やっぱり浅草は面白い!!

11月26日、午後4時ちょっと前に浅草公会堂に到着した。公会堂の中はもうすでに沢山の人で溢れていた。玄関の前に紙切りの柳家松太郎さんがいたので声をかけたら、「え~、静岡から出て来たの?」と驚いていた。松太郎さんと会うのも久しぶりだな。今日は漫才協会主催「漫才大会」の日だ。チケットはすでに「ビッグボーイズ」のなべちゃんに頼んでいるのでそのまま受付に向かったら、もうなべちゃんが待っていた。

チケットを受け取って席を確認したら、なんと前から二列目のど真ん中だった。なべちゃんがいい席を取っていてくれた。ありがとうなべちゃん!! 「まだ時間があるから楽屋に行きましょう」となべちゃんがオレを楽屋に案内してくれた。

大部屋のような楽屋だったが、そこは何十人もの芸人で溢れていた。知っいてる顔があちこちにいて「お早うございます」と声をかけてくれる。ロケット団がいる。宮田陽・昇もいる。ナナオ君も笑顔で挨拶してくれた。なべちゃんが「写真撮りましょう」と言ってウクレレ漫談のピロキやWコロンのところに連れていってくれた。






 




オレは春日三球師匠と会いたかったのだが、どうも三球さんはこの部屋ではないらしい。開演時間が迫ってきたので、オレは三球さんを探すのをあきらめて席に着いた。今日の司会はナナオ君が務めるようだ。ナナオ君はさがみ三太師匠の弟子でオレとは旧知の仲。彼は今、美川憲一の専属司会として活躍している。





オレの席は前から二列目で、出演者の唾が飛んでくるほどの場所だった。今日は漫才協会総出演なので、ひと組3分くらいの時間しかなかったが、矢継ぎ早の笑いの波状攻撃で笑い転げてしまった。勿論なべちゃんも登場した。若手が台頭してきたせいか、このところ「ビッグボーイズ」の芸にもパワーが感じられる。こんなに実力があるんだからもっと売れなきゃおかしいんだよね。

中入りになったので、オレは又三球師匠を探して楽屋に行った。球児さんが「舞台のほうにいるよ」と云うので舞台裏に行ってみたら、、、いた!!いきなり後ろから「こんにちは」と声を掛けたら驚いていた。周りを見たら澤田隆治さん始め、演芸界の重鎮が揃っていたのでオレは一言二言話して席に戻った。それでも久しぶりに会えたから良かった。

中入り後、舞台がいきなり重厚な雰囲気になった。ナンセンスの岸野さんが現れて、「これから漫才殿堂入りの発表をいたします」と、三球さんと高松しげお(春乃タック)さんを舞台に上げた。春日三球・照代と春乃チック・タックの2組が選出されたのだ。いや~~、嬉しいね。確か三球さん、今年78歳だったと思うけど、まだまだ元気で頑張ってもらわないとね。

そして今日のメインエベントである第22代真打の披露だ。舞台が華やかになり「ナイツ」を挟んでおぼん・こぼん、球児・好児、内海桂子、昭和のいる・こいるの幹部が勢ぞろいした。お祝いに草野仁と塙が花束を持って登場した。昼の部には久本雅美が来たらしい。真打披露の式が終わってから「ナイツ」の漫才をたっぷり聴かせてもらった。やっぱり面白いし、若いのに何か風格のようなものが出てきた。第21代の真打が「ビッグボーイズ」だ。若手に負けるか!と益々頑張ってほしいもんだ。












  

そしてエンディング。出演者全員が舞台に登場した。ベテランに交じってかなり若手が混ざっている。「世界少年」始め、有望な若手が続々育ってきている。そのせいか客席に若い女の子が結構いた。吉本に負けるな。ホントの漫才をやれる本物の芸人が増えていって欲しいね。この模様はNHKテレビで放映されるそうだ。



 




さあ、終わったら今日はなべちゃんと飲むことになっている。まずは腹ごしらえということで、近くのレストランに行く。なべちゃんのプロダクションの社長も一緒だった。窓辺に席を取ったので、外を通る人が見える。今日の浅草は芸人で溢れてるはずだ。ウクレレ漫談のピロキがニコニコと窓越しに挨拶して行った。もりあきのりもわざわざ店の中まで挨拶に来た。さすがなべちゃんだ。Wコロンの木曽さんちゅうが子供を抱えて通りかかったので、呼び入れて子供の写真を撮らせてもらった。





途中で社長が帰り、オレとなべちゃんの二人になった。しかし、男二人じゃ余りにも色気がないと思ったのか、なべちゃんが「ニックス」に電話を入れて合流することになった。「ニックス」は今売り出し中の姉妹漫才で、漫才界では珍しい(?)美人コンビだ。勿論オレに異論のあるはずがない。

タクシーに乗ってなべちゃんの知り合いのスナックに行った。「ニックス」は、お姉ちゃんのエミちゃんが癒し系のボケ役、妹のトモちゃんが威勢のいいツッコミで、いい味を醸し出している。オレの尊敬する青空うれし師匠もさがみ三太師匠もその実力を認めているから、そのうち必ず注目されるはずだよ。






 

飲んで歌って知らず知らず夜は更けていく、、、いやいやそういう訳にはいかん。カミさんの実家まで帰らねばいかんのだ。偶然「ニックス」も帰りが同じ方向だったので一緒にタクシーに乗る。時計は午前1時半を回っている。

「ニックス」を送り届け、実家に着いたのは2時5分前だった。カミさんが、「2時になったら鍵を掛けて寝るところだったよ」と少々おかんむり。ひゃ~~、あぶね~ あぶね~ 

なべちゃん、いろいろ気を使ってくれてありがとう!!ホントに楽しかったよ。今までも長い付き合いだったけど、これからも腐れ縁で長い付き合いになりそうだね。よろしく頼むよ。又飲もうぜ!!やっぱり浅草は面白い!!




  


2010年11月28日 Posted by 臥游山人 at 14:01Comments(0)交遊録

明日は浅草

早いな~~ 娑婆の時間の流れは、、、

この前東京に行って来たと思ってたのに、

もう明日浅草だ。

浅草公会堂での「第41回漫才大会」を見に行ってくる。





明日の舞台で「ナイツ」の第22代真打披露が行われる。

第21代は「ビッグボーイズ」だったから、随分若返ったな~

漫才協会総出演だから、知り合いの芸人さんにも沢山会えそうだ。

その後は「ビッグボーイズ」のなべちゃんと飲む約束になってる。

楽しみ、、、楽しみ、、、




  


2010年11月25日 Posted by 臥游山人 at 17:17Comments(0)交遊録

サンタの急襲

昨日の昼過ぎ、ここ清水の上空が突如真っ黒な雲に覆われた。そして季節はずれのひょうが激しく降り出した。風雲急を告げるが如き怪しげな雰囲気だった。

その時突然電話のベルがなった。受話器をとると、その声はビッグボーイズのなべちゃんだった。「今、三太師匠と一緒なんですけど、寄ってもいいですか?」「今どこ?」と聞いたら、静岡の東名出口にいるという。

いや、いや、いつもの手には引っかからんぞ。青空うれし師匠もさがみ三太師匠もいたずらじーさんで、オレはいつも騙されている。遠くにいると言って家の前で電話してることが何回もあった。恐る恐る外を覗いたら車がない。どうも今度はホントらしい。

待つこと30分程で車のとまる音がしてなべちゃんの声がした。三太師匠もいつものにこやかな顔であらわれた。どうも前日から島田で営業があったらしい。なべちゃんとホテルに一泊して東京に帰る途中に我が家を訪ねてきたようだ。

こうなりゃこっちのもんだ。「師匠、このまま帰るってことはないよね。どっかに食べにいきましょうよ」ってなもんで、オレの知ってる居酒屋に案内した。オレと師匠は焼酎のお湯割り、なべちゃんには可哀相だけど、運転があるからただのお茶。





毎日一人で夕食を食べてるので、師匠となべちゃん相手に賑やかに食べるご飯の美味しいこと。牡蠣鍋をつつきながら焼酎のピッチもつい上がる。今までもこうして師匠とどれだけ飲んだことか。お互い本音の会話だから遠慮もない。

なべちゃんに師匠から時々きつい注文も飛び出すが、それはなべちゃんが可愛いからだ。師匠の顔を見るとよく判る。世間では怖いイメージがあるようだけど、こんなに心の暖かい人はいないとオレは思ってる。





オレが初めて師匠と会ったのが浅草のゴロゴロ会館だった。その頃オレはうれし師匠や春日三球師匠との交友があり、その関係でなべちゃんを紹介されたのだが、なべちゃんの師匠が三太師匠という事も知らなかった。

うれし師匠やなべちゃん達から、「ゴロゴロ会館に出演するから遊びにおいで」と誘われてオレは楽屋に向かったのだが、途中で箒を持ったジャージ姿のおじさんがいたので「なべちゃんの楽屋どこ?」と聞いたら、「あっちだよ」と教えてくれた。

楽屋に入ったら知り合いの芸人さんがたくさんいた。その中にコロンビアトップ師匠もいた。オレは図々しくトップ師匠と病気の話で盛り上がっていたら、さっきの掃除のおじさんが楽屋に入ってきていきなり着物に着替えだした。それがさがみ三太師匠だった。そしてそこが三太師匠が席亭として仕切っている「ザ・演芸」であることをオレは後で知った。

それから師匠とアメリカに一緒に旅行に行ったりしてるうちに意気投合した。毎日のように師匠と会ってた時期がある。どれだけ飲みにも連れていって貰っただろうか?ボトル一本二人で飲み干し、それから次の店に向かう。師匠は飲み残すのが嫌いだった。最後は師匠に濃い~~のをドボドボとグラスに入れられた。





酩酊し、二人で肩組んで町をふらついていたところを知人に目撃されたこともある。ホントに楽しかった、、、その頃オレも師匠も酒が強かった、、、

昨日は途中で師匠が、自分のグラスから半分オレのグラスに注いで寄こした。あれ?っと思ったがオレはそのまま飲み続けた、、、

帰り際に「師匠、さがみ三太・良太をも一度見たいな~」とオレは怒られるのを覚悟で言ってみた。一瞬表情が引き締まったような気がしたが、直ぐ一段と目を細めながら「それもいいな~~」と言ってオレに笑顔を返して寄こした。

9時を回った頃、愛弟子のなべちゃんにハンドルを任せ、三太師匠はひょうひょうと東京に帰っていった。




  


2010年11月19日 Posted by 臥游山人 at 18:48Comments(0)交遊録

親父の相関図

たまたま親父のことをネットで調べていたら、こんなものが出てきた。面白いけど、一体誰が何のために作ったのだろう??

http://spysee.jp/%E5%AF%92%E6%B2%B3%E6%B1%9F%E5%96%84%E7%A7%8B/1830181/network/

そして亡くなって30年以上になるのに、親父のことを色々調べてくれる若い人もいる。ありがたい話だ。

http://rockonjo.cocolog-nifty.com/blog/cat21229412/index.html



  


2010年11月17日 Posted by 臥游山人 at 01:23Comments(0)日々雑感

浅草オフ会 ~東洋館~

ネット上での付き合いを超えて実際に顔を合わせることをオフ会と言うのだそうだ。オレは昭和20年代生まれのコミュに参加してるのだが、今回浅草近辺でのオフ会があるということなので初めて参加させて貰うことにした。

おせっかいとは思ったが、浅草に行くならお笑いは欠かせない。「東洋館」での漫才観賞を提案したら賛同を受けたのでそちらの手配をオレがすることになった。早速「ビッグボーイズ」のなべちゃん(なべかずお)に電話したら、当日なべちゃんの出演がないが付き合ってくれると言う。なべちゃんがいてくれればこんなに心強いことはない。

6日がその日だった。朝の9時にスカイタワー周辺の見学からスタートということだったが、静岡からの参加ではちょとツライ。オレは「東洋館」からの参加にして貰った。目覚ましをセットして6時半起床。7時半に家を出て静岡駅に。こだまに乗る予定だったが、ひかりが入ってきたので飛び乗った。な~~に、早く着いたら浅草を散策すればいい。

11時になべちゃんと「東洋館」前で待ち合わせだったが、10時過ぎに浅草に着いたので、仲見世からプラプラと歩き出した。土曜日のせいか結構人が多い。あちらこちらから中国語らしき会話が聞こえる。やっぱりここも中国人が多いのか、、、





伝法院通りに出る。「大黒屋」が見えた。昔ここで天麩羅食べたな~。最近は並ぶの辛いから入ってないけど、ごま油でカラッと揚げた天麩羅もたまには食いたいな~。





煮込みで有名な「捕鯨船」の看板が見える。ここはビートたけしが訪れる店として有名だ。店の前の予約済みと書いてあるケースに、たけしの写真がお目見えするのは何時になるのだろうか?





浅草公会堂の前には沢山の著名人の手形が飾ってある。一人ひとりの顔を思い浮かべながら一枚一枚眺めたのだが、現存してる方もいれば、故人になられた方もいる。高名な人もいれば、見かけない名前も(その世界では有名だとは思うけど)あり、一体誰が選定してるんだろうね。





そうこうしてるうちに11時近くになったので「東洋館」に向かう。コミュの人達ともここで合流。なべちゃんも現れた。なべちゃんの案内で、芸人さんもよく来るという食堂に入る。ここで秋刀魚定食と生ビールを、、、初めて会う人ばかりなのでビールでも飲まないと、、、

12時から開演なので「東洋館」に向かう。入場券は2,500円なのだが、なべちゃんが交渉してくれて一人2,000円にして貰った。なべちゃんありがとう!!若手から漫才がスタートしたが、今日は漫才協会による芸術祭参加の演劇が最後にあるので、変則的なプログラムになっている。早くも真打クラスが登場し、会場を一気に笑いの渦に巻き込んでいく。やはり「おぼん・こぼん」「青空球児・好児」は何回見ても面白い。

途中でなべちゃんが呼びに来たので楽屋に入る。舞台袖にチャンスさんがいた。この人とも長い付き合いになる。若手に人望があり、いまや浅草になくてはならない芸人になった。ちょうど、今売り出し中の「ロケット団」もいたので写真をパチリ。「ロケット団」の三浦君はオレと同じ山形生まれ、オレのマイミクでもある。そこにこぼん師匠、元ナンセンストリオ」の岸野猛師匠も通りすがった。なべちゃんが気を利かしくれてみんなでパチリ。













それからこぼん師匠の楽屋に入って色紙を書いて貰った。全部で14枚。これはオフ会の参加者にオレからのプレゼントで、一人ひとりの名前を入れて貰った。これだけのサインをいやな顔一つしないで書いてくれる。売れる人はやはりそれだけの人柄が備わっているとつくづく思った。









残念ながらおぼん師匠は楽屋にいなかったが、些細なものだったが、静岡の味詰め合わせを二人分用意してきたのでこぼん師匠にお渡しして楽屋を出た。そこにちょうど球児師匠が通りかかったのでまたパチリ。そういえば球児師匠、先日のうれし師匠のパーティに来てなかったな~。





実はオレなべちゃんにお願いしていたことがあった。うれし師匠のパーティの時、かいがいしくお手伝いをしていた「ニックス」という姉妹漫才がいた。余りにも可愛かったので、なべちゃんに「一緒に写真を撮りたいな~~」と頼んでいたのだ。

たまたま外出していたが、そこは大先輩のなべちゃん。電話で呼び出してくれた。ふっくらはしているが、間近で見ると二人ともホントに可愛い。おじいさんが白人なので、目鼻立ちがしっかりしている。彼女達の芸はまだ発展途上であるが、その一途さはひしひしと伝わってくる。おじさん何も出来ないけど、これから応援するよ。オレはこの二人、必ず世に出ると思う。









最後に一時間タップリ笑いあり涙ありの劇をみて、一同心ゆくまで笑ってお腹をすかし、二次会が行われる品川に向かった。パステルカラーに染まった秋暮の浅草の空にスカイツリーがニョキっと聳えていた、、、





品川駅のすぐ側にある「たいし」という店はメンバーの「鬼の平蔵」さんが経営する料理屋さんだが、浅草に来れなかった人もここに集結し、20人ほどが参加した。なべちゃんも参加してくれた。オレはどうもハンドルネームで呼び合う空間に何とも違和感を持ってしまうのだが、皆さんテンションが高い。たちまちのうちに打ち解けていく。

盛り上がってみんなでなべをつついたところでなべちゃんが芸を披露してくれた。みなさん大変喜んでくれて、なべちゃんにもコミュに参加してもらうことになった。食事が終わって、有志でカラオケに向かった。オレがもたもたしてるうちに懐かしい歌が次々と飛び出した。

なべちゃんも何曲か歌い、場が大いに盛り上がっている時になべちゃんの携帯のベルが鳴った。なべちゃん、二言三言話してオレに受話器を渡してよこした。誰かな?とはなしてみたらおぼん師匠だった。オレのお土産の御礼だった。「今度一緒に飲みましょうよ」と約束して電話を切ったが、演芸の人達はホントに心が温かい。

帰りはなべちゃんとコミュの管理人の「旅烏」さんの三人で浅草行きの電車に乗った。初めてのオフ会だったが、同じ年配の者がネットを離れて素顔で交流するのも悪くはない。今度いつ参加できるかわからないけど、再会を約束して「旅烏」さんと別れた。




  


2010年11月08日 Posted by 臥游山人 at 16:05Comments(0)交遊録

第220回「三日月会」

昨夜は「三日月会」の第220回目の定例会だった。この会の世話人は「はごろもフーズ」の後藤会長。「三日月会」とは後藤さんが親しい友人に声を掛けて結成した集まりで、月に一回(第一月曜)ここ松韻窯陶房で陶芸を楽しむ会なのである。

夕方6時頃集まってお弁当を食べ、時には酒も飲み、そして焼き物造りを楽しんでいる。月一回といっても1月と8月は休みで、他に楽しいことがあればそちらを優先する、いたっていい加減な会であるが、それが220回も続いている。単純に計算しても軽く20年を超える。これはすごいことだと思う。

振り返るとオレと後藤さんの付き合いはそれより更に古い。まだ後藤さんが前身の「はごろも缶詰」の総務部長の頃だから、もう30年を越えるかもしれないな~。

ある日後藤さんがフラリと陶房にやってきて陶芸教室の会員になったんだけど、その時オレは後藤さんが何者か全くわからなかった。暫くして素性がわかったけど、それからもずっと変わらぬ付き合いをさせてもらっている。歳はオレより一学年上。自宅も我が家から歩いて10分ほどの近所になる。

それから何年かして後藤さんが、「俺の知り合いを連れてきていい?」と、次々と友人を連れてきてくれた。それが「三日月会」の始まりだった。いつの間にか正会員13人、準会員5人の大所帯になって、陶芸の他にも旅行、ゴルフ、飲み会など、色々企画して交流を深めている。





「三日月会」が出来た頃は皆溌剌とした壮年の集まりだったが、いまや皆さん貫禄がでて、静岡を代表する実業家ばかりだ。準会員というのは、陶芸をやらないで遊びの時だけ参加するメンバー、静岡銀行の中西頭取、(株)ユニバンスの谷相談役、法政大学の田口教授など実に多彩な人たちがいる。

世話人の後藤さんがここ数年公私共に多忙になり、余り参加できなくなっている。そして遂に静岡市商工会議所会頭に就任した。全国で十番目の規模の商工会議所になるそうだ。「報酬もらえるんでしょう?」と聞いたら「とんでもない!!」と叱られた。逆に年300万円納めるらしい。

昨日がその就任の日だった。川勝知事や小島市長への挨拶回り、マスコミの記者会見。忙しかった筈なのに昨夜の「三日月会」に何事もなかったように参加した。後藤さんが参加する日は忙しくなる。会話も弾むが、必ず酒席になるからだ。案の定、後藤さんは自社の製品や頂き物などのつまみ類と酒を持参して現れた。

しかし最近のメンバーは殆ど自分で運転して来るので酒は飲まない。後藤さん、一人ひとりに酒を勧めるが誰も付き合ってくれない。寂しそうな後藤さんの目線がオレと合った。「あんたは運転しないから大丈夫だよな」やっぱり、、、こうなっちゃうよね、、、

陶芸の指導は弟子に任せ、こうなりゃオレの仕事は後藤さんの酒の相手と決めた。スコッチを何杯か飲んだらいい気分になってきた。後藤さんの顔もほころんできた。仲間とバカっ話に興じているうちに気持ちも緩んできたのだろう。実にいい笑顔になってきた。

興が乗ってきたのか、土もひねり出した。平茶碗のようだ。焼き物に興味があれば知ってる人もいると思うが、日本の陶芸界で最も権威のある「日本陶磁器協会」という団体がある。後藤さんは去年からその常任理事にも就任している。だから陶芸に関しても実に詳しいのだ。

とにかく後藤さんの引き出しの広さと奥の深さにはいつも驚かされる。そして人情家である。オレがヤングカレッジの設立に苦労していた時、真っ先に手を差しのべてくれたのも後藤さんだった。オレにとっては頼りになる兄貴分なのだ。






やがて、、、「三日月会」が終わり、、、ほろ酔い気分で帰っていく後藤さんの足取りは意外と軽やかだった。






  


2010年11月02日 Posted by 臥游山人 at 16:55Comments(0)交遊録