母と娘の時間

昨夜の十時頃カミさんより電話があった。声に元気がない。「お義母さんの具合が悪いの?」と聞いたらそうだという。ここ数日目を閉じたままで殆ど食欲もなくなり、体も一回り小さくなったという。オレはうん、うん、と聞いているばかりだったが、カミさんの声が涙声に変わってくる。

カミさんは義母が倒れてから八カ月近く、毎日病院に通い介護をしながら励まし続けてきた。その間何度も危機があったが、その都度義母の奇跡的な生命力で乗り越えてきた。二カ月もの昏睡状態から脱却し、言葉を取り返し、手足も動かせるようになった。量は別として食欲も旺盛になり、あれが食べたい、これが食べたいとリクエストするようにもなった。

看病するカミさんにとってそれが嬉しくて、義母の食べたいものをいそいそと病院まで運んで食べさせていた。二時間も並んで手に入れた鰻もそうだった。ホントに美味しそうに食べてくれたという。それが、、、「何か食べたいものない?」と聞いても「何もない」と言うようになったという。「苦しそうにしてる?」と聞いたらそうでもないようだ。

オレはカミさんに言った。「何時か必ず別れの時が来る。それが近づいてきたのかもしれない。でも考えてごらんよ。不慮の事故や、癌などの病で入院したわけじゃない。謂わば天命を全うするように、少しずつ、少しずつ、命の炎が小さくなっているんじゃないかな?そういう意味ではお義母さんは決して可哀そうではないと思うよ」

カミさんも「それはそうね」という。オレは続けた「それに毎日娘が病院にきて甲斐甲斐しく世話をしてくれるんだからきっと喜んでいるよ。」事実周りの患者さんを見渡しても毎日家族が来てくれるところは余りなさそうだし、孤独なお年寄りが多いように思う。

「だからお母さんの命、尊厳を持って見守り、むしろ祝福しながら見送ってあげるべきじゃないかな。あんたがめそめそしていたらお義母さんも悲しくなるんじゃないかと思うよ。今日まで全てを犠牲にして看病してきたのだから、お義母さんきっと感謝しているよ。」ここまで言ってオレもつい涙が溢れてきた。

事実カミさんは看病疲れもあるのだろう、以前より痩せてきている。看病から帰ってくれば義母の山のような洗濯物もある。それに看病以外の色々な手続きなども一人でやっている。「オレ行こうか?」と言ったら、「大丈夫!」と気丈に答えた。そうだよな、オレが行ったらもう一人分の世話が増えるだけだ。

出来るなら、母と娘の濃密な時間をもう少し続けさせてあげたい、、、と心から願っている。




  


2010年08月30日 Posted by 臥游山人 at 14:07Comments(0)日々雑感

21日、6月に亡くなったオレの仲人の「お別れ会」の為に上京した。夕刻5時開始なので昼過ぎに清水の自宅を出て、会場のある千駄ヶ谷駅には5時一寸前に着いた。着いた時から駅は異様な雰囲気に包まれていた。それこそ足元も見えないほどの混雑ぶりだった。それも若い女の子ばかり、、、駅の外に出たら更にすごいことになっている。群衆の流れに沿ってオレも歩いて行く。どうも近くで「嵐」のコンサートがあるらしい。

「お別れ会」の会場は東京都体育館のすぐ隣にある「アリスガーデン」というレストランだった。オレの仲人は日本青年館の中で「東洋軒」というレストランと、結婚式場を経営していたが、この「アリスガーデン」も持ってたらしい。

会場に着くと懐かしい顔、顔、顔、、、総勢20数名の会だったが、殆どが顔なじみばかりだ。それこそ40数年前、毎日のように顔を合わせていた人たちが参集した。オレの中のセピア色の景色が、一気に天然色になった。オレの横には長野信一さんが座った。そうか~、長野さんとの付き合いも40年を越えるんだ。長野さんは30年以上に亘りNHKの「テレビ体操」をやっていたのだが、惜しまれながら3月に引退した。彼は死んだオレの親父の一番弟子を自認している。

仲人とオレの親父は親友だった。だからみんなが共通の知り合いになる。「お別れ会」ではあるが、同時に「旧交を温める会」となり、あちらこちらで想い出話に花が咲いている。Mさん、Hさん、Kさん・・・もっともっと話をしたかったが、「嵐」のコンサートが終わるととてつもないことになるというので、早めに会場を後にして足立のカミさんの実家に向かった。今回の上京の目的はもう一つあった。義母が転院した病院に初めてのお見舞いに行くことだった。

翌22日、昼からゆっくりと病院のある鹿浜にバスに乗って出掛けた。義母の体調は変わらないとカミさんが言っていたのでオレは明るく病室に入って行った。最初は薄眼を開けて怪訝そうにオレを見ていたが、オレと気づいて嬉しそうな顔になった。でも何か様子がおかしい。カミさんも気にして色々話しかけるが余り反応がない。表情も苦しそうなので看護師さんに来てもらった。

状況が激変した。いきなり嘔吐したのだ。たちまち医師と近くにいた看護師さんが取り囲み、応急処置を施した。一時的に嘔吐物が気管に入り窒息状態になったらしい。吸引して事なきを得たが、酸素マスクと点滴を施され重症患者に戻ってしまった。その後も何回か嘔吐して今度は熱が出はじめた。40度もある。カミさんが甲斐甲斐しくさすったり話しかけたりしてるのに、オレはただ立ちすくむだけで何の役に立たない。そんな自分がなんとも歯がゆくて情けない。

カミさんが兄に電話をかけに行った時に、オレはやせ衰えた義母の手をそっと握った。すると、力ないながらも握り返してきたのが分かった。すっかり小さくなってしまった義母の姿がたちまち霞んで朧んでいく。オレは溢れる涙を片方の手でぐいと拭った。そうしてオレは一時間ほど義母の手をさすって無言の交流をした。

病院には7時過ぎまでいた。苦しそうではあるが、何とか安定したようなのでオレ達は病院を後にした。看護師から、急変したら夜中でも連絡しますと云われた。ホントはオレ、その日のうちに清水に帰る予定だったが、心細がっているカミさんを一人にして帰れない。もう一泊することにした。幸い病院から連絡が来なかったし、今日はカミさんの兄が一緒に病院に行くと云うので、オレはさっき清水に戻った。

命を見つめ、送る、ということは大自然の中ではほんの小さな出来事かも知れないが、それに向き合ってる者にとっては、大きな悲しみと無限の喪失感を伴う営みなのである。




  


2010年08月23日 Posted by 臥游山人 at 17:17Comments(0)日々雑感

君子の夕食

我が「松韻窯陶房」も世間並みに四日間の夏休みを取った。今日がその休みの最終日になる。その間一晩だけ若い友人のM君とスナックに繰り出しただけで、あとは一歩も外に出ていない。終日読書とテレビを見て過ごす。食事もコンビニ弁当と冷蔵庫を漁って、あるもので済ます。まるで「蟄居閉門」の生活だった。

カミさんが母親の介護の為に実家に帰ってもう7カ月が過ぎた。その間炊事洗濯を一人でこなし、何事もなくここまでやって来られた。でもその間、友人達が色々心配して届け物をしてくれたり、通いの弟子もいるのでそんなに大変でもなかった。だがこの四日間は殆ど来客もなく他人との会話もなかった。じ~~っと暑さに耐え、ただひたすらゴロゴロしていた。「さぞや退屈だったろう」って? いやいやそれがそうでもなかったんだよね。

四書のひとつである「大学」に「小人閑居して不善を成す」という有名な言葉がある。意味は「つまらん人間は他人の目がないと悪いことをする」という意味だ。そのつまらん人間の代表ともいえるオレも、若い時は文字通りカミさんが実家に帰っていないものなら毎晩飲みまくっていたもんだ。それも連日朝帰り。不善は、、、やってなかった、、、と思うけどね??

それが、、、、、、絶好の機会なのに全く外に出たいと思わない。50を過ぎた頃からかな~?金がないというのもあるけど、ネオンの灯りにそそられなくなった。それに酒もそんなに飲みたくない。こりゃ~一体どうしたんだろう。周りにはオレより年配でも飲みまくってる連中がまだまだ一杯いるんだけどね。

口さがない友人からは即座に「歳だよ」と言われそうだが、「小人閑居して不善を成す」の言葉の前にこんな言葉がある。「君子必慎其独也」意味は、「君子は独りでいる時こそ慎み深くする」というものだ。そうそう!まさにこの心境かな、、、。・・・ということはオレは君子に近づいてるということか、、、ウン、ウン、、、

ということで、友人から戴いた冷凍の櫻えびがあったので、今夜は独り慎み深くチャーハンを作って食べよう。冷凍から戻した生の櫻えびをフライパンで徹底的に炒る。色が真っ赤になって香ばしくなってきたら一旦取り出す。微塵切りにしたニンニクと玉ねぎをこれも甘みが出るまでかなり炒める。ご飯を入れパラパラになるまで炒める。いい塩梅になってきたらそこに生姜とネギを入れ香りを付け、塩、胡椒をする。最後に櫻えびを戻し全体になじませる。これでOK。





あとは魚屋のH君が持ってきてくれたでっかいカマスの一夜干しを焼く。それと山形の友人から送ってもらった一口茄子と蕨の漬物。  出来た!!  君子の夕食!!








  


2010年08月16日 Posted by 臥游山人 at 21:30Comments(0)メタボの素

上杉隆を叱ってみる

最近上杉隆というジャーナリストが、記者クラブ問題や官房機密費の問題に敢然と立ち向かっている。「週刊ポスト」や色々なメディアでの記事を散見して、「若いのになかなか気骨があるわい」とオレは内心エールを送っている。

あちらこちらでも彼を応援する火の手があがり、いまやネットの世界では上杉隆を知らぬ人がいないほどの有名人になっている。しかし、材料がそろっているのにどうもそこから火の勢いが広がらない。オレも所詮野次馬なので偉そうなことは言えないが、何か追及の仕方に問題があるのでは?と不思議だった。そんなときに彼が対談で語っていたこんな言葉を見つけた。

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僕は記事を書く場合、“ちゃかして”いることが多い。相手を追い込んでも、逃げ道だけは残しています。だけど編集長の中には・・・略・・・「相手のクビを取ってやろう!」という人もいて、とにかく徹底的に叩きまくる。「こいつは浮気をした! 悪い奴だ!」といった記事がありますが、読者の中には「オレも浮気をしているけど、大丈夫かな」と、不安に感じてしまう人もいる(笑)。
 「朝青龍は稽古を3日も休んだ! あいつは悪い奴だ!」といった記事を読んでも、サラリーマンもいい気分がしないのでは。自分も仕事をサボって雑誌を読んでいるのに「お前は悪い奴だ」と書かれていると、息が抜けなくなっちゃう。
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そうかな~?朝青龍やハマコーぐらいだったらそれでもいいかもしれんけど、相手は国家の根幹を牛耳っていた者や日本の世論を操作していた輩だ。都留文科大より遙かに高い偏差値の学校を卒業した連中ばかりだよ。そんな生ぬるいやり方で核心をついていけるか?

大体、機密費問題を暴露した野中元官房長官だって一筋縄ではいかない古狸だ。今回の件も彼なりの計算があってのことだろう。報復か?ブラフか?それとも保身か?一線を去った者の一世一代の大博打と言えなくもない。いずれにしても実名を一切出さないところに計り知れない不気味さがある。

上杉隆はこんな連中を相手に一戦をやろうとしている。だからオレも密かに応援してる。しかし、今のようなやり方なら、唯遠吠えをしてみせるだけで、周囲に自分の名前を売り込むための売名行為をしてる、と受け止められる恐れもある。いざとなったらカラオケ店の店員をしてでも食っていけると云うんだったら、逃げ道を全部ふさいで徹底的に追い込めよ。こちらに向かってきたら刺し違えるほどの覚悟と気迫で立ち向かえよ。

今、日本は上杉隆のような明快な理論と行動力を持った若きジャーナリストを必要としている。この際、闇を徘徊する鵺のような似非老ジャーナリストを、一刻も早く白日のもとに晒し、悉く駆逐してくれ。スイカばかり食ってる場合じゃないぞ。期待してるよ。




  


2010年08月11日 Posted by 臥游山人 at 21:43Comments(0)日々雑感

独りの夏

先週久しぶりにカミさんが帰ってきた。義母が転院して何とか落ち着いたこともあるが、自分の薬を貰いに病院に行くのが大きな理由だ。看る方も看られるほうも大変だ。それでもオレは久しぶりに食事の心配がなく、まったりとした数日を過ごすことが出来た。

三日程いて昨日の夕方に東京に戻ったが、オレの夕食を用意していってくれた。冷蔵庫にはしっかりビールが補充してあり、スイカ、桃も冷えていた。次の日食べるようにと焼きナスも入っていた。それに冷凍庫にはオレの好きなアイスクリーム。ありがたいね~。いいカミさん貰ったもんだ、改めて感謝してま~~す。

今日から又コンビニ弁当の日々が始まる。弁当買って朝の散歩から帰ったら、K君が獲れたての野菜とイチジクをたっぷり持ってきてくれた。さあ、どうしよう。余りの量に一瞬途方に暮れたが、そうだ!イチジクは赤ワイン煮にしよう。赤いイチジク、白いイチジク、大きいイチジク、小さいイチジク、4種類あるそうだ。大きいのは二つ割り、小さいのは切り込みを入れる。

赤ワイン一本ドクドクと大鍋に入れ、シナモン、バニラエッセンス、ローリエの葉っぱ、黒コショウを入れ、砂糖をたっぷり放り込んだ。そして塩をひとつまみ。それを沸騰させてイチジクを入れ暫し煮込む。これでOK!あとは冷やして食べるだけ。

赤い色をしたオクラ、万願寺、まっ白い長なす、丸いクボタなす、はフライパンで焼き、沸騰させただし汁の中に放り込み、そのまま冷やす。いわゆる煮びたしだね。そして一番手がかかったのは明日葉の処理だった。葉っぱを一つ一つ千切っていく。毛虫も顔を出した。相当な量だったので結構時間がかかった。それをさっと湯に通したら、しんなりしたところで水を切り、だし汁につける。世に言うところのお浸しだね。

やれやれ一体何時間かかったんだろう。やっとアイスクリームにありつけた。一人では食べきれないので弟子に半分あげよう。でも、食べてくれるかナ~~? 意外とオレの料理評判いいんだけどね、、、

独り暮らしを始めて7カ月になる。楽しくはないが、慣れてきた。ここまで頑張ったんだから、健康に気を付けてこの猛暑を乗り切らねば、、、



  


2010年08月08日 Posted by 臥游山人 at 18:59Comments(0)日々雑感

次世代に託すこと

今朝の静岡新聞の「時評」欄に、慶応大学名誉教授の矢作恒雄氏が「海外経営者が言い残したこと」と題したコラムを書いていた。今年6月中旬、新興国17カ国23人の経営者が日本で二週間の経営セミナーを行い、大きな感動を受けて帰国したと云うものだった。その参加者たちが口を揃えてこう云ったという。

【外から見るとこの20年間日本は自信喪失したかに見えるし、そう指摘する人が世界中に数多くいる。しかし、街で出会った日本人の親切や、ごく普通の人達が当たり前の様に約束や規律を守り、勤勉を重んじ、自己主張より和を優先させていることを目の当たりにし、この平均的日本人の質の高さこそ、日本の真の強みであることを再確認した】

それに対して矢作氏は「日本の強みが我々の祖先が何千年もかけて培ってくれた我々の考え方・生き方なのであれば、他の国の人たちが一朝一夕で追いつくわけにはいかない。祖先から受け継いだ資質に自信を持ち、次世代にしっかりバトンタッチして行く・・・これが我々に課せられた使命なのである」と結んでいる。

これを読んでオレは「何てノー天気な学者だろう」と呆れてしまった。たった二週間の滞在。それも限られた場所しか行ってないだろう外国の人たちのお世辞たらたらの外交辞令(きっと日本政府からの招待で来日したのではないだろうか?)にこんなに無邪気に喜んでる、、、まぁ、これが典型的な日本人の姿なのかな~~。

連日のように政治家や官僚などが嘘をつくのを見て、殆どの国民が約束や規律を守ることなんかバカらしいと思い始めているよ。それに勤勉なんかより、不労所得を求めてどれだけの国民が詐欺に引っ掛かってるんだろう?地域社会においてさえ和が保てず個がどんどん引きこもり、隣の人さえ知らないという人が多くなってきている。

大体日本は民主主義国家の中で自殺率が世界一なんだよ。そろそろ日本人は、「日本の強みは我々の祖先が何千年もかけて培ってくれた我々の考え方・生き方」が、グローバル化した現代において世界に通用しなくなってきていることを早く自覚すべきだろう。島国日本ではなく、地球の中の一国家として再スタートをしなければいけない時期にきているのではないだろうか?

その為には人を押しのけても自己主張しなければいけない時もある。そもそも日本人の勤勉さなんて欧米にとっくに追い抜かれている。学問の上でもお隣の国や北欧の国々において行かれた。国の幸福度だってランクが大分下だよ。これで平均的日本人の質が高いなんて何を根拠に言ってるのだろうか?

それにしてもいいな~、ガクシャとかヒョウロンカは、、、こんな愚にもつかないことを書いて金をもらえるんだからね。今オレ達は、次世代に受け継いでいくものをしっかり検証しなければいけない時期に来ている。



  


2010年08月03日 Posted by 臥游山人 at 17:52Comments(0)日々雑感