姪夫婦
24、25日の二日間、仕事で中国に住んでいる姪夫婦が遊びに来た。姪の連れ合いはミハル君といって、スロヴァキア人である。日本の食べ物が大好きで、枝豆なんか出せば出すだけ食べてしまう。24日はしゃぶしゃぶをやり、美味しい和牛を沢山食べてもらったが、その食べっぷりは見ていても惚れぼれしてしまう。
25日は生憎の雨だったけど、その分、家でゆっくり話が出来た。姪のAkikoは待望の赤ちゃんを妊娠し、来年4月出産の予定だ。叔父さんとしてもこんなに嬉しいことはない。
夕食は末廣鮨に案内した。ミハルは殊の外鮨が大好きで、特にウニに目がない。彼のウニの食べ方は実に豪快である。一箱食いというのか、先ず箱に入った山盛りの馬糞ウニを三分の一食べる。暫く他の鮨を食べてから又三分の一を食べる。そして腹も一杯になった頃、最後の〆として残った三分の一を食べる。ウニを食べている時の顔は恍惚の表情、見ている私達も幸せになる。
私は今回生ものを避けていたが、親方が気を使ってくれて河豚の白子の茶わん蒸し、鯛とヒラメの縁側の酒蒸し、背黒イワシの一夜干しなど、私が食べられそうなものを出してくれた。穴子とコハダの握りも一貫づつ食べ、熱燗をお猪口で二杯ほど飲めた。親方の気遣いにはいつも感謝である。
翌26日の朝、姪夫婦は次の旅行先、京都に向け出発した。二日間は短かったけど、たっぷり話が出来て楽しかったな~。Akikoの子供を抱けるまで、私も頑張らなくちゃ。
25日は生憎の雨だったけど、その分、家でゆっくり話が出来た。姪のAkikoは待望の赤ちゃんを妊娠し、来年4月出産の予定だ。叔父さんとしてもこんなに嬉しいことはない。
夕食は末廣鮨に案内した。ミハルは殊の外鮨が大好きで、特にウニに目がない。彼のウニの食べ方は実に豪快である。一箱食いというのか、先ず箱に入った山盛りの馬糞ウニを三分の一食べる。暫く他の鮨を食べてから又三分の一を食べる。そして腹も一杯になった頃、最後の〆として残った三分の一を食べる。ウニを食べている時の顔は恍惚の表情、見ている私達も幸せになる。
私は今回生ものを避けていたが、親方が気を使ってくれて河豚の白子の茶わん蒸し、鯛とヒラメの縁側の酒蒸し、背黒イワシの一夜干しなど、私が食べられそうなものを出してくれた。穴子とコハダの握りも一貫づつ食べ、熱燗をお猪口で二杯ほど飲めた。親方の気遣いにはいつも感謝である。
翌26日の朝、姪夫婦は次の旅行先、京都に向け出発した。二日間は短かったけど、たっぷり話が出来て楽しかったな~。Akikoの子供を抱けるまで、私も頑張らなくちゃ。
2014年11月27日 Posted by 臥游山人 at 19:51 │Comments(0) │日々雑感
路地を歩く (45) <チェコ / ミクロフ>
私がチェコで一番好きな町です。葡萄畑に囲まれたミクロフは、小さな旧市街広場を中心に、荘厳なミクロフ城、格式高い教会、巡礼の丘、山羊の砦、、、等、見どころ一杯。チェコでも有名なワイン産地で、美味しいレストランが沢山あります。中欧なのに郷愁を感じる町です。

2014年11月20日 Posted by 臥游山人 at 15:58 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (44) <チェコ / プラハ>
プラハ城の奥の方に「黄金小路」と呼ばれ、小さなお土産屋が並んだ細い路地がある。1597年ごろから城の召使いなどが住んでいたらしいが、その一角に錬金術師がすむようになってからこの名がついた。フランツ・カフカの仕事場があったということでも知られている。

2014年11月19日 Posted by 臥游山人 at 20:29 │Comments(0) │旅行記
散歩
路地を歩く (43) <チェコ / ズノイモ>
路地を歩く (42) <チェコ / ズノイモ>
この町はオーストリアとの国境近くに位置し、昔から交通と軍事の要所だった。住民の殆どがドイツ人だったが、戦後チェコ人が移り住むようになった。この路地の家々には競うように花が飾られており、その先には聖ミクラーシュ教会や城があり、見晴らしも最高だった。

2014年11月13日 Posted by 臥游山人 at 14:26 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (41) <チェコ / パルドビッツェ>
プラハとブルノの中間に位置し、多くの国際列車が発着する商工業の盛んな町。大障害競馬とアイスホッケーで有名な町でもある。旧市街広場からこの路地を通って城に入る。路地には小さな店が並んでおり、散策していて飽きない。

2014年11月12日 Posted by 臥游山人 at 13:04 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (40) <チェコ / イチーン>
チェスキー・ラーイ(チェコの天国)と呼ばれている奇岩地帯に遊びに行った時にこの町を訪れた。イチーンは12世紀後半に出来た古い町で、プラハの北東約85㌔に位置する。古い町らしく、路地を歩くと由緒のありそうな建物があちらこちらに見られる。

2014年11月11日 Posted by 臥游山人 at 14:51 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (39) <チェコ / ロケト>
湾曲した川が町を囲み、天然の要塞になった小さな町で、半ば朽ちたゴチックの城が聳えている。「007・カジノロワイヤル」のロケ地としても有名だが、70歳を超えたゲーテが18歳の娘と恋に落ちた町としても知られている。結局その恋は実らなかった。

2014年11月08日 Posted by 臥游山人 at 16:31 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (38) <ハンガリー / ブダペスト>
この路地に面したレストランで、ハラスレというスープを食した。たっぷりのパプリカで鯉を時間をかけて煮込んだもので、骨まで軟らかく食べることができる。かなり辛いがこれが結構いける。いわば日本の鯉こくのようなものか。他にも川魚の料理が美味かった。

2014年11月06日 Posted by 臥游山人 at 13:32 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (37) <チェコ / カルロヴィ・ヴァリ>
チェコの温泉の中で最もヨーロッパ中に名を知られている。14世紀に神聖ローマ帝国カレル4世が鹿狩りの最中にこの温泉を見つけたと云われている。各国の王侯貴族や著名人が保養に訪れた。夜の路地を歩いていると、中世の紳士淑女が不意に現れる気がする。

2014年11月05日 Posted by 臥游山人 at 17:28 │Comments(0) │旅行記
路地を歩く (36) <チェコ / イフラヴァ>
イフラヴァはボヘミアとモラヴィアの中間に位置し、チェコ最古の銀の採掘場があった。嘗ては町全体が城壁で覆われていたらしいが、数々の戦争で町が疲弊してしまった。作曲家のマーラーは近郊で生まれ、幼少期はイフラヴァで過ごした。歩けば歩くほど奥の深い町である。

2014年11月03日 Posted by 臥游山人 at 13:09 │Comments(0) │旅行記
山梨、こころの旅
10月31日、山梨の岩下温泉に一泊してきました。40年以上に亘り私が兄事してきたTさん夫妻が、塩山にセカンドハウスを求めたので、Tさんを訪ねることが本来の目的でした。
先日、漫談のナナオ君と春日三球師匠が我が家を訪ねてきてくれた。その時にそんな話をしたら、三球師匠が、「私の親しくしている温泉がその近くにあるから、一緒に泊まろうか?」と言ってくれた。全員異議なしで、急遽話がまとまった。
Tさんとも連絡を取り、旅館も押さえた。ところが間近になって突然三球師匠が急用でいけなくなってしまった。ナナオ君に連絡したら、「私は一人でも行きますよ」と言う。この一言で私は彼に強い男気を感じた。
当日、朝の10時前に清水を出発した。運転は森君が買って出てくれた。東名高速で富士に出て、そこから富士宮、朝霧高原、本栖湖、精進湖を抜け、山梨に入った。生憎雨の1日だったが、しっとりとした紅葉を楽しむことが出来た。

塩山のTさん宅には昼過ぎに到着した。私たちの為に前日から色々と準備をしてくれたらしい。奥さんの心のこもった昼食を戴きながら、昔の話に花が咲いた。周りを果樹園に囲まれ、日当たりもよく、まさに桃源郷のような趣がある。来年、色々な花が一気に咲く頃に又来たいな。いや、果物が食べれる頃もいいな~。
4時過ぎにTさん夫婦に別れを告げ、岩下温泉に向かった。ものの15分くらいで到着した。この温泉は1700年以上の歴史があり、信玄公の隠し湯でもあったらしい。もう既にナナオ君は到着していた。早速男三人で温泉に入った。裸の付き合い、本音の話で大いに盛り上がった。
夕食は4人で囲んだ。家内にもこれまで迷惑を掛けっぱなしだったので、今日は上げ膳据え膳でゆっくりしてもらいたかった。暫くしたら、塩山在住でmixi仲間のmasaさんが甲州ワインの差し入れを持って遊びにきてくれた。色々な話で盛り上がったが、masaさんが12月にサッカーの応援で清水に来るので、その時に会いましょうと約束して帰って行かれた。
夕食後、又三人で温泉に入り、今度はナナオ君の部屋で、masaさんから頂いたワインで二次会が始まった。私は11時頃に自室に戻ったが、ナナオ君と森君はまだまだ宴会を続けたようだ。

翌朝、朝風呂を1人で浴びた。朝食は8時だった。次回は青空うれし師匠を誘って熱海でやろうと約束した。ナナオ君は昼から浅草東洋館で舞台なので、10時前に宿の車で駅に向かった。
私達はお土産を買うためにJAの販売所に寄ってから帰路についた。帰りは富士川沿いを走り、身延山、興津を経由して清水に戻った。たった一泊だったが、内容の濃い、本当に楽しい二日間だった。お付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。
先日、漫談のナナオ君と春日三球師匠が我が家を訪ねてきてくれた。その時にそんな話をしたら、三球師匠が、「私の親しくしている温泉がその近くにあるから、一緒に泊まろうか?」と言ってくれた。全員異議なしで、急遽話がまとまった。
Tさんとも連絡を取り、旅館も押さえた。ところが間近になって突然三球師匠が急用でいけなくなってしまった。ナナオ君に連絡したら、「私は一人でも行きますよ」と言う。この一言で私は彼に強い男気を感じた。
当日、朝の10時前に清水を出発した。運転は森君が買って出てくれた。東名高速で富士に出て、そこから富士宮、朝霧高原、本栖湖、精進湖を抜け、山梨に入った。生憎雨の1日だったが、しっとりとした紅葉を楽しむことが出来た。
塩山のTさん宅には昼過ぎに到着した。私たちの為に前日から色々と準備をしてくれたらしい。奥さんの心のこもった昼食を戴きながら、昔の話に花が咲いた。周りを果樹園に囲まれ、日当たりもよく、まさに桃源郷のような趣がある。来年、色々な花が一気に咲く頃に又来たいな。いや、果物が食べれる頃もいいな~。
4時過ぎにTさん夫婦に別れを告げ、岩下温泉に向かった。ものの15分くらいで到着した。この温泉は1700年以上の歴史があり、信玄公の隠し湯でもあったらしい。もう既にナナオ君は到着していた。早速男三人で温泉に入った。裸の付き合い、本音の話で大いに盛り上がった。
夕食は4人で囲んだ。家内にもこれまで迷惑を掛けっぱなしだったので、今日は上げ膳据え膳でゆっくりしてもらいたかった。暫くしたら、塩山在住でmixi仲間のmasaさんが甲州ワインの差し入れを持って遊びにきてくれた。色々な話で盛り上がったが、masaさんが12月にサッカーの応援で清水に来るので、その時に会いましょうと約束して帰って行かれた。
夕食後、又三人で温泉に入り、今度はナナオ君の部屋で、masaさんから頂いたワインで二次会が始まった。私は11時頃に自室に戻ったが、ナナオ君と森君はまだまだ宴会を続けたようだ。
翌朝、朝風呂を1人で浴びた。朝食は8時だった。次回は青空うれし師匠を誘って熱海でやろうと約束した。ナナオ君は昼から浅草東洋館で舞台なので、10時前に宿の車で駅に向かった。
私達はお土産を買うためにJAの販売所に寄ってから帰路についた。帰りは富士川沿いを走り、身延山、興津を経由して清水に戻った。たった一泊だったが、内容の濃い、本当に楽しい二日間だった。お付き合いいただいた皆さん、本当にありがとうございました。