方の話を肴についつい飲みすぎている。
姪は中国の深圳から関空に降り、それから新幹線で静岡まで来たのだがどうも朝が早かったらしい。いつもなら美味しそうに残さず食べるのに、パタっと箸が止まっている。そこでオレは大出費を覚悟して親方にメロンを注文した。
メロンなら姪も喜んで食べると思ったからだ。ここのメロンは美味い。この店は磐田のクラウンメロンの最高級のものしか使わない。大きなマスクメロンの半分割が一人ずつ出てきた。その真ん中にブランディをたっぷり注ぎ込んで食べるとなんともいえない。贅沢な食べ方だけどホントに美味い。親方がチラっと悪戯っぽく笑ったのできっと安くしてくれるだろう。案の定、姪は「美味しい!!」と言ってきれいに食べた。
いつの間にか他の客も帰り、店も静かになったのでオレ達も帰ることにする。勘定を頼んだら、やっぱり親方安くしていてくれた。それでもオレの小遣いきれいさっぱり吹っ飛んだ。
2010年05月22日 Posted by 臥游山人 at 16:52 │Comments(0) │日々雑感
背中
今日は陶房が休みだし一人暮らしの気楽さ、ゆっくり寝てやろうと思っていたら朝の8時過ぎた頃「お早よー」と言って雨戸を叩く声がする。寝ぼけ眼で戸を開けたら三太師匠だった。「毎度皆様お馴染みの~~」のさがみ三太師匠だ。
昨日から清水に来ているのは分かっていたけど、こんなに早く来るとは思っていなかった。「どうしたんですか?こんなに早く」と言ったら、「ホテルで6時に目が覚めてさ~、これでもゆっくり来たんだよ」とにっこり笑った。
それから二時間ばかり師匠と話をした。ここのところ会ってなかったので積もる話も一杯あったが、話題はお互い抱えている病人のことだった。師匠のオカミさんも昨年病に侵され入院している。「身内に突然病人が出ると人生が一変するね」と、吐き出すように師匠は言った。芸人として晩年期を迎えて、自分の身の処し方を模索していた時に突然オカミさんが倒れたのだ。
「さがみ三太・良太」として日本の演芸界に大きな足跡を残し、相棒の良太さんとも「これからはお互い好きな生き方をしようよ」と、納得し合って数年前にコンビを解消した。師匠は、「俺はどうしても群れることができなかったな~」そしてこうも言う。「それにしてもよくここまで生きてこれたもんだ」
浪曲の世界は謂わば渡世の世界だったそうだ。全国を興行して歩けばその筋の人との接触も増える。時には斬った張ったもあったみたいだ。それでも師匠は人に頭を下げず、一匹狼を貫いたのだった。それが師匠の美学であり、人生そのものだった。
きっと師匠は、芸人としてどういう風に幕を下ろすか考えていたに違いない。金や名声に囚われず、一人の男としてどう散っていくか、絶えずそれを考えていたに違いない。
そんなときにオカミさんが倒れた。
でも、師匠は意外にサバサバしていた。「人生ってのは分からんもんだよな~、でも俺は全てを認めてあるがままに生きていくよ。これからも毎日病院に行って看病するよ」どこかに悔しさや虚しさもある筈なのに、清々しく笑うその表情に翳りはなかった。
今度また師匠とこんな時間を持つことが出来るのだろうか?師匠とオレの黄金のような時間が流れていく・・・
「さぁ、帰るか、、、」師匠が腰を上げた。桜橋の駅まで歩いて行くという。オレは玄関まで見送った。「じゃぁ!!」と言って師匠は振り返ることなくそのまま歩いて行った。オレはその背中に男の哀しさと切なさを感じた。そして、それがそのままオレの背中でもあるのだ
昨日から清水に来ているのは分かっていたけど、こんなに早く来るとは思っていなかった。「どうしたんですか?こんなに早く」と言ったら、「ホテルで6時に目が覚めてさ~、これでもゆっくり来たんだよ」とにっこり笑った。
それから二時間ばかり師匠と話をした。ここのところ会ってなかったので積もる話も一杯あったが、話題はお互い抱えている病人のことだった。師匠のオカミさんも昨年病に侵され入院している。「身内に突然病人が出ると人生が一変するね」と、吐き出すように師匠は言った。芸人として晩年期を迎えて、自分の身の処し方を模索していた時に突然オカミさんが倒れたのだ。
「さがみ三太・良太」として日本の演芸界に大きな足跡を残し、相棒の良太さんとも「これからはお互い好きな生き方をしようよ」と、納得し合って数年前にコンビを解消した。師匠は、「俺はどうしても群れることができなかったな~」そしてこうも言う。「それにしてもよくここまで生きてこれたもんだ」
浪曲の世界は謂わば渡世の世界だったそうだ。全国を興行して歩けばその筋の人との接触も増える。時には斬った張ったもあったみたいだ。それでも師匠は人に頭を下げず、一匹狼を貫いたのだった。それが師匠の美学であり、人生そのものだった。
きっと師匠は、芸人としてどういう風に幕を下ろすか考えていたに違いない。金や名声に囚われず、一人の男としてどう散っていくか、絶えずそれを考えていたに違いない。
そんなときにオカミさんが倒れた。
でも、師匠は意外にサバサバしていた。「人生ってのは分からんもんだよな~、でも俺は全てを認めてあるがままに生きていくよ。これからも毎日病院に行って看病するよ」どこかに悔しさや虚しさもある筈なのに、清々しく笑うその表情に翳りはなかった。
今度また師匠とこんな時間を持つことが出来るのだろうか?師匠とオレの黄金のような時間が流れていく・・・
「さぁ、帰るか、、、」師匠が腰を上げた。桜橋の駅まで歩いて行くという。オレは玄関まで見送った。「じゃぁ!!」と言って師匠は振り返ることなくそのまま歩いて行った。オレはその背中に男の哀しさと切なさを感じた。そして、それがそのままオレの背中でもあるのだ
2010年05月17日 Posted by 臥游山人 at 18:36 │Comments(0) │交遊録
悩んじゃうな
この数日間慌しくてアッと言う間に過ぎたような気がする。9日に、新しく撮った自作のドキュメンタリー映画「442」のプロモーションの為にロスから帰国中の、じゅんちゃん(すずきじゅんいち)が、忙しい合間を縫って一泊で我が家に遊びに来てくれた。その日は「母の日」だったので、るみちゃんは今年86歳になるというお母さんと過ごすために来れなかった。
田舎でノンビリ暮らしてるオレと違って、我が家に着くなり電話やメールのやり取りで会話もままならない。前日は小中陽太郎と会っていたというし、清水から帰ったらすぐNHKの偉さんと会う予定になってるらしくて、その日程調整であちらこちらと連絡を取っているようだ。
「散歩でもしようか?」と言ったら、じゅんちゃんも最近運動不足らしくてすぐ乗ってきた。一年ぶりの再会なので歩きながら色々会話が弾む。たわいない話をしながら約二時間ほど歩いたら程よくお腹も空いてきた。
知り合いの魚屋に刺身を頼んでいたのだが本マグロの良いのがあった。久しぶりに帰っていたカミさんがパエリアをつくったので、それを食べながらじゅんちゃんと日本酒を飲んだ。この日のために取っておいた「喜久醉大吟醸」「初亀大吟醸」「正雪大吟醸」とスイスイと空になっていく。
そのうちオレの弟子と、ヤングカレッジの理事のアンナやみどりさんも加わりボルテージも上がりだした。カラオケに行こうということになり、馴染みのスナックに繰り出したのは10時を回っていた。じゅんちゃんもカラオケは久しぶりだったようだが、機嫌よく歌ってくれた。帰ったのは3時近かっただろうか。


翌日は又一緒に散歩した。きくちゃんがご主人の打った蕎麦を持ってきてくれたのでそれを早速ゆでてもらった。一緒に頂いた「たらの芽」と「山独活」もカミさんが天麩羅にしてくれた。じゅんちゃんも喜んでくれた。
じゅんちゃんは夕方の5時頃に東京に戻った。来年はじゅんちゃんの映画「442」を持って清水に来てもらおうと思っている。ヤングカレッジでスクリーンのある大きな会場を借り、奥さんの榊原るみちゃんにも来てもらってトークショーを兼ねた上映会をやりたいと思っている。
じゅんちゃんが帰ってすぐ、6時から「三日月会」だった。参加者が少なかったので良かったがかなり疲れた。
そして翌日はヤングカレッジの総会があった。この日のために用意していた書類にあちらこちら不備があったが、何とか許してもらい無事終了。今年から新しい理事が4人加わった。年を重ねるごとに有能な人材が集まりだした。この分だとオレも少し楽になりそうだ。
総会が終わりホッとしていたら浪曲漫談のさがみ三太師匠から電話が入った。「来週遊びに行くぞ」というものだった。17日に家に寄るそうだ。そういえば師匠ともしばらく会っていないな。どうもただでは済みそうにない。それまで少し酒を控えておこう。
16日にチェコの姪が仕事で来日し、21日に清水に遊びに行くとメールが入った。姪と会うのも久しぶりだから楽しみだ。二日ほど泊まる予定だが、ただ、この姪もかなり酒が強い。
オレもあんまり飲みたくないんだけど、、、せっかく来てくれる三太師匠や姪に悪いからな~~。ホント飲みたくないんだけど、一寸はお付き合いしなくちゃな~~。師匠は焼酎で、、、姪っ子は日本酒かな??いやいや、、、困ったナ、、、ほ~~んと、、、
2010年05月12日 Posted by 臥游山人 at 21:00 │Comments(0) │交遊録
~かっぽれに惚れた~櫻川ぴん助
江戸芸かっぽれ二代目家元櫻川ぴん助というと、名前から男と思われやすいがれっきとした女性なのである。

初代家元はお父さんで、こちらは当然男である。初代櫻川ぴん助は伝説的な芸人だった。愛知県の裕福な材木問屋の跡取りとして生まれながら、放蕩の果てに没落。更に東京で材木商を営むがこれも色街通いの末に倒産。
これでめげるぴん助ではない。遊びの中で身につけた芸を生かそうと幇間の世界に身を投じた。所謂たいこ持ちである。豊臣秀吉のお伽衆の曽呂利新左衛門が、色々な芸で秀吉を楽しませ持ちあげたことから、太閤持ち・・・たいこ持ちとなったと言われているが、実はこのたいこ持ち、並みの人間では務まらないのだ。
相手にする客が錚々たる人達なので、芸も必要だが高度な知識教養も必要になる。初代ぴん助の客は歴代の総理や財界のトップクラスばかりだったらしい。それらの客から財布を預かり、退屈させないように一日遊ばせるのがたいこ持ちの仕事だった。
初代ぴん助はたいこ持ちだけではなく、奥さんと組んで「ぴん助・美代鶴」というコンビ名で漫才もやった。その一番弟子がコロンビアトップ・ライトで、四谷三丁目にあったぴん助の自宅に住みこんで修業したという。
初代の凄さはそれだけではない。浅草「浅草寺」の境内で大道芸として行われていた「かっぽれ」をお座敷芸として世間に認知させ、家元を継承したのである。
その娘がぴんちゃんこと、二代目櫻川ぴん助である。オレとぴんちゃんとの付き合いはもう20数年になる。知りあった頃、ぴんちゃんは清水のみなと祭りで踊る「かっぽれファンク」という曲の振付を担当し、その普及のために度々清水を訪れていた。因みに「かっぽれファンク」は作詞阿木燿子、作曲宇崎竜童で、竜童本人が歌っている。それが今では「港かっぽれ」として清水の夏の風物詩として定着している。
さてオレとぴんちゃんとの出会いだが、どうして出会ったのか忘れてしまった。何かで意気投合したのだろう。それからは、ぴんちゃんが清水に来る度に飲みまくった。いや、ぴんちゃんは酒を飲まないので、食いまくった、歌いまくったと云うべきかも知れないな。世間からはあの二人怪しいんじゃないの?と思われていたようだが、男女を越えた親友という感じだったね。
そして今、ぴんちゃんにNPO法人ヤングカレッジの「かっぽれ教室」の講師をしてもらっている。普段の講師は彼女の弟子の梅清士君に任せているが、清水に来た時には顔を出し簡単なお座敷芸などを教えてくれているようだ。
6月に静岡市の委託事業としてヤングカレッジがセミナーを開催する。その講師をぴんちゃんにお願いした。題を「かっぽれに惚れた」と決めた。
「かっぽれファンク」が出来て23年。夏の「みなと祭り」では数万人の踊り手が大通りを埋め尽くす。しかしオレには気になることがあった。23年前にぴんちゃんが正調かっぽれの所作を取り入れて完成させた踊りが、いつの間にか乱れてきているのではないか?と。どうやらぴんちゃんもそう思っているようだ。
そこで当日ぴんちゃんに「かっぽれ」のいわれと「港かっぽれ」の誕生したいきさつを語ってもらう。その後参加者全員で正調「港かっぽれ」を踊る。残念ながらぴんちゃんは昨年転んで足の骨を骨折して踊ることは出来ないが、梅清士君が張りきっているのでご心配なく!!お近くの方、参加しませんか?ただいま受付中です。
やんかれセミナー22A ~かっぽれに惚れた~
日 時 平成22年6月13日(日)13:00~15:00
場 所 清水産業・情報プラザ1F 清水区相生町6-17
講 師 櫻川ぴん助(江戸芸かっぽれ家元)
実 技 櫻川梅清士(ヤングカレッジ講師)清水・梅清会
駐車場 駐車場が狭いので、公共の交通機関をご利用ください
参加費 無料
服 装 運動のできる服装でお出かけください
定 員 50名(先着順)
<問い合わせ・申し込み先>
NPO法人ヤングカレッジ事務局 電話 054-347-1310
E-mail youngcollege2005@r6.dion.ne.jp

初代家元はお父さんで、こちらは当然男である。初代櫻川ぴん助は伝説的な芸人だった。愛知県の裕福な材木問屋の跡取りとして生まれながら、放蕩の果てに没落。更に東京で材木商を営むがこれも色街通いの末に倒産。
これでめげるぴん助ではない。遊びの中で身につけた芸を生かそうと幇間の世界に身を投じた。所謂たいこ持ちである。豊臣秀吉のお伽衆の曽呂利新左衛門が、色々な芸で秀吉を楽しませ持ちあげたことから、太閤持ち・・・たいこ持ちとなったと言われているが、実はこのたいこ持ち、並みの人間では務まらないのだ。
相手にする客が錚々たる人達なので、芸も必要だが高度な知識教養も必要になる。初代ぴん助の客は歴代の総理や財界のトップクラスばかりだったらしい。それらの客から財布を預かり、退屈させないように一日遊ばせるのがたいこ持ちの仕事だった。
初代ぴん助はたいこ持ちだけではなく、奥さんと組んで「ぴん助・美代鶴」というコンビ名で漫才もやった。その一番弟子がコロンビアトップ・ライトで、四谷三丁目にあったぴん助の自宅に住みこんで修業したという。
初代の凄さはそれだけではない。浅草「浅草寺」の境内で大道芸として行われていた「かっぽれ」をお座敷芸として世間に認知させ、家元を継承したのである。
その娘がぴんちゃんこと、二代目櫻川ぴん助である。オレとぴんちゃんとの付き合いはもう20数年になる。知りあった頃、ぴんちゃんは清水のみなと祭りで踊る「かっぽれファンク」という曲の振付を担当し、その普及のために度々清水を訪れていた。因みに「かっぽれファンク」は作詞阿木燿子、作曲宇崎竜童で、竜童本人が歌っている。それが今では「港かっぽれ」として清水の夏の風物詩として定着している。
さてオレとぴんちゃんとの出会いだが、どうして出会ったのか忘れてしまった。何かで意気投合したのだろう。それからは、ぴんちゃんが清水に来る度に飲みまくった。いや、ぴんちゃんは酒を飲まないので、食いまくった、歌いまくったと云うべきかも知れないな。世間からはあの二人怪しいんじゃないの?と思われていたようだが、男女を越えた親友という感じだったね。
そして今、ぴんちゃんにNPO法人ヤングカレッジの「かっぽれ教室」の講師をしてもらっている。普段の講師は彼女の弟子の梅清士君に任せているが、清水に来た時には顔を出し簡単なお座敷芸などを教えてくれているようだ。
6月に静岡市の委託事業としてヤングカレッジがセミナーを開催する。その講師をぴんちゃんにお願いした。題を「かっぽれに惚れた」と決めた。
「かっぽれファンク」が出来て23年。夏の「みなと祭り」では数万人の踊り手が大通りを埋め尽くす。しかしオレには気になることがあった。23年前にぴんちゃんが正調かっぽれの所作を取り入れて完成させた踊りが、いつの間にか乱れてきているのではないか?と。どうやらぴんちゃんもそう思っているようだ。
そこで当日ぴんちゃんに「かっぽれ」のいわれと「港かっぽれ」の誕生したいきさつを語ってもらう。その後参加者全員で正調「港かっぽれ」を踊る。残念ながらぴんちゃんは昨年転んで足の骨を骨折して踊ることは出来ないが、梅清士君が張りきっているのでご心配なく!!お近くの方、参加しませんか?ただいま受付中です。
やんかれセミナー22A ~かっぽれに惚れた~
日 時 平成22年6月13日(日)13:00~15:00
場 所 清水産業・情報プラザ1F 清水区相生町6-17
講 師 櫻川ぴん助(江戸芸かっぽれ家元)
実 技 櫻川梅清士(ヤングカレッジ講師)清水・梅清会
駐車場 駐車場が狭いので、公共の交通機関をご利用ください
参加費 無料
服 装 運動のできる服装でお出かけください
定 員 50名(先着順)
<問い合わせ・申し込み先>
NPO法人ヤングカレッジ事務局 電話 054-347-1310
E-mail youngcollege2005@r6.dion.ne.jp