ポルチーニと鯉
チェコに住む弟から写真が届いた。
10月なのに、大きなポルチーニ茸がたっぷり採れたという。
ほんの2時間ほどで籠いっぱいになったそうだ。後ろの籠と比べれば、どれだけ大きいかが分かる。
それに、いつもなら釣れなくなるはずの鯉が釣れ続けているらしい。
これは鱗のないドイツ鯉。
こちらは弟の友人オルダが釣った鯉。
鯉はチェコのクリスマスに欠かせない。クリスマスには殆どの家庭で鯉料理を食べる。
一昨年チェコに行った時、弟に頼まれて魚群探知機を持って行った。魚探で池の水深や魚群を探知しながら釣っているので、釣果が倍増したらしい。
こんな写真を見せられると、又チェコに行きたくなっちゃうな~。
2013年10月18日 Posted by 臥游山人 at 21:28 │Comments(0) │日々雑感
ドイツ・チェコの旅 ~39~
7月19日
8:10 起床。
帰国を明日に控え、一寸疲れが出たのか今日は遅めの目覚めとなった。
その間、弟が森に出かけキノコを採ってきてくれた。虫に食われたキノコもあったが、大きなポルチーニを籠に入れて戻ってきた。

これはポルチーニではないが食べれるキノコだそうだ。

今晩、このキノコを使ってグラーシュを作ってくれるという。

昨日あれだけ買い物をしたのに、まだ足りないらしく今日も「テスコ」に買い物に行く。殆ど友人達へのお土産だが、トランクに収まるか心配になる。
その後、ワインショップに寄ったのだが、ここでオレが大激怒する出来事が起こった。実は、先週もプラムの蒸留酒であるスリヴォビッツを買うためにこの店に行った。
その時、酒のつまみにもなる数種類のパテを見つけた。鹿、鴨、鶉などのパテを買ったが、旅先で食べて美味しかった兎のパテを思い出し「兎のパテはありませんか?」と尋ねた。30代くらいの女性店員が、「来週なら入りますから、来週来てください」と自信たっぷりに答えた。
だから、今日わざわざこの店まで行った。応対に出た60代の女性に「兎のパテをください」と言ったら、表情も変えず、即座に「ネ」と言う。ネはチェコ語でノーの意味である。
先週来た時に今週ならあると言われた、と言うと、「そんなことは聞いていない。無いものはない」とにべもない。その女性が経営者と思い込んでいたオレも悪いが、オレは思わず「それが客に対する言葉か! わざわざ来させておいてその態度は何だ!!」と怒鳴りつけてしまった。
後で弟に聞いたら、あの女性も雇われているんだそうだ。しかし、ここにこそ今のチェコの姿が凝縮されていることを強く実感した。
チェコには何回も来ているが、今回の旅行で強く感じたのは、どの町に行ってもベトナム人の店がある。チェコが社会主義時代にベトナムとは友好国で、多くのベトナム人が留学や仕事でチェコに滞在していた。
それが、ビロード革命で社会主義から脱却した後も、多くのベトナム人は国に帰らずチェコに残った。一時ベトナムマフィアなどと云われ、犯罪集団化した時期もあったが、多くの勤勉なベトナム人は青空市やテントなどで商売を始め、朝早くから夜中まで働いた。
一般のチェコ人経営の商店は、客がいても5時になるとさっさと閉店する。店の展示にも全く無頓着だ。社会主義時代の悪弊が累々と残っているのだ。その点、ベトナム人は働くことを厭わない。又、店の商品を道の方にまで陳列し、値段も安い。
だから勝負にならない。前に来た時には無店舗で商売をやっているベトナム人が多かったが、今では立派な商店を構えている。インテリや海外事情を知っているチェコ人は別だが、一般のチェコ人はこうして店を失っていく。早く気付いてほしいものだと切に思った。
7月20日
5:00起床。
一か月余の旅を終え、日本に帰国する日が来た。。簡単に朝食を済ませ、7時に浩の運転する車でプラハに向かう。弟もついてきてくれた。道路が空いていたので8時過ぎに空港に到着した。弟と浩にはそのまま帰ってもらいチェックインを待つ。

11:35発、AY716便は時間通りに9:35にチェックインを開始した。ボディチェックと出国審査を終えて搭乗ロビーに向かう。

プラハ・ルーズニェ空港を飛び立った飛行機は、水平飛行を始めた。

もうそろそろヘルシンキに到着する。眼下にバルト海の島々が見える。

ヘルシンキで17:15発AY079に乗り換え、一路日本に向かう。
7月21日 9:00セントレアに無事到着。旅の余韻に浸れないほどの暑さだったが、昼頃、清水に到着。そのまま蕎麦屋に直行し、思い切り音を立てながら蕎麦をすすりこんだ。
<完>
8:10 起床。
帰国を明日に控え、一寸疲れが出たのか今日は遅めの目覚めとなった。
その間、弟が森に出かけキノコを採ってきてくれた。虫に食われたキノコもあったが、大きなポルチーニを籠に入れて戻ってきた。
これはポルチーニではないが食べれるキノコだそうだ。
今晩、このキノコを使ってグラーシュを作ってくれるという。
昨日あれだけ買い物をしたのに、まだ足りないらしく今日も「テスコ」に買い物に行く。殆ど友人達へのお土産だが、トランクに収まるか心配になる。
その後、ワインショップに寄ったのだが、ここでオレが大激怒する出来事が起こった。実は、先週もプラムの蒸留酒であるスリヴォビッツを買うためにこの店に行った。
その時、酒のつまみにもなる数種類のパテを見つけた。鹿、鴨、鶉などのパテを買ったが、旅先で食べて美味しかった兎のパテを思い出し「兎のパテはありませんか?」と尋ねた。30代くらいの女性店員が、「来週なら入りますから、来週来てください」と自信たっぷりに答えた。
だから、今日わざわざこの店まで行った。応対に出た60代の女性に「兎のパテをください」と言ったら、表情も変えず、即座に「ネ」と言う。ネはチェコ語でノーの意味である。
先週来た時に今週ならあると言われた、と言うと、「そんなことは聞いていない。無いものはない」とにべもない。その女性が経営者と思い込んでいたオレも悪いが、オレは思わず「それが客に対する言葉か! わざわざ来させておいてその態度は何だ!!」と怒鳴りつけてしまった。
後で弟に聞いたら、あの女性も雇われているんだそうだ。しかし、ここにこそ今のチェコの姿が凝縮されていることを強く実感した。
チェコには何回も来ているが、今回の旅行で強く感じたのは、どの町に行ってもベトナム人の店がある。チェコが社会主義時代にベトナムとは友好国で、多くのベトナム人が留学や仕事でチェコに滞在していた。
それが、ビロード革命で社会主義から脱却した後も、多くのベトナム人は国に帰らずチェコに残った。一時ベトナムマフィアなどと云われ、犯罪集団化した時期もあったが、多くの勤勉なベトナム人は青空市やテントなどで商売を始め、朝早くから夜中まで働いた。
一般のチェコ人経営の商店は、客がいても5時になるとさっさと閉店する。店の展示にも全く無頓着だ。社会主義時代の悪弊が累々と残っているのだ。その点、ベトナム人は働くことを厭わない。又、店の商品を道の方にまで陳列し、値段も安い。
だから勝負にならない。前に来た時には無店舗で商売をやっているベトナム人が多かったが、今では立派な商店を構えている。インテリや海外事情を知っているチェコ人は別だが、一般のチェコ人はこうして店を失っていく。早く気付いてほしいものだと切に思った。
7月20日
5:00起床。
一か月余の旅を終え、日本に帰国する日が来た。。簡単に朝食を済ませ、7時に浩の運転する車でプラハに向かう。弟もついてきてくれた。道路が空いていたので8時過ぎに空港に到着した。弟と浩にはそのまま帰ってもらいチェックインを待つ。
11:35発、AY716便は時間通りに9:35にチェックインを開始した。ボディチェックと出国審査を終えて搭乗ロビーに向かう。
プラハ・ルーズニェ空港を飛び立った飛行機は、水平飛行を始めた。
もうそろそろヘルシンキに到着する。眼下にバルト海の島々が見える。
ヘルシンキで17:15発AY079に乗り換え、一路日本に向かう。
7月21日 9:00セントレアに無事到着。旅の余韻に浸れないほどの暑さだったが、昼頃、清水に到着。そのまま蕎麦屋に直行し、思い切り音を立てながら蕎麦をすすりこんだ。
<完>