我が友 すずきじゅんいち
じゅんちゃんは今ロサンゼルスに向かう飛行機の中にいるはずだ。今回は慌しい来日だったようで残念ながら会うことが出来なかった。
彼との出会いは30年ほど前になる。それは偶然のなせる業と云ってもいいような出会いだった。
ある時、知り合いの呉服関係者から「ミス着物コンテスト」の審査員を紹介してくれないかと頼まれた。オレは即座に、その頃親しくさせていただいていたNHKの山川静夫さんを紹介し、直接電話でお願いしたら快諾を得た。山川さんからは「村松友視も連れて行くよ」ということになり、豪華な審査員が決まった。
それが関係者のつまらないミスでキャンセルになってしまった。そこでオレは急遽友人の新劇俳優に人選を頼み、紹介されたのがすずきじゅんいちだった。当時彼は日活ロマンポルノの監督として数々の作品を世に送り出していた。
ロマンポルノ・・・?オレも一瞬ためらったけど、時間がない。そしてオレも審査員の一人として加わることになった。コンテスト当日、彼を駅まで迎えに行った。オレの想像していたイメージとは全く違う人間がそこにいた。穏やかで品が良くて、おまけに知性的だった。そりゃ~そうだよ、東京大学だもん・・・

「ミス着物コンテスト」で、右から二人目からオレ、じゅんちゃん
コンテストが終わってから、オレは図々しく「今日家に泊まらない?」と誘ったら、じゅんちゃんもオレを気に入ってくれたのか、「いいですよ」ってな訳で、その晩は出演料使い果たすまで鮨屋で飲んじゃった。その後彼は、我が家に度々泊りがけで遊びに来るようになった。
その頃オレは「東清会」という、オレの東京の友人と、清水の友人を一同に集め、年に一回の宴会を開催していた。これはホテルを一晩借り切って、清水の美味いものと、全国の銘酒を飲みながら、朝方まで語り合おうという壮大なものだった。

「東清会」で

女流映画監督の渋谷昶子さんとじゅんちゃん

洋画家の中村清治先生
みんなの体操の長野信一さんと故橋本博英画伯

こんな人も・・・
オレは、中央で活躍してる画家や彫刻家、映画監督などに清水の良さを知ってもらい、清水の友人達には中央の文化の香りを嗅ぎ取ってもらいたかった。 確か9回ぐらいやったと思うけど、じゅんちゃんは勿論皆出席だった。これには数々のエピソードがあるけど、いずれの機会に紹介したい。

飲みすぎて夢の中
ある日じゅんちゃんから電話がかかってきた。「今沖縄なんですよ。映画撮ってる最中で、天気が悪いんでみんなで飲んでるんですよ」というものだった。その時撮っていた映画が、あの「マリリンに逢いたい」だった。きっと横では安田成美や加藤雅也、三浦友和も一緒に飲んでいたんだろうね。
それから彼は次々と作品を撮りだした。「砂の上のロビンソン」「ふたりだけのアイランド」「女帝」「スキヤキ」そして「秋桜(コスモス)」という映画を撮っていた時に女優の榊原るみさんと出会い、伴侶とした。その後るみちゃんを主役に「ひとりね」という映画を撮った後、二人でアメリカに渡り、ロサンゼルスに生活の場を移した。
アメリカでも吉川ひなのをヒロインに使い、「ホーンテッド・ハイウエイ(その後デスライドに改題)」という映画を撮り、アメリカでも高い評価を受けた。
そのじゅんちゃんがドキュメント映画を製作した。先の戦争の時にアメリカにいた日系人が、アメリカ国籍を持っていたにも関わらず、強制的に収容所に収容された。その生活を一人の日系カメラマンがフィルムに収めていた。「宮武東洋の覗いた時代」という、その映画が日本で4月から公開される。みなさんも是非見てください。
それに合わせてじゅんちゃんも4月に日本に来る。その時はるみちゃんも一緒に我が家に泊まりに来るはずだ。何をご馳走しようかな?じゅんちゃんかなりグルメだからな~~。待ってるよ!!じゅんちゃん。

「ラブユー東京」「さそり座の女」「夜の銀狐」などの作曲家 中川博之、作詞家の高畠じゅんこ夫妻と

我が家で鍋を囲むじゅんちゃん夫妻
彼との出会いは30年ほど前になる。それは偶然のなせる業と云ってもいいような出会いだった。
ある時、知り合いの呉服関係者から「ミス着物コンテスト」の審査員を紹介してくれないかと頼まれた。オレは即座に、その頃親しくさせていただいていたNHKの山川静夫さんを紹介し、直接電話でお願いしたら快諾を得た。山川さんからは「村松友視も連れて行くよ」ということになり、豪華な審査員が決まった。
それが関係者のつまらないミスでキャンセルになってしまった。そこでオレは急遽友人の新劇俳優に人選を頼み、紹介されたのがすずきじゅんいちだった。当時彼は日活ロマンポルノの監督として数々の作品を世に送り出していた。
ロマンポルノ・・・?オレも一瞬ためらったけど、時間がない。そしてオレも審査員の一人として加わることになった。コンテスト当日、彼を駅まで迎えに行った。オレの想像していたイメージとは全く違う人間がそこにいた。穏やかで品が良くて、おまけに知性的だった。そりゃ~そうだよ、東京大学だもん・・・

「ミス着物コンテスト」で、右から二人目からオレ、じゅんちゃん
コンテストが終わってから、オレは図々しく「今日家に泊まらない?」と誘ったら、じゅんちゃんもオレを気に入ってくれたのか、「いいですよ」ってな訳で、その晩は出演料使い果たすまで鮨屋で飲んじゃった。その後彼は、我が家に度々泊りがけで遊びに来るようになった。
その頃オレは「東清会」という、オレの東京の友人と、清水の友人を一同に集め、年に一回の宴会を開催していた。これはホテルを一晩借り切って、清水の美味いものと、全国の銘酒を飲みながら、朝方まで語り合おうという壮大なものだった。

「東清会」で

女流映画監督の渋谷昶子さんとじゅんちゃん

洋画家の中村清治先生

みんなの体操の長野信一さんと故橋本博英画伯

こんな人も・・・
オレは、中央で活躍してる画家や彫刻家、映画監督などに清水の良さを知ってもらい、清水の友人達には中央の文化の香りを嗅ぎ取ってもらいたかった。 確か9回ぐらいやったと思うけど、じゅんちゃんは勿論皆出席だった。これには数々のエピソードがあるけど、いずれの機会に紹介したい。

飲みすぎて夢の中
ある日じゅんちゃんから電話がかかってきた。「今沖縄なんですよ。映画撮ってる最中で、天気が悪いんでみんなで飲んでるんですよ」というものだった。その時撮っていた映画が、あの「マリリンに逢いたい」だった。きっと横では安田成美や加藤雅也、三浦友和も一緒に飲んでいたんだろうね。
それから彼は次々と作品を撮りだした。「砂の上のロビンソン」「ふたりだけのアイランド」「女帝」「スキヤキ」そして「秋桜(コスモス)」という映画を撮っていた時に女優の榊原るみさんと出会い、伴侶とした。その後るみちゃんを主役に「ひとりね」という映画を撮った後、二人でアメリカに渡り、ロサンゼルスに生活の場を移した。
アメリカでも吉川ひなのをヒロインに使い、「ホーンテッド・ハイウエイ(その後デスライドに改題)」という映画を撮り、アメリカでも高い評価を受けた。
そのじゅんちゃんがドキュメント映画を製作した。先の戦争の時にアメリカにいた日系人が、アメリカ国籍を持っていたにも関わらず、強制的に収容所に収容された。その生活を一人の日系カメラマンがフィルムに収めていた。「宮武東洋の覗いた時代」という、その映画が日本で4月から公開される。みなさんも是非見てください。
それに合わせてじゅんちゃんも4月に日本に来る。その時はるみちゃんも一緒に我が家に泊まりに来るはずだ。何をご馳走しようかな?じゅんちゃんかなりグルメだからな~~。待ってるよ!!じゅんちゃん。

「ラブユー東京」「さそり座の女」「夜の銀狐」などの作曲家 中川博之、作詞家の高畠じゅんこ夫妻と
我が家で鍋を囲むじゅんちゃん夫妻