旅を終えて
今月の13日から27日までの15日間、エジプト、トルコの旅に出かけた。正確に言うとホテル12泊、機中2泊の旅だった。そのうちトルコには11泊で、エジプトに1泊しかできなかった。
ツアーには、カミさんと一緒に申し込んだのだが、日程表を見てカミさんが怖気ついてしまった。元々バスが苦手な事もあるのだが、いつもフリーの旅をしているので、窮屈な旅には行きたくないという。「じゃあ、オレ1人で行くよ」ということで、久々の一人旅になった。
本格的なツアーに参加するのも何十年ぶりになる。団体行動ができるかどうか不安もあったが、以前からピラミッドや、カッパドキアなどを見てみたいという思いが強かったので、1人でも行きたかった。
炎天下の中、3,000キロを越すバスの旅。最後のエジプトでは49度もあった。思った以上に体へのダメージが大きかった。それでも、旅の最中は精神力でカバー出来たが、帰国してから疲れが一気に噴き出してきた。今日はついに12時間も寝てしまった、、、
苛酷な旅ではあったが、収穫も沢山あった。様々な、紀元前、紀元後の遺跡を見て回り、人間の能力と可能性を改めて実感出来た。
素晴らしい出会いもあった。
成田でそれぞれチェックインをしてエジプトに飛び、カイロの飛行場で集合した。そのままバスで市内観光をしたのだが、その時に一人の小太りのおじいさんと相席になった。どことなく凛とした気品を放ちながら、笑顔の可愛い人であった。
少しずつ会話を交わしてから自己紹介をした。「私は○○と申します」その名を聞いてオレは絶句した。誰もがオッと思うような、驚きの名前だった。オレが一瞬「ホントですか~?」と云うような顔をしたのかもしれない。彼はパスポートを見せてくれた。間違いなかった。
名前は出さないでと言われたので、Iさんとするが、それから15日間の間、移動も食事も常に一緒に行動することになった。話題や価値観も何かと一致し、話していて一向に退屈しない。そして、Iさんしか知り得ない歴史の中の貴重な話も聞かせてもらった。
立ち居振る舞いが粋で、年の割にはやんちゃで冗談も結構きつい。そんな、最高の旅の相方に巡り合え、オレは楽しい旅を続けることができた。
しかし、点呼の際、添乗員が名前を呼ぶので、Iさんの名前を参加者も知ることになった。最初のうちは遠巻きにして誰も声を掛けてこなかったが、ある年配者が意を決したように近づいてきて、「私はこの旅に参加して、Iさんと同じバスに乗れたことを誇りに思います」と深々と頭を下げた。
それからは「写真を撮って下さい」とか、「サインしてください」とか一気に人気者になってしまった。Iさんは「今度旅行するときは添乗員に別名で呼んでもらうことにするよ」と言っていたが、満更でもなさそうで、あの悪戯っぽい笑顔を振りまきながら、参加者とも打ち解けていった。
他にもいい人達とも知り合いになれた。N夫妻、Kさん、Sさん、、、
そんな話を、暫くしたら日記に書きたいと思う。街や遺跡に関しては、ネットで調べてもらえれば分かるので、写真を中心にした浅~~い内容のものになる予定です。
旅はやっぱりいいな~。
ツアーには、カミさんと一緒に申し込んだのだが、日程表を見てカミさんが怖気ついてしまった。元々バスが苦手な事もあるのだが、いつもフリーの旅をしているので、窮屈な旅には行きたくないという。「じゃあ、オレ1人で行くよ」ということで、久々の一人旅になった。
本格的なツアーに参加するのも何十年ぶりになる。団体行動ができるかどうか不安もあったが、以前からピラミッドや、カッパドキアなどを見てみたいという思いが強かったので、1人でも行きたかった。
炎天下の中、3,000キロを越すバスの旅。最後のエジプトでは49度もあった。思った以上に体へのダメージが大きかった。それでも、旅の最中は精神力でカバー出来たが、帰国してから疲れが一気に噴き出してきた。今日はついに12時間も寝てしまった、、、
苛酷な旅ではあったが、収穫も沢山あった。様々な、紀元前、紀元後の遺跡を見て回り、人間の能力と可能性を改めて実感出来た。
素晴らしい出会いもあった。
成田でそれぞれチェックインをしてエジプトに飛び、カイロの飛行場で集合した。そのままバスで市内観光をしたのだが、その時に一人の小太りのおじいさんと相席になった。どことなく凛とした気品を放ちながら、笑顔の可愛い人であった。
少しずつ会話を交わしてから自己紹介をした。「私は○○と申します」その名を聞いてオレは絶句した。誰もがオッと思うような、驚きの名前だった。オレが一瞬「ホントですか~?」と云うような顔をしたのかもしれない。彼はパスポートを見せてくれた。間違いなかった。
名前は出さないでと言われたので、Iさんとするが、それから15日間の間、移動も食事も常に一緒に行動することになった。話題や価値観も何かと一致し、話していて一向に退屈しない。そして、Iさんしか知り得ない歴史の中の貴重な話も聞かせてもらった。
立ち居振る舞いが粋で、年の割にはやんちゃで冗談も結構きつい。そんな、最高の旅の相方に巡り合え、オレは楽しい旅を続けることができた。
しかし、点呼の際、添乗員が名前を呼ぶので、Iさんの名前を参加者も知ることになった。最初のうちは遠巻きにして誰も声を掛けてこなかったが、ある年配者が意を決したように近づいてきて、「私はこの旅に参加して、Iさんと同じバスに乗れたことを誇りに思います」と深々と頭を下げた。
それからは「写真を撮って下さい」とか、「サインしてください」とか一気に人気者になってしまった。Iさんは「今度旅行するときは添乗員に別名で呼んでもらうことにするよ」と言っていたが、満更でもなさそうで、あの悪戯っぽい笑顔を振りまきながら、参加者とも打ち解けていった。
他にもいい人達とも知り合いになれた。N夫妻、Kさん、Sさん、、、
そんな話を、暫くしたら日記に書きたいと思う。街や遺跡に関しては、ネットで調べてもらえれば分かるので、写真を中心にした浅~~い内容のものになる予定です。
旅はやっぱりいいな~。
2012年06月30日 Posted by 臥游山人 at 15:07 │Comments(0) │旅行記
ブルー・ライト・ヨコハマ
お恥ずかしい話だが、最近の歌手の名前なんか殆ど分からないし、顔も分別つかない。どれもみんな同じように見えてしまう。
だからテレビで歌番組をじっくり見ることなど滅多にないのだが、今晩BSで由紀さおりの番組を何気なく見た、、、いや、聴いた。
いやぁ、よかった、、、すっかり釘づけになってしまい、最後まで見てしまった。彼女がデビューした頃の記憶も何となく残っているが、今の方が格段にいいと思う。
突然、いしだあゆみの「ブルー・ナイト・ヨコハマ」を歌いだした。その瞬間オレは電気で撃たれたように心に衝撃が走った。オレの心が一気に42年前にフラッシュバックした。苦くて切ない青春の断片を抉りだされた。
場所はタンザニアの首都、、、ダル・エス・サラーム、、、
自分の思ったように事が運ばず、イライラと苛立ちの日々、、、オレはその心をごまかすように、毎日のように夜になると娼婦がたむろするようなあやしげなバーやクラブに通うようになった。すっかり心が荒み、頽廃の日々をおくっていた。
その日も一人で、通いなれたクラブに行った。オレは昔から群れることが嫌いだった。生バンドが入っていた。マリファナの匂いが充満している。殆どが外国人客で、流れるジャズの音に心地よく体を揺らしていた。
オレは空いてる席に腰をおろした。立て続けにタバコに火をつけ、強い酒を喉に流し込んだ。すり寄ってくる娼婦を適当にいなしながら、不機嫌な顔をステージに向けた。
バンドマスターと目があった。一瞬彼がオレにウインクした、、、ように見えた。でもオレは反射的に顔を反らし、グラスの酒を一気に飲みほした。
その時だった、、、流れてきたのだった、、、あの歌が、、、
そう、間違いない。紛れもなくあの「ブルー・ライト・ヨコハマ」だった。
その旋律は、空虚になっていたオレのココロの中に、砂漠に降る雨のように沁み込んできた。何とも言えない甘酸っぱさが込み上げてきた。同時に、「お前はアフリカまで来て、一体何をやってるんだ」という自責の念も沸々と湧いてきた。何故か涙があふれてきた。
周りの客の目が訝しそうにオレに注がれる。でもオレは、流れる涙を隠しもせずに、何故か、しきりに日本の事を想った。恐らくオレの生涯であれほど日本を愛おしく想った瞬間はないかもしれない。
で、、、その後改心して立派な青年になったかって?それがどうも、、、人間って奴はそんなに単純じゃあ~りませんわ。大して成長もせず、無駄に馬齢を重ね、結局こんな男でござんすよ。
いやはやですな~。人生は、、、
それにしても、歌って好いもんですな~。今日つくづく感じた次第であります。
だからテレビで歌番組をじっくり見ることなど滅多にないのだが、今晩BSで由紀さおりの番組を何気なく見た、、、いや、聴いた。
いやぁ、よかった、、、すっかり釘づけになってしまい、最後まで見てしまった。彼女がデビューした頃の記憶も何となく残っているが、今の方が格段にいいと思う。
突然、いしだあゆみの「ブルー・ナイト・ヨコハマ」を歌いだした。その瞬間オレは電気で撃たれたように心に衝撃が走った。オレの心が一気に42年前にフラッシュバックした。苦くて切ない青春の断片を抉りだされた。
場所はタンザニアの首都、、、ダル・エス・サラーム、、、
自分の思ったように事が運ばず、イライラと苛立ちの日々、、、オレはその心をごまかすように、毎日のように夜になると娼婦がたむろするようなあやしげなバーやクラブに通うようになった。すっかり心が荒み、頽廃の日々をおくっていた。
その日も一人で、通いなれたクラブに行った。オレは昔から群れることが嫌いだった。生バンドが入っていた。マリファナの匂いが充満している。殆どが外国人客で、流れるジャズの音に心地よく体を揺らしていた。
オレは空いてる席に腰をおろした。立て続けにタバコに火をつけ、強い酒を喉に流し込んだ。すり寄ってくる娼婦を適当にいなしながら、不機嫌な顔をステージに向けた。
バンドマスターと目があった。一瞬彼がオレにウインクした、、、ように見えた。でもオレは反射的に顔を反らし、グラスの酒を一気に飲みほした。
その時だった、、、流れてきたのだった、、、あの歌が、、、
そう、間違いない。紛れもなくあの「ブルー・ライト・ヨコハマ」だった。
その旋律は、空虚になっていたオレのココロの中に、砂漠に降る雨のように沁み込んできた。何とも言えない甘酸っぱさが込み上げてきた。同時に、「お前はアフリカまで来て、一体何をやってるんだ」という自責の念も沸々と湧いてきた。何故か涙があふれてきた。
周りの客の目が訝しそうにオレに注がれる。でもオレは、流れる涙を隠しもせずに、何故か、しきりに日本の事を想った。恐らくオレの生涯であれほど日本を愛おしく想った瞬間はないかもしれない。
で、、、その後改心して立派な青年になったかって?それがどうも、、、人間って奴はそんなに単純じゃあ~りませんわ。大して成長もせず、無駄に馬齢を重ね、結局こんな男でござんすよ。
いやはやですな~。人生は、、、
それにしても、歌って好いもんですな~。今日つくづく感じた次第であります。