地震と窯
陶房というと、大概の人は人家のない山の中にあると思っているようだ。しかし、我が家は住宅街に陶房を構えている。オレは昔からどこに住もうが仕事が出来ればいいと思っていたのだが、東京出身のカミさんは「私はネオンの見えるところに住みたい」と譲らなかった。
今住んでいる場所は当然ネオンが見える。清水の中でもやや高台になるが、戦後行政が販売した住宅地で周囲には病院も結構あり、暮らすには便利な所だと思っている。ただ、、、狭い。仕事場まで数秒で行ける。こんな場所でもう30数年も暮らしてきた。
住宅街なので当然薪窯など作れる筈がない。だからプロパンガス窯を使って今まで窯を焚いてきた。プロパンガスは火力が強い。そして還元炎焼成に向いている上に、コントロールし易い便利な燃料である。オレの専門は志野焼だが、志野を焼く時は三日間ほど窯を焚き続ける。一旦火をつけたら、弟子と交代で仮眠をとりながら窯を焚く。しかし、この窯焚きがオレには大きなストレスだった、、、
今から30数年前に東大助手の石橋克彦という人が「明日にでも駿河湾でマグニチュード8クラスの大規模地震が起きても不思議でない」という学説を発表した。その頃オレは三保に住んでいたから、それこそ飛び上がらんばかりに驚いた。
その後、今のところに窯を移したが、地震への恐怖は増すばかりだった。「窯を焚いてるときに地震がきたらどうしよう、、、」窯に火をつけてから窯の火を消すまで、そのことが頭の中から呪文のように離れない。窯の最高温度は1,250度を超す。もし窯が倒れたら手の打ちようがない。それにこの住宅地の中に50キロボンベが常時6本も並べてある。それを考えると、仮眠を取ろうと布団に潜っても寝付けない。ウトウトしてるうちに交代の時間がやってくる。30年、この繰り返しだった、、、
そしてこの度の地震だった。清水も結構揺れたが震源地は東北と云う事で、まだそれほどの危機感を感じてはいなかった。しかし、誘発と思われる地震が長野で起き、そして富士宮で震度6強の地震が起きた。オレは即座に決断した。「窯を変えよう!!」と。その夜のうちにカミさんに相談した。カミさんも直ぐ賛成してくれた。
翌日早速業者に電話して電気窯を注文した。電気窯といっても安い買い物ではない。それに電気窯は若しかしたら、いままでやって来た志野を焼くことができなくなるかも知れないのだ。電気窯はコンピューター制御なので、プログラムを設定すれば自動的に窯が焼ける。つまり寝ているうちに窯が焚けるのだ。それに地震がきたら自動的に電気が切れる。

ただ、電気窯は炎が出ない。温度が上がるだけで窯の中を還元状態にすることが出来ない。それが一番の心配事だった。でも調べてみたら、窯の下部からバーナーを差し込んでガスの炎を吹き込むことが出来るようだ。これなら、工夫すれば志野が焼けるかも知れない、、、なんとなく希望が見えてきた。

そして注文して一カ月目で漸く窯が到着した。今まで使っていた窯をクレーンで仕事場の外に出し、業者が4人がかりで新しい窯を設置する。電気屋が3人も来て接続工事を行う。窯を変えるという事はかなりの大仕事なのだ。窯は無事設置できたが、まだ使えない。漏電ブレーカーの容量を大きくしたり、窯が地震で倒れないようにアンカーボルトを打つ仕事が残っている。そして、窯の中の水分を抜くために一度空焚きをする。

それでも5月には初窯が焚けるだろう。不安もあるが、楽しみでもある。
今住んでいる場所は当然ネオンが見える。清水の中でもやや高台になるが、戦後行政が販売した住宅地で周囲には病院も結構あり、暮らすには便利な所だと思っている。ただ、、、狭い。仕事場まで数秒で行ける。こんな場所でもう30数年も暮らしてきた。
住宅街なので当然薪窯など作れる筈がない。だからプロパンガス窯を使って今まで窯を焚いてきた。プロパンガスは火力が強い。そして還元炎焼成に向いている上に、コントロールし易い便利な燃料である。オレの専門は志野焼だが、志野を焼く時は三日間ほど窯を焚き続ける。一旦火をつけたら、弟子と交代で仮眠をとりながら窯を焚く。しかし、この窯焚きがオレには大きなストレスだった、、、
今から30数年前に東大助手の石橋克彦という人が「明日にでも駿河湾でマグニチュード8クラスの大規模地震が起きても不思議でない」という学説を発表した。その頃オレは三保に住んでいたから、それこそ飛び上がらんばかりに驚いた。
その後、今のところに窯を移したが、地震への恐怖は増すばかりだった。「窯を焚いてるときに地震がきたらどうしよう、、、」窯に火をつけてから窯の火を消すまで、そのことが頭の中から呪文のように離れない。窯の最高温度は1,250度を超す。もし窯が倒れたら手の打ちようがない。それにこの住宅地の中に50キロボンベが常時6本も並べてある。それを考えると、仮眠を取ろうと布団に潜っても寝付けない。ウトウトしてるうちに交代の時間がやってくる。30年、この繰り返しだった、、、
そしてこの度の地震だった。清水も結構揺れたが震源地は東北と云う事で、まだそれほどの危機感を感じてはいなかった。しかし、誘発と思われる地震が長野で起き、そして富士宮で震度6強の地震が起きた。オレは即座に決断した。「窯を変えよう!!」と。その夜のうちにカミさんに相談した。カミさんも直ぐ賛成してくれた。
翌日早速業者に電話して電気窯を注文した。電気窯といっても安い買い物ではない。それに電気窯は若しかしたら、いままでやって来た志野を焼くことができなくなるかも知れないのだ。電気窯はコンピューター制御なので、プログラムを設定すれば自動的に窯が焼ける。つまり寝ているうちに窯が焚けるのだ。それに地震がきたら自動的に電気が切れる。
ただ、電気窯は炎が出ない。温度が上がるだけで窯の中を還元状態にすることが出来ない。それが一番の心配事だった。でも調べてみたら、窯の下部からバーナーを差し込んでガスの炎を吹き込むことが出来るようだ。これなら、工夫すれば志野が焼けるかも知れない、、、なんとなく希望が見えてきた。
そして注文して一カ月目で漸く窯が到着した。今まで使っていた窯をクレーンで仕事場の外に出し、業者が4人がかりで新しい窯を設置する。電気屋が3人も来て接続工事を行う。窯を変えるという事はかなりの大仕事なのだ。窯は無事設置できたが、まだ使えない。漏電ブレーカーの容量を大きくしたり、窯が地震で倒れないようにアンカーボルトを打つ仕事が残っている。そして、窯の中の水分を抜くために一度空焚きをする。
それでも5月には初窯が焚けるだろう。不安もあるが、楽しみでもある。
2011年04月24日 Posted by 臥游山人 at 15:14 │Comments(0) │松韻窯陶房
Go for broke
昨日は5月22日にヤングカレッジが行う、ドキュメンタリー映画「442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」の上映会を取材してもらうために静岡のテレビ局三局を訪ねた。各局とも部長や局長が対応してくれ、ある局は社長と会う事が出来た。
この映画は、第二次大戦時に日系二世で編成されたアメリカ陸軍442部隊を取り上げている。父母の祖国日本と戦う苦悩を抱えながら、アメリカの中で人種差別と戦い、ヨーロッパ戦線ではファシズムと戦った伝説の兵士たちは、アメリカ軍史上最も多くの勲章を受け、歴史に燦然と輝く。
この活躍で日系人はアメリカ国内での地位向上を果たし、フランスを始めとしたヨーロッパ諸国では、長期間ナチスドイツに占領されていた自分たちの町を開放に導いたヒーローとして、現在も語り継がれている。
オレはこの映画を出来れば若者に見てほしいと思っている。日本人としてのアイデンテティを失いつつある若者たちに、この映画を見て、日本人に生まれたことの誇りと自信を取り戻して欲しいと願っている。
もうひとつある。この映画と静岡は深いところで繋がっているのだ。清水区三保はアメリカ移民の歴史が長く、戦前はアメリカ村とも呼ばれた。土地の痩せた地域なので、明治時代から夢を求めて多くの住民がアメリカ西海岸やハワイに渡った。一時期はその数が1,000人以上にもなったといわれる。だから当然その息子たちが442部隊に志願してヨーロッパで戦ったはずなのである。
オレはこのことを力説して取材依頼をした。各局とも興味を示してくれたが、「実際に三保出身者が442部隊に帰属したという確証はありますか?」と突っ込まれてしまった。
そうなんだよな~。そこが素人の悲しさ、その詰めをしないままにテレビ局に乗りこんでしまった。
そこで今日は三保まで出かけてきた。去年、「三保アメリカ村」という移民史を研究する団体が発足し、今日その総会があると聞いたからだ。総会が終わるのを待って、関係者に「442」の事を聞いてみると、やはり三保出身者で442部隊に志願したという話は聞いているという。
しかし、もう60数年前の話なので人物を特定できない。困ったな~と思っていたら、ある人が、「ここに連絡してみたら?」とアメリカの連絡先を教えてくれた。それは「米国三保クラブ」という、三保出身者で結成している団体の代表者の住所と電話番号だった。ここと連絡取れれば間違いなく確実な情報が得られる。オレは早速アメリカのすずきじゅんいち監督にメールを送り、連絡を取ってくれるように依頼した。さあ、この先どうなるかな?何だかワクワクするね。
今月からヤングカレッジは23年前期の教養講座がスタートした。そして毎年恒例の決算事務もやらなければいけない。それが終われば、総会に向けて事業計画、収支予算書を作らなければ、、、
いやいやまだまだある。5月の上映会の後は、6月に櫻川ぴん助のかっぽれセミナーがある。7月は新進気鋭の地震学者、東大地震研究所助教の大木聖子(さとこ)によるセミナーも決定した。聖子ちゃんはオレのカミさんの従兄の娘で、先日東京で直接会って話を詰めてきた。彼女はここのところ各局のニュースに出まくっていて大忙しだが、清水に来てくれることになった。
3月11日以来、日本は出口が見えない状況が続いている。一時はオレも滅入る日が続いたが、何ともならんことは何ともならんということに気がついた。さあ、やれることをやれるだけやるぞ~!!生きれるとこまで生きるぞ~~。「442部隊」じゃないが、「Go for Broke」だ!!
2011年04月16日 Posted by 臥游山人 at 23:32 │Comments(0) │NPO法人ヤングカレッジ
黄金笑ライブ
4月9日、東京北千住で行われるビッグボーイズの「黄金笑ライブ」を見るために朝8時半に、カミさんと二人で自宅を出発した。早めに出たおかげで静岡駅から「ひかり」に乗車できた。10時40分に東京着。上野から常磐線に乗り換え北千住に向かう。ライブは2時からなのだが、実はライブの前にある女性と待ち合わせをしていた。
さて、、、その女性とは、、、?? 歳は30を過ぎたばかり、、、もちろん独身ですよ、、、
答えは、カミさんの従弟の娘でした。従弟の娘のことを何て呼ぶか知ってる?従姪と書いて(じゅうてつ)って言うらしいよ。何ともカタイ呼び方だね。ところがこの従姪、只者ではない。名前を大木聖子(さとこ)といい、東大地震研究所の助教で新進気鋭の地震学者なのである。今回の大震災では報道番組に引っ張りだこで、顔を見れば「あ~、あの娘だ!」と気付く人も多いと思う。
何故会ったのかと云うと、7月10日の「やんかれセミナー」の講師として清水に来てもらうための打ち合わせだった。その話はいずれ詳しく書くことに、、、
そして駅前にある丸井10階のライブ会場に向かう。会場に入ったら、青空うれし師匠がいた。なべちゃんを心配して清瀬から駆けつけてくれたのだった。こんな時期だから入りはどうかな?とうれし師匠も心配していたのだが、客が次々と入りだし、あっという間に会場が満杯となった。うれしい話だね。
ライブの構成は、司会が加納良治、ダンスチーム弾心、大江戸大神楽の仙若、パントマイムのヘルシー松田、若手漫才の世界少年、そしてビッグボーイズだった。

二時間を越える熱演に会場も盛り上がり、拍手にも熱が篭っていた。みんなが心から楽しんでいたし、大きな笑いに会場が包まれた。
その日はMIXIコミュのオフ会も兼ねていたのだが、ライブ終了後、出演者も合流して近くの居酒屋で盛大にオフ会を開催した。そこに帽子に大きなマスクの怪しい男が登場、、、と思ったら大空なんだ師匠だった。そう!なんだ師匠もコミュのメンバーなんだよね。


ライブで大笑い、オフ会で大笑い。三次会はカラオケだそうだ。なべちゃんもついていくらしい。オレは静岡に帰らなければいけないので遠慮したけど、きっと大盛り上がりだっただろうな~。でも心配なことが二つほどある。ライブが大成功だったので、嬉しくてきっとなべちゃん泣くだろうな、、、それより心配なことが、、、泣いた後、今度はキスしまくるぞ。みんな気をつけろよ~!!犠牲者が出なけりゃいいが、、、
さて、、、その女性とは、、、?? 歳は30を過ぎたばかり、、、もちろん独身ですよ、、、
答えは、カミさんの従弟の娘でした。従弟の娘のことを何て呼ぶか知ってる?従姪と書いて(じゅうてつ)って言うらしいよ。何ともカタイ呼び方だね。ところがこの従姪、只者ではない。名前を大木聖子(さとこ)といい、東大地震研究所の助教で新進気鋭の地震学者なのである。今回の大震災では報道番組に引っ張りだこで、顔を見れば「あ~、あの娘だ!」と気付く人も多いと思う。
何故会ったのかと云うと、7月10日の「やんかれセミナー」の講師として清水に来てもらうための打ち合わせだった。その話はいずれ詳しく書くことに、、、
そして駅前にある丸井10階のライブ会場に向かう。会場に入ったら、青空うれし師匠がいた。なべちゃんを心配して清瀬から駆けつけてくれたのだった。こんな時期だから入りはどうかな?とうれし師匠も心配していたのだが、客が次々と入りだし、あっという間に会場が満杯となった。うれしい話だね。
ライブの構成は、司会が加納良治、ダンスチーム弾心、大江戸大神楽の仙若、パントマイムのヘルシー松田、若手漫才の世界少年、そしてビッグボーイズだった。
二時間を越える熱演に会場も盛り上がり、拍手にも熱が篭っていた。みんなが心から楽しんでいたし、大きな笑いに会場が包まれた。
その日はMIXIコミュのオフ会も兼ねていたのだが、ライブ終了後、出演者も合流して近くの居酒屋で盛大にオフ会を開催した。そこに帽子に大きなマスクの怪しい男が登場、、、と思ったら大空なんだ師匠だった。そう!なんだ師匠もコミュのメンバーなんだよね。
ライブで大笑い、オフ会で大笑い。三次会はカラオケだそうだ。なべちゃんもついていくらしい。オレは静岡に帰らなければいけないので遠慮したけど、きっと大盛り上がりだっただろうな~。でも心配なことが二つほどある。ライブが大成功だったので、嬉しくてきっとなべちゃん泣くだろうな、、、それより心配なことが、、、泣いた後、今度はキスしまくるぞ。みんな気をつけろよ~!!犠牲者が出なけりゃいいが、、、
2011年04月11日 Posted by 臥游山人 at 16:05 │Comments(0) │交遊録
近況
あの地震以来日記を書いていない。いや、書けないでいるというのが本音だろう。凄まじいまでの地震と津波の破壊力、収束の兆しを見せない原発問題。テレビで映し出される映像に、ただただ息を呑み、言葉も出ないほど打ちのめされている。
自然からの恵みを当然のように享受し、自然はただただ優しいものだと思ってはいなかっただろうか?思い上がってはいなかっただろうか?そんなことを自分自身に問いかけながらこの3週間を過ごしてきた。
そして今、オレはこれから何をなすべきか考えている。まず自分を立て直そう。日常を取り戻そう。そこからしか見えてこない。こんなちっぽけな男でも何かやれることがあるだろう。そんな思いがふつふつと湧いてきだした。
それぞれがそれぞれの立場で祖国を守る為に命を懸けて闘っている。日本を救おうと、海外からも援助の手が差し伸べられている。今こそ人を信じるべきだと思う。今この状況で人を批判しても何も生まれない。憎悪と不信が増幅されたときに、人は滅びて行くのだと思う。強い覚悟と、周到な用心を持ちつつ、オレは日常を取り戻そうと思う。
自然からの恵みを当然のように享受し、自然はただただ優しいものだと思ってはいなかっただろうか?思い上がってはいなかっただろうか?そんなことを自分自身に問いかけながらこの3週間を過ごしてきた。
そして今、オレはこれから何をなすべきか考えている。まず自分を立て直そう。日常を取り戻そう。そこからしか見えてこない。こんなちっぽけな男でも何かやれることがあるだろう。そんな思いがふつふつと湧いてきだした。
それぞれがそれぞれの立場で祖国を守る為に命を懸けて闘っている。日本を救おうと、海外からも援助の手が差し伸べられている。今こそ人を信じるべきだと思う。今この状況で人を批判しても何も生まれない。憎悪と不信が増幅されたときに、人は滅びて行くのだと思う。強い覚悟と、周到な用心を持ちつつ、オレは日常を取り戻そうと思う。