民意

長い選挙戦が終わった。民主党の勝利は予測されていたが、まさか308議席も獲得するとは思わなかったな~。この結果に自民党は茫然自失の体だが、それでもまだ国民から示された空恐ろしいほどの怨嗟の声に気付いてる議員は少ないようだ。

戦後60数年に亘って構築されてきた政・官・財の癒着利権体質。政治資金問題、年金問題、派遣切りなど、それが余りにも顕在化してきて、さすがのおめでた国民にでもはっきり見えるようになってきた。それでも一向に改善しようとしない自民党の無神経さと鈍感さと厚かましさに、民意という鉄槌が打ち下ろされたのが今回の結果だろう。

前の日記でオレが予測したが、今回の民主党の目覚しい躍進で東海地区比例39位にランクされていた小林正枝さんという37歳の女性が当選した。名前を聞いて分る人がいるだろうか?彼女は今年行われた静岡市議選に民主党の公認が貰えずに無所属で立候補し、最下位で落選した女性だ。

そんな知名度も実績もない女性が、何故これほど簡単に国会議員になれたのだろうか?それはオザワチルドレンだからだ。どうも民主党県連も公示直前まで彼女が名簿に入ることを知らされてなかったらしい。不満が噴出しないように直前にオザワサンがサッと放り込んだのだろう。流石策士だ。

こうして彼女は、オザワ塾に在籍していたというだけで棚ボタのように議員バッチを得ることが出来た。果たしてこれが民意といえるのだろうか?彼女は静岡県民の代表として胸を張って堂々と国会に乗り込めるのだろうか?

誤解しないで欲しいが、オレはこの小林正枝さんという女性に悪意もなければ面識もない。また、彼女にだって何の落ち度もないのである。選挙法に法って正式に議員になったのだ。ただ、オレのような思いを持つ者もいると思う。小林さんには、与えられた国政の場で、そんなオレ達の気持ちを払拭するような活躍をして欲しいものだと願うのみだ。

オザワという男は、動乱時に於いては他の追随を許さないほどの行動力と英知を発揮する。戦が大きければ大きいほどその存在感が増してくるようだ。それは認めるよ。オレにも思い当たるふしがあるから・・・

問題は平時の時だ。彼の中で猛り狂うマグマのような波動は、平時でもその勢いを沈静化できないのだろう。そのため、周りが安定して態勢を整え始める頃になると決まって問題が勃発する。オザワがぶっ壊し屋といわれる所以だ。

今回は民主党の後ろから民意という強い風が吹いた。しかし、風は何時も同じ方向から吹くとは限らない。横からも吹くし、時には前からも吹くだろう。政治家には、いつも風を後ろに感じているという感覚を大切にしてもらいたいものだ。



  


2009年08月31日 Posted by 臥游山人 at 15:52Comments(0)日々雑感

友歌チャンじゃないか?

今日、痛風の薬が切れたので掛かりつけの医院に薬を貰いに行った。「どうですか?」「調子いいですよ」「じゃあ、いつもの薬出しておきますね」この間ものの数十秒。これで診察終了。オレの身体を知っている医師とのほんの短い会話。でもこれだけで安心感が広がるんだよね。お陰様でここのところ尿酸値が5前後で安定している。

そしていつものように隣の薬局に薬を貰いに行く。薬が出るまで近くにあった「スポニチ」を拾い読みしていたら或る女性歌手の記事に目が吸い寄せられた。演歌歌手が新曲を出したという他愛も無い記事なのだが、その写真がどうもどこかで見かけたような・・・気がしてならない。



「変り種・・・浪曲師が王道演歌」と見出しが書いてある。「やっぱりそうだ!!」あの人だよ。

先日オレがお世話して清水に内海桂子師匠と浪曲漫談のさがみ三太師匠に来てもらい講演会を開いた。その時に曲師の澤村豊子師匠にも来てもらったのだが、豊子師匠のお付で来ていたあの女性に間違いない。

前にもオレは会っているけど、いつもジーパンを履いてノーメークなので、着物姿のこの写真は新鮮だ。とは言えこの写真が彼女の本当の姿なんだろうけどね。

名前は浪速亭友歌という。豊子師匠も「この子は歌手なんですよ」と言ってたな~。浪曲が好きで、始め東家浦太郎の弟子になり、今は豊子師匠について修業をしている。「何とか世に送り出したいんですよ・・・」豊子師匠は心からそう願っているようで、こんなオレにも「何かあったらよろしくお願いします」と頭を下げていたな~。

でも彼女、苦労人なんだよね。だから実に礼節をわきまえている。いつも影のようにピタっと師匠に寄り添い余計な口は聞かない。自分も歌手なのに師匠より目立つようなことは一切しない。先に先にと気遣いをしながらも、その目は師匠の芸を盗もうと必死だ。

いいな~~ 羨ましいな~~。

友歌チャン頑張れ!! おじさん応援してるぞ!!



  


2009年08月28日 Posted by 臥游山人 at 21:55Comments(0)交遊録

キノコ狩り

昨日たかしさんから「キノコ取りに行く?」と誘われた。勿論オレは「行く、行く」即答で返事した。

今朝の4時過ぎにたかしさんが車で迎えに来てくれた。場所は某所としかいえない。我家から車で二時間強の、ある山の中腹が目的の場所だ。六時半頃に現地に着いた。何台か車が止まっていた。もう山に入っている人もいる。オレ達もリュックに水と食料を入れ、片手に手製の杖、もう片手にはキノコを入れる籠を持ち早速山に分け入った。



日頃歩いているから大丈夫と高をくくっていたが、これが通用しないことに気がついたのは登り始めて一分も経たない内だった。たかしさんは急角度のブッシュをスイスイと登っていく。オレはたかしさんから借りた熊よけの鈴をカランコロンと鳴らしながら必死で追いかけるが直ぐに見失ってしまう。

やっとのことで追いついたらたかしさんがもうキノコを探し当てていた。ショウゲンジというフウセンタケ科のキノコでその姿からコムソウとも云われている。さあいよいよキノコ狩りの始まりだ。しかしたかしさんの表情が暗い。今年は雨が少なくてキノコの数が少ないという。

兎に角もう一寸登ってみようということで必死に後を追う。たかしさんの声が聞こえたので近寄ってみたら何とやまどり茸があった。所謂ポルチーニ茸だ。目を皿のように探したらオレも何個か見つけることが出来た。「よし、今晩はホイル焼きだぜ!!」こうなるとオレの猟師魂が疼きだす、・・・というより汚い食い意地だよね。



あっ、向こうの方に赤い色のキノコが・・・お目当てのたまご茸だ。このキノコは本当にきれいだ。知らない人がこの真っ赤なキノコを見たら絶対毒キノコと思うだろう。現に同じような色と形をした紅天狗茸という毒キノコがある。オレも今日二本ほどこの紅天狗茸を摘んでしまいたかしさんに捨てられた。



随分歩いた。たかしさんの後を追いかけながら右に左に、登ったり降りたり。見ると籠の中には今晩食べるには充分な程収穫もあった。時間も十時になろうとしていた。そろそろ帰ろうか?と山を下り始めた。

登るより下りるほうが何倍も大変だ。足首も膝もガクガク震える。採りたい一心で、登る時はそんなに気付かなかったが、見下ろすとかなりの急勾配だ。覚悟を決めて下りだした。車を置いたところに戻った時、安堵感で一気に汗が噴出した。



家に戻ったのは昼の一時半を回っていた。もう今日は仕事にならない。足首も太股も痛い。腹筋もパンパンに張っているようだ。本格的に痛くなるのは明日か、明後日か?年とると痛いの遅れてくるからな~~。それより今夜の食事が楽しみ、楽しみ・・・。




  


2009年08月27日 Posted by 臥游山人 at 21:03Comments(0)メタボの素

内海桂子師匠の太股

生田スタジオでの物まね番組のテレビ収録を終えてから東名を走り、ビッグボーイズのなべちゃんが我家に着いたのが昨夜の11時過ぎだった。焼酎を飲みながらバカっ話に興じ、布団に入ったのは夜中の二時を回っていた。

そして今日、「清水かがやき塾」の講演会が清水文化センターで行われた。講師は内海桂子師匠、それに浪曲漫談のさがみ三太師匠だった。この企画はオレが間に入ってまとめたものだったので今日は一日仕事を休んでお世話係りに徹した。

NPO法人の理事長も務めている三太師匠はこの講演会の前に、江尻生涯学習交流館でボランティア活動として無料の公演を行った。いつもながら師匠の善意には頭が下がる思いだ。それで師匠は弟子のビッグボーイズを連れてきたのだ。

それにもう一人、オレの大好きな曲師の澤村豊子師匠も一緒だ。ホントは今日浪曲師の国本武春さんの仕事が入っていたのをキャンセルしてまで清水に来てくれたそうだ。豊子師匠は今一番日本で売れている曲師で、NHKによく出演している。



9時25分頃清水駅で待ち合わせをしたので、なべちゃんとゆっくり朝ごはんを食べてから駅に向う。改札口に着いたら丁度三太師匠一行の姿が見えた。澤村豊子師匠とお付の若い女性、ビッグボーイズの羽生君、それに師匠の息子のS君。






江尻交流館では先に師匠が出演し、浪曲と漫談で参加者を喜ばせてからその足で豊子師匠と一緒に清水文化会館に向った。そして弟子がトリを務めるという変則的な形になったが、ビッグボーイズが熱演して参加者を大いに笑わせた。



   ビッグボーイズの羽生愁平と、彼は清水出身だ

終演後、休む間も無くビッグボーイズとオレも文化会館に向う。楽屋には既に内海桂子師匠が到着していた。桂子師匠には去年ヤングカレッジの慰問で清水に来てもらって以来だ。今年88歳の米寿を迎えるというが、この元気さは一体どこから来てるのだろう。



今日の観客数は1,200人だという。午前中にやった会場の十倍以上の客数だ。心なしか三太師匠の表情にも緊迫感が漂いだした。ビッグボーイズも師匠の指示でテキパキと準備を始めた。

でもオレはな~んもやることが無い。オレの分も弁当を用意してあったので、オレは澤村豊子師匠のブラジル旅行の話を聞きながら先に平らげてしまった。豊子師匠も全てアドリブで演奏するので特に事前に打ち合わせも無いそうだ。

そして昼の一時半、桂子師匠の講演が始まった。師匠は元々は内海桂子・好江という漫才コンビで一世を風靡したが、相方の好江さんが亡くなってから一人で活動を続けている。現在社団法人漫才協会の名誉会長を務め、今売り出し中のナイツの師匠でもある。

声はデカイし、歌うし、踊るし、三味線も弾く。あの小さな身体のどこにあれほどのエネルギーが潜んでいるのだろう。35分と時間を決めていたのだが時間を過ぎても終わらない。マネージャーが袖でオロオロしだした。実はこのマネージャー、成田さんと言って旦那さんなのだ。それも24歳も年下だ。

オレも袖で観ていて吹き出してしまった。四曲も五曲も踊り続け最後は太股までチラリと見せるサービス(?)。そしてとうとう強制退場のような形で降板した。いや~~、ありゃとっても88歳のバーサンじゃないぜ。ヨーカイといってもいいんじゃないかな。でも、老芸人の舞台に懸ける鬼気迫る執念というものを身近で見せてもらったようで、オレは久しぶりに背筋が伸びた気がした。

その後は三太師匠の出番。今回は本職の浪曲を沢山唸って欲しいとオレが注文をつけていたので、師匠相模太郎譲りの「灰神楽の三太郎」のさわりや「梅干のできるまで」を豊子師匠との掛け合いでたっぷりやってくれた。やっぱりすごいや。師匠!まだまだ現役で頑張ってよ。




・・・今日は桂子師匠の太股が夢に出てきてうなされそうだな。少し多めに睡眠剤を飲まなくちゃ・・・。



  


2009年08月22日 Posted by 臥游山人 at 22:39Comments(0)交遊録

セップとオーヴォリ

今日きくちゃんがキノコを届けてくれた。たかしさんが採ってきたものだ。自分ではなかなか採りにいけないけど、こうして季節の味覚を届けてくれる友がいる。いつになくしみじみと幸せを感じる。ありがとう、たかしさん!!

一つは「やまどりたけもどき」、ポルチーニ又はセップといってヨーロッパでは日本の松茸並みに珍重されるキノコだ。



そしてもう一つ「たまごたけ」、色がきれいなので日本では敬遠されがちだが、やはりヨーロッパでオーヴォリといってサラダでも食される高級キノコだ。



どんな食べ方をしても美味しいのだが、今晩はチェコ風の卵とじで食べた。先ず玉ねぎをみじん切りしてオリーブオイルで炒め、塩、胡椒、バターを少々、そこにクミンシードで香りをつける。ぶつ切りにしたキノコを入れたら火力を落とし、溶きたまごをまわしいれる。

これで出来上がり。酒のつまみにも絶品なのだが、今日は純粋なご飯のおかずにした。これが実に美味いんだ。今年も山の恵を味わうことが出来た。季節は確実に夏から秋に移り始めている。



  


2009年08月20日 Posted by 臥游山人 at 21:42Comments(0)メタボの素

エージャナイカ

最後の最後まで解散を先延ばしにしてきたアソーさんが、任期満了間近になってようやく初めての決断をした。各党がそれぞれの思惑を胸に秘めながらいよいよ選挙戦が始まった。

昨日の夕刊に各党の候補者名が発表されたのでどれどれと覗いてみてオレは我が目を疑った。民主党の比例東海ブロック単独候補者の名前が小林正枝という女性になっていた。何度も読み返したが間違いない。どうなってんだ・・・いや、どうしちゃったんだ民主党!!

オレはこの小林さんという方とは面識もないし人となりも分らない。しかしこの人は今年の3月に行われた静岡市議選に立候補し、当選どころか最下位落選した人のはずだ。市民の付託も得られなかった人間が何故国会議員に一番近いところにランクされたんだ??

オザワだよ。彼女はオザワ塾にいた人間だ。オザワが強引に彼女を名簿に放り込んだに違いない。しかし、真面目に闘っている民主党の候補者よ、それでいいのか??そして静岡市民を余りにも愚弄してないか??

民主党はいつもそうだ。まさにこれからだという時にそのムードを自らぶち壊してきた。それも、いつも同じ人間が・・・。

中堅といわれる者が余りにもだらしがないとオレは思う。修羅場を潜った経験がないから一大事になるとすぐにビビって逃げてしまう。木刀でチャンバラ遊びをしているだけだ。真剣で切りあって赤い血を流すことを怖がっているのだろうか?

マニフェストをつつかれれば直ぐに訂正してしまう。何を焦っているのか、地バン、看バン、カバン、おまけにオバンの田中真紀子を入党させた。今、民主党の体内に腫瘍が何箇所も発芽し始めている。民主党は若しかしたら政権を取れるかも知れない。いや取れるだろう。しかし政権をとる前にもう民主党は腐り始めているのではないか? 

だからオレは民主党の政権は長く続かないと思う。やがてこの腫瘍が癌となって末期の症状になった時に初めて日本に大転換期が訪れるのだろう。それは全政党を巻き込んだ政界大編成なのか?それともおめでた国民によるクーデターなのか?

ん、ん、、、クーデターはないか?・・・でもいくらおめでた国民でも「エージャナイカ」ぐらいは出来るんじゃないか?



  


2009年08月19日 Posted by 臥游山人 at 22:05Comments(0)日々雑感

天才は天災に勝てず

昨日東京に住むカミさんの母親が突然体調を崩し入院をした。看病でカミさんが上京したので、自分で夕ご飯を作り、一人で味気なく食べた。酒を飲む気もおきなくてグズグズとテレビを見てから、シャワーを浴び寝床についた。

身体を横にして何気なく足元の方を見たら、アっと身体が凍りついた。カミさんが結婚する時に持ってきた頑丈なタンスがドーンと構えている。昔からそこにあったもので、今まで余り意識したこともなかったのに・・・

「これが倒れたらオレ死んじゃうな~」突然そう思った・・・もう30年も前から来るぞ、来るぞ、と言われていながらその片鱗も見せなかった東海地震。その恐怖が突然湧いてきた。何故と言われても解らない。

そう考えると眠れなくなる。タンスを見つめながらますます冴えてくるオレの目。仕方なく睡眠導入剤を飲んでみる。程なく眠気を催したが熟睡するまでに至らない。ウツラウツラしながら気がつけば時計の針は5時を回っていた。年を取るとトイレが近くなる。面倒くさいなと思いながらも用を足して部屋に戻ったその時だった。

家全体が軋むような音とともに部屋が大きく揺れだした。「来た!!東海地震だ!!」オレは無意識にタンスに近寄り両腕で押さえた。何秒ぐらいそうしていたのだろう。揺れが収まった。んん~~??これだけ~??確かに大きく揺れたけど、周りを見渡しても特に被害が見当たらない。

これは決して東海地震じゃない。東海地震だったらこんなレベルじゃないはずだ。即座にそう思った。

でも友はありがたい。直後から電話がかかりだした。まだ五時を回ったばかりだから眠くて仕方がないが、こんな時間でも心配して電話してくれる友がいる。普段疎遠になってる人からもお見舞いの電話があった。海外からも電話が来た。こうなりゃ寝ちゃいられない。

仕事場のほうを覗いてみたら秋の個展用に造った作品が何個も壊れていた。作品は又造ればいい。全部壊れなくてラッキーだった、そう前向きに考えよう。でもオレのような凡才の造ったものだから気楽だけど、これが大陶芸家の作品だったらどうなんだろうね?

そうなりゃ国家的な大損害だ。天才は天災に勝てず・・・か? 



  


2009年08月11日 Posted by 臥游山人 at 22:08Comments(0)日々雑感

笠間で飲んだ食った笑った。そして・・・

8日から9日にかけて、赤羽の巨人こと獣医のK先生が主宰する、社会教育団体SANCS(サンクス)恒例の夏季合宿に参加するために茨城県の笠間に行ってきた。オレはこの団体の設立当初からの理事になっているので本来は毎回参加しなければいけないのだが、もう何年もサボってしまっていた。

今回はこの合宿最後の夜に漫才のビッグボーイズがゲストとして出演する。オレがK先生に紹介したので、オレもどうしても参加せざるを得なくなってしまったのだった。



昼の11時45分に東京駅でビッグボーイズと待ち合わせて、なべちゃんの愛車に乗り笠間に向う。常磐高速で約一時間ちょっとのドライブだったが、先日出演した「エグザイルジェネレーション」の話や今度出演すると言う物まね番組の話で盛り上がり、あっという間に合宿所に着いた。







ここは持ち主の名前から「飯田山荘」と名付けている。長らく人が住んでいなかった農家を改装したものだが、大きな厨房には相当お金をつぎ込んだに違いない。



その日は涸沼に川遊びに行くので留守番の人しかいないよと言われていたのだが、何とK先生を始め全員が揃っていた。聞けば、前日一時間当たり81ミリと観測史上最高の大雨が降って川遊びどころではなかったらしい。

夕刻からのイベントの準備に取り掛かっていたが、全員キビキビと自分の仕事をこなしている様は見ていて実に気持ちがいい。オレ達はその間に昼ごはんをご馳走になった。顔見知りのMさんが笑いながら生ビールの入ったジョッキを持って近づいてきた。もう逃げるわけにはいかない。朝でも昼でも夜でも飲みたいものを飲みたいだけ飲む、それがここのしきたりだ。

ビッグボーイズの羽生君はもう四杯目をお代わりしている。つまみはSANNCS農場のだだちゃ豆、自家製えぞ鹿のチャーシュー、山菜、豆腐など自然のものが並んでいる。羽生君は至福の表情を浮かべている。

そうこうしている内に本日の他の出演者も到着し始めた。カーネギーホールにも出演したというパーカッショニストの大熊理律子さん。由紀さおり、安田祥子のコンサートのピアノ演奏を担当しているピアニストの大杉光恵さん。オペラ出演やコンサート活動で活躍している二期会所属のソプラノ歌手渡邊史さん。すごい顔ぶれだ。



そういえばオレの知合いに二期会のソプラノ歌手、秋山恵美子さんがいる。渡邊さんに聞いてみたら良く知っていて、彼女にとっては大先輩だと言う。ホントに世の中狭いね。早速秋山さんに電話してみたら残念ながら留守だった。

薄暮の頃パーティーが始まる。幸い雨も止んでいる。あちらこちらからヒグラシの鳴き声も聞こえ始めた。理事長のK先生の挨拶、そしてオレにも挨拶が回ってきた。ビールも飲んでるし、かなり適当なことをしゃべってお役御免。さあ!いよいよビッグボーイズの登場だ。



近所の人たちも集まってきている。目の前には子供達が陣取っている。浅草で修業を積んだ彼らはどんな環境でもビクともしない。適当に客をいじりながら、持ちネタを次々と披露していく。軽妙な漫才の中にパントマイムとマジックを挟み、バルーン・パフォーマンスや皿回しも飛び出した。子供達の目も輝いている。30分の長丁場、客を飽きさせることなくやり抜いた。こんなにウデがあるのにどうして世に出れないのか、オレには不思議で仕方がない。



オレの隣で観ていたK先生も彼らの漫才を気に入ってくれたようだ。何より芸が下品にならないところが良かったと思う。これからも何かと先生に面倒を見てもらえれば、オレが紹介した甲斐があったというもんだけどね。

次は大熊理律子さんのマリンバ演奏だった。素材や硬さの違う何本ものマレットを使い、様々な曲を演奏していく。マリンバは元々アフリカの楽器らしいが、その名前はスワヒリ語から来てるのかな?



ソプラノの渡邊さん、ピアノの大杉さんも登場し、三人で次々と「マイフェアレディ」のナンバーなどを聞かせてくれる。三人の音楽の中にヒグラシのカナカナカナ・・・という声が自然に溶け込んでいく・・・目をつぶって聞いていると、自然と一体となったような気がして陶然とした思いになり、身も心もゆっくりとほどけていく感じがした。






三人の音楽が終わったら、いよいよお決まりの大宴会になる。オレの周りで近所のおじいさん達がコップ酒を飲んでいる。目の前のおじいさんに年を聞いたら80だという。しかし田舎のじいさんを舐めたらいかん。しゃべるわ、飲むわ、食うわ・・・オレなんか足元にも及ばない。前回は、じいさん達が帰ったら一升瓶が12本空になっていたそうだ。

酒はいくらでもある。時間もゆっくり流れている。時々K先生が「しっかり飲んでいるか?」と見張りにくる。しっかり飲みたいけどこちとら痛風だい!オレは焼酎一本に狙いを絞った。栗の実から造った地元の焼酎らしいが、ウーロンで割るので何だか分らない。それをビールジョッキで飲まされる。

目の前に豚の丸焼きがそのまま一頭運ばれてきた。それをみんな切り分けて食べている。豚汁ならぬいのしし汁も寸胴鍋にたっぷりある。香ばしい臭いがしたので見てみたら蝦夷鹿のスペアリブを炭火で炙っている。目の前に妙なものが出てきた。食べてみたら思いっきり磯臭い。九州は有明海から届いたワケモンノシンノスというものらしい。所謂イソギンチャクのようだ。



そのうち、地元の伝統芸能の祇園太鼓の演奏が始まった。たたいているのはかなりの高齢者ばかりだ。庭の隅では子供たちが花火を上げだした。周りに気兼ねなく音が出せる。ギターを弾く人がいれば、サックスを吹く人もいる。ここではみんなが自由だ。オレはジョッキのお代わりをしながら、子供時代の夜祭の喧騒と匂いを思い出していた。



気がつけば、さっきまで飲みまくっていた近所のじいさんも一人二人と帰っていく。元気だった子供たちの姿もいつの間にか見えなくなった。Mさんがベンチの上で仰向けになり寝込んでいる。オレの周りに十人ぐらいしかいなくなった。「もう二時だよ」と誰かが言った。そして又誰かが「明日6時起床だってよ」と言ったような・・・気がする・・・

もうオレのジョッキは空っぽになっている。もう一杯いくか?もうやめるか?オレの頭はその答えを出すにも難渋なほど酩酊を深めていた・・・



  


2009年08月10日 Posted by 臥游山人 at 18:07Comments(0)交遊録