チェコ紀行2011 <9月16日> ②


入口を潜り城の裏側に出たら、素晴らしい景色がオレ達を待っていた。








































この城は1498年頃に砦として築かれたようだが、その後ルネッサンス様式に改築され、更に1710~1737年にかけて現在のバロック様式に再改築されたようだ。その頃からこの城は音楽と演劇のために重要な拠点だったという。



























受付に城内ツアーを申し込んだら、出発したばかりのツアーに入れてくれた。説明はチェコ語なのでチンプンカンプンだった。ただ、部屋の中にはハプスブルク家ゆかりの人物の肖像画が沢山かけられていたし、ガイドの口から何度もマリア・テレジアやマリー・アントワネットという名前が出たので、間違いなくハプスブルク王朝と関係のある城だと思われる。どなたか知ってる方が居られたら是非教えてください。




それにしてもガイドの女性良くしゃべる。約一時間、通じないチェコ語を聞きっぱなしで、大分疲れてしまった。城の中には大分調度品が残っており、見ごたえがある。中国の調度品の中に、有田焼の壷があった。



  


2011年10月31日 Posted by 臥游山人 at 23:30Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月16日> ①

8時にホテルで朝食を済ませ、ゆっくりとホテルを出発。途中スーパーに寄り飴などを買ってからズノイモ駅に向かう。

きょうは電車に乗ってJaromerice nad Rokytnou(ヤロムニェジツェ・ナト・ロキトノウ)という舌を噛みそうな名前の町に行く。本当はMoravske Budejovice(モラフスケー・ブディヨビッツェ)という町に行く予定だった。

日本を発つ前にネットで地図を見ていたら、Moravske Budejoviceの隣町に城がある事がわかった。色々調べてみるとバロック建築のかなり美しい城だった。そこで急遽行き先を変更したのだった。手がかりはプリントアウトした一枚の地図だけだった。





11:03分発の電車に乗ることにし、窓口でチケットを購入した。往復で93Kc(一人分)だった。




程なく電車が入ってきたが、何と一両編成だった。




刈り取りが済んだ後で殺風景な風景だが、中央に映っているのは鹿を撃つための台である。こういう風景があちこちで見られる。冬になると鹿撃ちが始まる。




Moravske Budejovice駅、本当はこの駅で降りるはずだった。




11:54分到着。この駅で降りたのはオレ達二人だけ、、、なんとも心細くなる。電車に乗ってこんな田舎まで来る物好きはオレ達くらいか~~




駅から100mほど真っすぐ歩くとこの道にぶつかる。ここを右折する。




看板も何もない。ただ自分を信じてひたすら歩く。




歩くこと20数分でようやく町の看板があった。




住宅街をまだまだ歩く。




前方にドームのようなものが見えてきた。




きっとこれが城に違いない。




安心したらお腹が空いてきた。しゃれたレストランを見つけて食事タイムとする。オレはゴルゴンゾーラのパスタを注文。




カミさんはキノコのピザを頼んだ。




食事を済ませ、城の方に向かう。








城の前に広場があり、こんな塔が建っていた。奥のほうには噴水もあった。




城の正面




ここから城に入る。





  


2011年10月31日 Posted by 臥游山人 at 15:11Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月15日> ③

自由広場はブルノ本駅より歩いて5~6分のところにあり、ブルノでも一番賑やかなところである。広い広場の中に線路があり、トラムが走っている。

ここでは一年を通してたくさんの行事が行われるという。若しかしたらワイン祭りでは、、、とワクワクしながら近づいてみたら、、、同じアルコールでも地ビールの祭りだった。




一体どれだけのビールを出展してるのだろうか?それにしてもチェコ人はビールが好きな民族だね。何種類ものビールをはしごして飲んでいる人がたくさんいる。みんな笑顔で嬉しそうだ。




ビールつまみに合うようなサラミがずら~っと並んでいた。








これも農家自家製のサラミ。白カビ、黒カビが何とも気持ちが悪いけど、食べてみるとホントに美味い(試食させてくれた)








広場の中にあるペスト記念碑の前にたくさんの蝋燭があった。




これは飛行機事故で亡くなった、チェコ出身のアイスホッケー選手の冥福を祈っているものだった。




飲んでみたいが、帰りのバスのことを考えると、飲みたくても飲めない。チェコではトイレとの戦いなのだ。いや~、それにしても美味そうだ。一杯だけ、、、いやいかんいかん、、、悪魔の誘いに負けず、ぐ~っと我慢、我慢。それにしてもみんな美味そうに飲んでるな~。




やや、こんなものまで、、、う、うまそうだな~~!地獄じゃ~~!!



唾を飲み込み、漂ってくる香ばしい香りから逃げるように、オレ達は緑の市場に移動した。




市場で葡萄を買った。こんなに蜂が群れているのだから、きっと甘いだろう。オット!!あとはバスで帰るだけなので、ペットボトルに入ったブルチャークも一本。ホテルに帰ったらこれで乾杯しよう。




ブルノ駅に向かって歩き出す。




正面がブルノ本駅。その手前で地下に潜る。




再び地上に出たらひたすら真っすぐ歩く。




バスターミナルに到着。




16:00発のバスに乗れた。 一人68Kc




途中の風景。向こうに見えるのが森。写真では分かりにくいが、ものすごく広い。距離感が狂ってくる。




17:12分、ズノイモ到着。




マーケットに寄り、パン、サラミ、ソーセージ、野菜、果物を買い、今晩はホテルの部屋で食べることにした。さあ、今日はブルチャークを心置きなく飲むぞ~!!






  


2011年10月30日 Posted by 臥游山人 at 20:55Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月15日> ②

Burcak(ブルチャーク)は、収穫した葡萄を搾った果汁が、酵母により発酵が始まったばかりの飲み物である。まだワインとは言えず、葡萄ジュースのようなものだが、アルコール度はしっかりあるので、飲みすぎれば当然酔ってしまう。糖度の高い良質の葡萄から造られたブルチャークは当然甘さも強いが、喉元を過ぎるとスキっとキレのいい甘さで、高価なアイスワインを飲んでいるようだ。これは葡萄の収穫場所や、収穫時期で当然味が違うし、ワイン農家毎に味も違うようだ。又、発酵度合いによって味が刻々変る。発酵が進むと酸度が強くなり、甘みも薄くなる。一番いい状態で飲めるのはホンの2~3時間だ、と言う人もいる。ペットボトルに入れて売られているが、持ち運びが大変だ。大きく揺らしたり、蓋をきっちり閉めていると爆発することがある。

オレは、ワイン農家が秋の収穫が終わってから、自分達の楽しみとして愛飲してたもの(特に女性達)が広まったのではないかと思っている。香りは決していいとは言えないが、この甘さと飲み口の良さなら、きっと子供も飲んでいただろうと思う。医学的にもブルチャークは腸の働きを助ける効果があると言われている。

ブルチャークは秋の収穫の時しか飲めない。チェコ中がこの時を心待ちにしていて、葡萄の収穫が終わると各地で収穫祭が行われ、会場でワイン農家が自慢のブルチャークを販売する。直接ワインセラーに行っても飲むことが出来る。特にズノイモや、ミクロフのブルチャークが一番といわれている。

もう何回もチェコを訪れているが、考えてみればこのブルチャークの時期に行ったことがない。どうしても美味いブルチャークを飲んでみたい!それが今回チェコ行きを決めた大きな理由だった。


カプチン広場の緑の市場でブルチャークを飲んでから、近くのレストランで軽く食べ、そのままシュピルベルク城に向かった。





城まではこんな道を登っていく。今までの喧騒が嘘の様だ。




この門をくぐって城に入る。












屋根を修復中だった。




城からブルノの街を見下ろす。 メンデルがエンドウ豆を栽培していた聖トーマス修道院。









城の周りをぐるっと回って街に下りた。








この街からウイーンまで車でそんなにかからない。




1919年に設立されたマサリク大学と、初代大統領トマーシュ・マサリクの像




コメンスキー教会








聖トマーシュ教会












聖ヤコブ教会




ブルノで一番広い自由広場。

そこにはなにやら大きな人だまりが出来ていた。一体何があるのだろうか?




  


2011年10月29日 Posted by 臥游山人 at 22:07Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月15日> ①

6時半起床。8時にホテルのレストランで朝食を摂る。オレ達の他にも何組か宿泊客がいるが、オーストリアかドイツからの観光客と思われる。ズノイモはチェコでも指折りのワイン産地であり、この時期美味くて安いワインを飲みたくて訪れる人が結構いるようだ。





9時半頃にホテルを出て、昨日と同じバスステーションに向かう。今日の行き先は、チェコ第二の都市ブルノである。余り人の多い所は苦手だが、姪のアキコから是非行ったほうがいいよと言われていたので行ってみることにした。実は最初のチェコ旅行の時にブルノには一泊してるのだが、余り記憶に残っていない。

ブルノはプラハから南東方向180kに位置し、人口100万人を超す大きな都市である。11世紀にはプシェミスル家により城が築かれ、モラヴィア地方の中心地となった。この頃からドイツ人が移住しドイツ化が進んだ。頑強な要塞都市として幾多の戦争にも耐え抜き、工業都市として発展した。第一次世界大戦後に、オーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコ・スロバキアに帰属する。そして、第二次世界大戦後、ベネシュ布告によりドイツ系移民の市民権と私有財産が没収され、ドイツ人が国外追放された。

又、ブルノはメンデルがエンドウ豆を栽培して、遺伝の法則を発見した地としても有名である。





10時13分発のバスに乗り込む。一人68kc




11時25分、Brno UAN Zvonarkaというバスターミナルに到着する。国際線も多数発着しているのでかなり広い。探すのに少し時間がかかったが、帰りのバスの乗り場を確認してからブルノの旧市街に向かう。




旧市街はブルノ駅を挟んで反対側にある。ターミナル横にある小さな店が並んでる建物の上に階段で上がり、ブルノ駅方面にあるきだしたが、近年できたという巨大ショッピングモールをただただ真っすぐ歩く。




ショッピングモールを抜けると、今度は左側にテスコがある。




ここで一旦地下に潜って駅の下を潜る。ここにはヴェトナム人の店が密集している。




エレベーターで地上に。




もうそこは旧市街だった。いきなり聖ペテロ聖パウロ大聖堂の尖塔が目の前に現れた。








大聖堂に行く前に緑の市場を見学。色とりどりの野菜や果物が所狭しと並べられている。広場の中央に17世紀に作られたバルナスの噴水がある。












市場の横にしゃれた建物があった。








大聖堂の中を見学したが、ステンドグラスが見事だった。











余りにも建物が大きくフレームに収まりきれない。オレはこれ以上写真を撮るのを諦めて、もう一度緑の市場のあるカプチン広場に戻った。




さっき、ここでブルチャークを売っているのを確認していた。これを飲みたくて又戻って来たのだった。実はオレ達が9月にチェコを訪れた最大の理由は、このブルチャークを飲む為だった。





  


2011年10月28日 Posted by 臥游山人 at 16:53Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月14日> ②

今回ここに来たのには訳があった。モラフスキー・クロムロフ城の中にAlfonns Maria Mucha、(フランス語発音でミュシャ、チェコではムハ)の代表作「スラブ叙事詩」が収蔵されており、それを見る為にやってきたのだ。

ムハはチェコ出身でアールヌーボーを代表する画家である。主な作品は女優などをモデルにしたポスターが多いが、1910年、50歳から18年かけて描きあげた「スラブ叙事詩」が特に有名である。大きなもので810×610、小さなものでも440×405あり、とてつもなく大きい。スラブ民族の歴史を描いた「スラブ叙事詩」は次の20点から成る。

①スラブ民族の起源 ②ルヤンのスヴァンテヴィトの祝祭 ③ロシヤにおける農奴制の廃止 ④イヴァンチツェのモラビア兄弟団の学校 ⑤ニコラ・ズリンスキーによるトルコ人に対するシゲトの防衛 ⑥ベツレヘム礼拝堂におけるヤン・フスの説教 ⑦大モラビア国におけるスラブ式典礼の導入 ⑧グルンヴァルトの戦いが終わって ⑨ブルガリアのシメオン皇帝 ⑩クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ ⑪クジージュキ会合 ⑫プシェミスル・オタカル2世 ⑬セルビア皇帝ステファン・ドウシャンの戴冠式 ⑭ペトル・ヘルチッキー ⑮民族の牧師ヤン・アモス・コメニウス ⑯アトス山 ⑰ビトコフの戦いの後 ⑱イジー・ポジェブラディ ⑲スラブの菩提樹の下で宣誓をしている青年 ⑳スラブ賛歌

1928年ムハは絵を描き終えると全ての作品をプラハ市に寄贈した。当初は20点全てをプラハ博覧会宮殿に展示していたのだが、戦争が激しくなって某所に秘匿されていたらしい。やがてムハはナチスドイツに逮捕された。その後保釈されたが、尋問の厳しさから体調を崩し、1939年、79歳でこの世を去る。

戦後、プラハ市は「スラブ叙事詩」全作を展示するスペースが無いために、ムハの生まれ故郷、イヴァンチツエに程近いモラフスキー・クロムロフ城に貸し出した。それを近年プラハ市が返還を求めて係争中であるという。その契約が9月で切れるため、若しかしたら暫く見れなくなる可能性があると聞いたので、そこでオレはわざわざバスに乗って訪ねて来た、、、という訳なのであります。オレって物好きかな~~?

橋を渡って、左側の崖のように切り立ったところに道がある。それを登って行ったら左側にWCがあった。そのまま進んで建物の中を潜り抜けたら目の前にいきなり町が出現した。

「EPOPEJ」という綺麗なホテルがあったので、まずは腹ごなしをすることにした。





寒い日はやっぱりこれ、ニンニクスープ




ピザも美味かった。




ホテルの横の道を進んでいけば城に着くという。




ここが城らしいが、少しうらぶれているな~。ムハの看板があるので間違いないはずだ。




中も、、、やっぱり補修がされていない。








ここがお城の入口のようだ。





しかし、外観とは裏腹に、中はすっきりとしており、可愛いお姉さんが受付にいて、にっこり微笑んで迎えてくれた。ここで入館料一人110kc、計220kcを払うと、日本語の解説書を渡してくれた。絵を展示している部屋に入る前に、床を傷つけないために靴の上から大きなスリッパを履く。

絵は一階と二階に展示してある。その大きさに思わず圧倒されてしまう。大きな部屋であるが、これだけの絵を見るにはこれでも狭く感じてしまう。




オレ達の他に誰もいなかったので、静かに絵を見ることに没頭できた。しかし、チェコの宝物ともいえるこれらの絵は、なんの防御も無くむき出しだった。







絵を堪能してオレ達は広場の方に向かい、来るときに見かけた教会を見学しようとしたのだが、残念ながら閉まっていた。




聖バルトロミェーイェ教会









小さな広場を一回りして時間調節のためにまたホテルに入る。




パイナップルのフライはなかなか乙な味だった。




この建物を潜り町の外に出る。




バスステーションに向かうために坂道を下りる。




町まで登る道を整備する工事だろうか?向こうの山の上に聖フローリアン教会が見えた。














果たして「スラブ叙事詩」はこの城を離れるのか?若しそうなったら一気にこの町の観光客は減ってしまうだろう。いつの間にか雨はやんでいたが、お城の塔が来た時よりも哀しげに見えた。

16時57分出発。17時53分ズノイモ着 一人43kc




  


2011年10月26日 Posted by 臥游山人 at 22:06Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月14日> ①

7時起床。外は霧雨のような雨模様で少し肌寒い。8時にホテルのレストランで朝食。今日はバスに乗ってMoravsky Krumlov(モラフスキー・クロムロフ)という小さな町まで出かけることにした。

しかし、その前に関門が待ち構えていた。カミさんがバスの出発まで時間があるので、あの緑の塔に登ろうというのだ。オレは誰もが知ってる高所恐怖症。でも、この町に着いて、いきなりで~んと現れたあの塔を見た時、いつかその時がくるだろうな、という予感はあった。

「一人で登っておいでよ」という言葉が喉まで出かかったが、そこは我慢我慢。一人30kc計60kcを支払って中に入った。案の定、狭い階段が上まで続いている。それも、今にも壊れそうで下が透けて見える。地獄だ~~。




やっとの思いで展望階に到着。ここは四角い回廊で、全体が板張りになっている。電気が無くて暗い。町を360度見渡せるようになっているが、窓が閉まっているので、いちいち窓を開けて景色をみる。なんとも窮屈だ。これも地獄じゃ~。












































「もうバスステーションに行かないと」そう言ってカミさんを急かせて塔を降りたが、外気とは裏腹に汗が噴出していた。




そのままマサリク広場に歩いていくと、青空市場があった。




共和国広場にある南モラヴィア劇場。




ズノイモのバスステーション。10時58分出発。一人43kc






バスの中に痴漢おじさんがいた。対面式に座っているのに堂々と女の人に触ろうとしたが、危機一髪でその女性は別の座席に移った。しかし、そのおじさん、大陸的というか、おおらかというか、全然悪びれることなく悠然としていた。オレはその一部始終を目撃したが、何故か笑ってしまった。




11時56分、モラフスキー・クロムロフのバスステーションに到着。何も無い殺風景なところだった。




ふと見上げたら、丘の上、雨に煙る尖塔が見えた。これが目指すお城なのだろうか?




  


2011年10月26日 Posted by 臥游山人 at 13:45Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月13日> ②


ズノイモ城を後にして、聖ミクラーシュ教会の前にある展望台に向かう。








この木があちこちにあって緑色の実をつけている。落ちたものを拾ってみたら中から栗のような、いや、まさに栗が飛び出してきた。これは食えない栗だというが、イガが日本の栗のように密集していない。




オレは隣にある聖ミクラーシュ教会より、この可愛らしくて小さな聖アナ聖マルチナ教会に惹かれるものがあった。中に入ってみたら、地下の3階まで部屋があった。この教会のほうが、聖ミクラーシュ教会より歴史があるらしい。受付の女性に少し大目の寄付をしたら、ニッコリ笑って、手製のクッキーをくれた。なんとも美味しいクッキーだった。





こんどは緑溢れる公園のほうに出かけてみることにした。




暑い直射日光をさけ、暫し公園のベンチに座り、聞こえてくる鳥の音を楽しむ。





今度は旧市街の周りを歩いてみることにした。




旧市街をこのような城壁が取り囲んでいる。当時は頑強な兵士が見張りをしていたのだろう。









ホテルに戻り昼食を摂る。チェスネチカ(ニンニクスープ)




スマジェネー・シャムピオーニ(キノコのフライ)を肴にウルクェルの500ミリを二杯も飲んでしまった。食後部屋に戻り、四時まで午睡をし、再び町を散歩する。




ホルニ広場から市庁舎の前を通り、マサリク広場の方に歩く。




緑の塔を過ぎたあたりの日陰のベンチに座り、行きかう人を眺めながら時を過ごす。




再び聖ミクラーシュ教会前の展望台で城を眺める。












路地の夕日を浴びながらホテルに向かう。




地元の白ワインを頼んだ




チェコではポピュラーな鯉のフライ




豚肉の煮込みとザワークラフト、クネドリキ添え。





  


2011年10月24日 Posted by 臥游山人 at 22:28Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月13日> ①

7時起床。今日も快晴。8時半にホテルで朝食を摂る。ここの朝食は野菜も果物も豊富で、ハラデツのペンションよりは遥かにいい。今日はバスで遠出しようかと思ったのだが、カミさんが昨日の列車の旅で疲れたらしい。それなら無理をしないで今日はズノイモの町をブラブラすることにした。

ズノイモはオーストリアと国境を接し、チェコ第二の都市であるブルノの南西55km辺りに位置する。人口は約35,000人、中世の町並みを持つ美しい町である。

又、ズノイモの歴史は古く、1055年以降はブリュン公国の主要都市であった。1226年プシェミスル朝オタカル1世により、ズノイモは王立都市となった。宗教戦争など、数々の変遷を経て、ズノイモはドイツ人が多数居住する地域となった。

第二次世界大戦の爆撃でズノイモは荒廃し、それに伴いドイツ人が撤退し、ズノイモは当時のチェコスロバキアに復帰した。その後チェコ人が多数移民して現在の形となったのである。





ホテルからすぐ近くにあるヴァーツラフ広場の噴水。








対岸の山の上に教会らしき建物が見える。後ろの建物は修道院だそうだ。




城の方から見た聖ミクラーシュ教会(左)と小さな聖アナ聖マルチナ教会〈右)




この写真でズノイモはディエ川渓谷に築かれた要塞都市であることがわかる。向こうに見えるのが昨日オレ達が通った鉄橋である。




聖カテリニのロトンダ(円形礼拝堂)中に入れなかったが、この中に古いフレスコ画が残っているという。このロトンダは1100年に建造されたものという。




ディエ川をせき止めたダムが見える。




対岸の山中にはハタと呼ばれる小さな別荘が点在している。チェコ人は週末などをこういった別荘で野菜などを栽培しながら過ごすことが大好きなのです。




城には白い梟が飼われていた。




城の中に入ると、古いレリーフや彫刻が雑然と並べられていた。

































城の中庭。ここには大きな井戸もあった。






ズノイモ城の見学を終え、あちらこちらのベンチで休みながら、更に町の散策を続けることにした。





  


2011年10月24日 Posted by 臥游山人 at 14:24Comments(2)旅行記

チェコ紀行2011 <9月12日> ②

「ホテル・モラヴァ」はインターネットで検索した。中心地にも近いし、宿泊代も手頃だったのでブッキングした。一応三ッ星ホテルとなっていた。実際行ってみると、広場に面していたが、大きな木の扉があり、その中がレストランとなり、その二階がホテルだった。専門のレセプションも無く、レストランのレジがレセプション代わりになっていた。

ニコニコしたおじさんがいたのでチェックインを申し出た。しかし、全く言葉が通じない。暫くしたら英語の話せる身内と思われる若者が現れて手続きをすることが出来た。どうもこのホテルは家族経営のようだ。日本から申し込んだ時は朝食なしの値段だったのだが、説明を聞いていると朝食付きらしい。それに宿泊代もそのままでいいという。

こりゃ~得したね、とカミさんとにっこり。しかし、ホテル代を前金で払ってくれという。それも現金を請求してきた。一瞬おかしいな~とは思ったけど、他にも宿泊者もいそうだし、見るからに人の良さそうな経営者だったのでチェココロンで払うことにした。領収書は手書きの簡素なものだった。

その時通訳の若者がおかしなことを言った。何でも、明日から近所でワイン祭りが始まる、その準備でホテルの従業員がいなくなるので、鍵は外出の際にも持っていてくれ、ということだった。部屋の鍵を渡されたが、四つも鍵が付いていた。自分達の泊まる部屋までなんと四回も鍵を開けないと行けないのだ。部屋は広くて設備もしっかりしていた。唯、石鹸とシャンプーが無かったので、外出の際そのことを伝え、駅まで出かけたのだった。

バスターミナルで乗り場を確認してから、町をブラブラしてホテルに戻った。ところが、広場に面した大きな木の門が閉まっていた。完全にシャットアウト状態で、ホテルにもレストランにも入れないのだ。一瞬青くなったが、持っていた鍵を一つ一つ差し込んだら中に合う鍵があった。扉はギーっと大きな音を出して開いた。

まさかホテルの全従業員がいなくなるとは思ってもいなかった。若しオレ達のチェックイン時間が遅れたらどうなっていたのだろう?と思うとゾっとした。四つの鍵を開け、部屋に戻ったらバスルームに大きな石鹸と徳用瓶のシャンプーが置いてあった。

お腹も空いて来たので、レストランを捜しながら夕方の町を散歩した。












こんな町にまでカラオケが、、、





















この方向にズノイモ城がある。




ディエ川の向こうの山の懐には、別荘と思われる小さな家が点々とあった。





























オレは白ワイン、カミさんはノンアルコールビールを注文。




カミさんが頼んだミックスサラダが一番高かった




お馴染みのウインナ・シュニッツェル、結構美味かった。




  


2011年10月22日 Posted by 臥游山人 at 22:26Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月12日> ①

いよいよ今日からカミさんと二人だけの旅がスタートする。日本で準備した時刻表と地図だけが頼りの、云わば老夫婦の冒険旅行とでもいえるのだろうか?もう何回もチェコには来てるので、そんなに不安はないけど、全く言葉の通じない異国を旅するわけだから、細心の注意を払う必要がある。今日はオーストリア国境に程近い、南モラヴィア地方のZnojmo(ズノイモ)という町まで約5時間余りの列車による旅をする。

朝5時半に起床。荷物の最終チェックをしてから7時に朝食を摂る。そのままペンションを出発、今度は間違いなく駅行きの6番のトローリーに乗る。ゆとりを持って早めに駅に到着した。
















列車は8時42分に定刻どおりに発車した。最近のチェコはかなり時間が正確になっているようだ。

9時2分にパルドビッツェ駅に到着。




パルドビッツェ駅構内








ここでウイーン行きのEC(ユーロ・シティ)に乗り換える。9時39分定刻どおりに出発。






Brno(ブルノ)通過。聖ペテロ聖パウロ大聖堂のカテドラルが見えた。




ブルノのシュピルベルク城








11時57分Vreclav(ブジェツラフ)駅到着




ここからズノイモ行きのローカル電車に乗り換える。12時33分出発。






13時54分、ズノイモ駅定刻到着。ここからホテルまで徒歩で向かう。石畳の登り道、キャリーバッグを引きずるのは結構疲れる。





歩くこと15分。やっとランドマークともいえるズノイモ市庁舎の緑の塔が見えてくる。緑の塔を過ぎ、そのまま上っていくとホルニ広場にでる。その一角にオレ達がこれから五日間宿泊する「ホテル・モラヴァ」があった。





チェックインを済ませて、バスステーションを確認する為にまた駅まで戻ることにした。バスステーションは駅のすぐ横にある。









マサリク広場
















この建物は警察署らしい。




このバスステーションから近郊の町まで出かける予定なので、その乗り場をしっかり確認した。




  


2011年10月22日 Posted by 臥游山人 at 16:27Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月11日> ②

きのこが全然生えてなかったのでがっかり。一雨降れば一気に生えてくるから日本に帰るまでに必ず採れるよ、と弟が言うので次回を期待することにしよう。

夕食前にブラスタがパルドビッツェのテスコで買い物があるというので、弟の車に乗って出かける。ラベ川の近くにあるテスコの駐車場に車をとめ、ブラスタの買い物が終わるまでオレ達はラベ川沿いを散歩することにした。






太陽の直射を受けるとまだ真夏のように暑いけど、大きな木の下を歩くと驚くほど涼しい。ここは巨木が立ち並び、市民の憩いの場となっているようだ。













買い物の済んだブラスタと合流し、ハラデツに向かう。今日はペンションのレストランで食事をすることにした。






夕日に映えて広場の建物が美しい。









今日はコゼルの黒ビール。












Krokety(クロケティ)ジャガイモを丸めて揚げたもの。




ミックスサラダ。だが、チェコではサラダが肉料理より高価だったりする。




このパスタは全くアルデンテではなかった。




最後はアイスクリーム。チェコ人はアイスクリームが大好きだ。どこに行っても大体アイスクリームがあるが、注文する時に注意しないと山盛りで出てくることがある。

さあ、明日から二人だけの旅が始まる。明日は早めにペンションを出るので、今日は早く寝ることにしよう!!




  


2011年10月21日 Posted by 臥游山人 at 15:55Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月11日> ①

今日は6時半に目が覚めた。朝のシャワーを済ませてからペンションの朝食を食べ、明日の列車の切符を買う為に駅に向かう。

前回来たときに利用したトローリバスを利用しようと、記憶のあるバスストップでトローリを待つ。6番が来たので飛び乗った。チケットは昨日のうちに買ってある。バスもトローリーも車内に何箇所かチケットを差し込むところがあって、それを手前に引くとガチャンとチケットに穴が開くようになっている。降りる時はそのまま降りる。

暫くしてから、どうも窓の景色が見知らぬほうに進んでいることに気がついた。あっ、やっちゃった。どうも逆方向に乗ってしまったようだ。しかし焦っても仕方が無い。オレもカミさんも度胸を据えて終点まで乗ってみることにした。

終点で全客が降り、オレ達も運転手に降りるように促された。その時オレは拙いチェコ語で「駅まで行きたいんだけど、、、」と言ってみた。運転手は状況を察したのだろう、笑顔で「暫く座って待ってなさい」と言ってくれた。

10分程してトローリーは動き出し、今来た逆方向を今度こそ間違いなく駅に向かって走り出した。時間はかかったがオレ達は無事に駅に着いたのだった。親切な運転手で本当に良かった。





路地から見えるヴェルケー広場






ドタバタの末、やっと駅前に到着。正面の建物は最初のチェコ訪問の時に泊まった「ホテル・チェルニコフ」。ここの最上階にカジノがあり、少々寄付した記憶がある。








この売り場で、紙に行き先と人数を書いて渡したら何の問題も無くチケットが買えた。Znojmo(ズノイモ)まで二等車で二人で588Kc。約2.900円程である。










交差点ではトローリーの電線がこんな風になってる。




帰りは歩いた。途中ラベ川で鴨と戯れる。パンをあげると皆寄ってくる。




ヴェルケー広場









広場にある現代美術館の建物。


11時に弟が車で迎えに来てくれた。もう一度駅に行き、駅の横にあるバスステーションを確認した。












弟の家に行く。ブラスタがローストダックを作ってくれた。表面がパリっとしてとっても美味い。だがオレは、前回チェコでローストダックの食べすぎとビールの飲みすぎで痛風になっている。今回はほどほどにしないと、、、






腹ごなしに森に行くことにした。弟の家の直ぐ横に広大な森が広がっていて、野生の鹿や猪が群棲している。若しかしたらキノコが生えてるかも知れないというので、(それもポルチーニが結構採れるらしい)ワクワクする。












結局雨が足りなく、まだキノコは生えていなかった。でも、こんな近くに自然の森が息づいている環境で暮らしている弟がふと羨ましくなった、、、




  


2011年10月19日 Posted by 臥游山人 at 17:20Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011  <9月10日> ②

約束時間通り12時に弟と甥のヒロシがペンションまで迎えにきてくれた。今日はOpatovice(オパトビッツェ)に住む弟の親友、オルダの家に遊びに行く予定になっていた。

弟に頼まれ日本から魚群探知機をお土産に持ってきたので、それを渡すためだった。オルダと弟は釣りが大好きで、時間があれば近所の池に鯉を釣りに行ってる。チェコ人は鯉が大好物なのだ。特にクリスマスの日は鯉を食べる習慣がある。

しかし、このところ全く鯉が釣れなくなったらしい。気候とも関係がありそうだが、オルダは「こう釣れないのは鯉がいなくなったのではないか?」と日夜悩んでいたのだそうだ。そこで弟が心配して、オレに日本の魚群探知機をリクエストしてきた。オレは早速上州屋に行って、最新の探知器を買ってチェコまで持ってきた。

オルダの家に行く前にハラデツ郊外にある「マクロ」という会員制のショッピングセンターに寄り、オルダにお土産のワインを買うことにした。












そこの軽食センターで食べた牛の胃袋のスープ。これは美味かった。




オルダの家の庭。500坪ほどある敷地の中に家庭菜園があり、野菜や果物を植えている。又、孫のためにトランポリンや簡易プールまである。昔は驚くほど土地の値段も安かったのだろうが、市の上級職員でもなかったオルダがこれだけの家に住めるのは驚きである。




備え付けの自家製グリル機で鶏を焼いてくれた。香ばしくて大変美味しかった。




ただ、自分の庭で飼っていたものを絞めたと聞くと心境も複雑になる。




夕方弟の嫁さんも加わり、テスコで買い物。買い物は弟の担当のようだが、一回の買い物であっと驚くほどの量をカートに入れる。




パンの種類も実に豊富だ。


買い物の後、ハラデツに行けば必ず寄るレストラン「DURAN]で夕食を食べる。まずはビールで乾杯!!




今日のビールはピルゼンの「プラズドロイ」の黒ビールにした。




これは「コレノ」と云ってチェコでは御馴染みの豚の膝肉のローストで、一人ではとても食べきれない代物である。




ウイーン風ステーキ




スペアリブ

その他にも何品か頼んでシェアーしながら食べた。オープンエアーでの食事は、風が心地よく体を包み込んでくれる。残念ながら姪のアキコは中国滞在でいなかったが、6年ぶりに弟の家族と楽しい夕食を囲んだ。




  


2011年10月18日 Posted by 臥游山人 at 21:41Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011  <9月10日> ①

今回の旅もここHradec Kralove(ハラデツ・クラロヴェ)にあるペンションLukaseをベースキャンプにすることにした。この街はチェコ東部に位置し、人口約10万人。チェコ語で王様の城を意味するそうだが、歴史は相当古いようだ。

オレ達の泊まるペンションはラベ川とオルリツェ川に囲まれた歴史的地域にあり、その中心にヴェルケー広場がある。

昨夜は長旅の疲れとブルチャックの心地よい酔いでぐっすり眠ることが出来、今朝は7時にすっきりと起きることが出来た。8時に軽い朝食をとり、そのまま街の散策に出かけた。





ヴェルケー広場の朝。向こうに見えるのが聖ドハ教会と白塔。





広場を巡るようにきれいな建物が並んでいる。

















ラベ川の流れ。この川がドイツではエルベ川と呼ばれる。橋を渡って新市街の方に向かってみる。




新市街もきれいな建物が並んでいる。




マサリク広場








街の中の小さな市場では色とりどりの野菜が並んでいる








ペンションから20分も歩くと駅に着く。駅前が随分きれいになった。




再び旧市街に戻る途中、ラベ川を周遊している船があった。




ここが泊まっているペンション。この後12時に弟が車で迎えに来ることになっている。

                     ー続くー




  


2011年10月17日 Posted by 臥游山人 at 22:14Comments(0)旅行記

チェコ紀行2011 <9月9日>

一ヶ月の長旅を終え無事帰国しました。台風15号で家が吹き飛んでいるのでは?と心配していましたが、何とか持ちこたえていてくれました。

今頃になって時差の影響がでてきましたが、気力を振り絞り今日から旅行記を書きはじめます。今回は写真を沢山撮ってきたので、駄文をできるだけ少なくし写真中心にしたいと思います。時間と心にゆとりのある皆さん!最後までお付き合い下さい。

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午前中の出発便なので、成田日航ホテルに前泊し、早朝5時に起床。シャワーを浴びてからホテルのビュッフェ朝食をゆっくりといただき、7時25分のシャトルバスに乗り成田第一ターミナルに向かう。





8時に南ウイングDカウンター「スイス・インターナショナル・エアライン」でチェックインをして、早めに出国手続きを済ませて出発ゲートに向かう。






もう既に飛行機が待機していて、機関士が身を乗り出して窓を懸命に拭いていた。





10時30分10分遅れで飛行機は成田を離陸した。この会社の飛行機に乗るのは初めてだが乗務員は親切で、サービスも素晴らしかった。ただ、音楽や映画には日本語のものが一切無く、物足りないと思う人もいると思う。

途中、カメラと腕時計の時間を現地時間に調整し、気分はもうヨーロッパに飛んでいる。ちなみに日本より7時間遅れである。現地時間で15時01分にスイス・チューリッヒ空港に到着。地下鉄のような乗り物に乗り、ゲートを移動して入国手続きを済ませ、ベルトまで外させられて厳しいセキュリティ検査を受ける。





この時点でプラハまでの出発ゲートが確定していないので、電光掲示板にゲートナンバーが表示されるまで待合室で待つことになる。





待つこと20分程してA-02と表示され、ゲートに向かう。搭乗時間が来るまで又待合室で待機。





いよいよ搭乗が始まったが、飛行機まではバスで向かう。その際、持ち込んでいたキャリーバッグが少し大きいからと、タグをつけられて飛行機に乗る前に係員にバッグを預けた。





成田ではすんなり機内持込ができたのに何故ダメなんだろうと少々不満だったが、飛行機に乗ってみて理由が判明した。機内が狭くて、その上オレ達のシートの上に翼があり、その分天井の荷物入れが極端に狭いのだ。その上乗客も満員だった。日本人はオレ達二人だけだった。





17時35分、飛行機は10分遅れでチューリヒを離陸した。ぐんぐんと高度を上げ、雲の上に出て水平飛行に移ったら大急ぎで軽食のサンドイッチと飲み物が配られる。それを食べ終える頃飛行機は高度を下げ始め、18時50分、飛行機はプラハ・ラズニェ空港に到着した。

荷物を受け取りそのまま出迎えロビーに向かう。チューリッヒで入国手続きを済ませたので、EU加盟国は何の手続きも無く出入国できるのだ。

飛行場には甥のヒロシが迎えにくることになっていた。ヒロシは35年以上もチェコに住んでいるオレの弟の息子だが、チェコで生まれたので日本語が話せない。身長が190センチ程あり、いたらすぐ分かる筈だが、姿が見えない。






何とも不安な気持ちで待っていたら、暫くして友人を連れて現れた。車を駐車するのに時間がかかったらしい。いつの間にかヒロシは英語を少し覚えたらしい。拙い英語同士で会話しながら再会を喜び、ヒロシの車に向かった。

車はチェコ製のシコダ。高速に乗り、以前ならプラハから2時間以上もかかった弟の住む村、Dobrenice(ドブジェニーチェ)に向けて走り出した。20時55分、弟の家に到着。弟と嫁さんのブラスタが暖かくオレ達を迎えてくれた。






弟はオレのためにわざわざブルチャック(いずれ改めて書きます)を用意していてくれた。ブルチャックを飲みながら簡単な食事をいただいてから、これから泊まることになるHradec Kralobe(ハラデツ クラロヴェ)のペンションに着いたのは22時30分だった。




  


2011年10月16日 Posted by 臥游山人 at 18:50Comments(0)旅行記

無事帰国しました

前々から計画していて、色々な事情でのびのびになっていたチェコ旅行。こんな時勢なので、やめようかと思ったこともあったのだけど、思い切って行ってきました。6回目のチェコ訪問でした。

9月8日に成田に前泊し、翌9日スイス・インターナショナル・エアラインでチューリヒ経由でプラハ到着。途中ドイツやハンガリーにも遠出をしながら、都合34日間のチェコ旅行でした。ひっそりと出国し、今日ひっそりと帰ってきました。朝7時に成田到着、昼過ぎに自宅に戻りました。そのままこの時間まで起きていて、もう40時間近く起きています。

今回はカミさんと二人、誰の手も借りずにチェコの田舎町を安いホテルやペンションに泊まりながら古いお城や遺跡を巡ってきました。神聖ローマ帝国、ハプスベルグ家などの名残が国中に点在していました。思った以上に奥の深い国でした。勿論問題点もたくさん有りますが、、、

列車とバスの旅は快適でした。時間もかなり正確でした。あるコツさえ覚えれば、言葉は通じなくてもこれらを自由に乗りこなせることを知りました。ただ、見学したい場所が、鉄道駅やバスターミナルから遠いことが多く、その意味では体力勝負の旅でもありました。

幸い、弟が35年間もチェコに住んでいるので、弟の存在も大変大きな支えになりました。弟にはドレスデンや、ブタペストなどにも車で連れて行って貰いました。又、鯉釣りや近くの森でのキノコ採りにも連れて行って貰いました。その意味ではかなり内容の濃い旅だったと思います。

写真を沢山撮ってきました。少し整理をしてから、駄弁を弄せず、写真中心で日記を書きたいと思っています。時間のお有りの方は是非お付き合い下さい。写真の才能は無いのですが、可なり面白い写真もあるはずです。日本人が脚を運ばない場所の写真もあります。

さあ、今晩はその発想を練りながら眠りに就きたいと思います。皆さんお休みなさい。




  


2011年10月13日 Posted by 臥游山人 at 20:16Comments(0)日々雑感