ハンドルネームを変えた訳
先般ハンドルネームを「快傑ガンコ親父」から単なる「がんこ」に変えた。他人から見れば他愛ないことでも、オレには感慨深いものがある。
7年前に義憤に駆られてある団体を設立した。翌年にNPO法人として認定された。正式名称を「NPO法人ヤングカレッジ」という。この団体の目的は勤労青少年の生涯学習と健全交流を図ることにある。
今は何とか軌道に乗って来たが、設立当初は試行錯誤の連続で大変だった。役員編成、活動資金調達、講座運営、事業企画、、、数え上げたらきりがない。
若者を中心に役員を構成したが、当然ながら彼らには経験も、人脈も、そして金銭的にも時間的にも余裕がない。その反面、過剰な自意識がある。一番厄介だったのは、楽しいことにはついてくるが、ちょっと辛いことが見えてくるとサっといなくなる。そして何をやっても長続きがしない。
そこでオレは嫌われることを覚悟で「ガンコ親父」を買って出た。逃げていく者は仕方がない。その代わり、ついてきてくれる若者にはオレの英知を尽くして、地域のリーダーとなれるよう徹底的にしごいていくことにした。
「ヤングカレッジ」の理事長はオレの陶芸の女弟子に託した。例え女であっても容赦はしなかった。オレに怒られてどれだけ泣いただろうか。泣いても泣いても突き放した。他の役員にも同様だった。駄目なものは駄目、心を鬼にしてガンコ親父に徹してやろうと心に決めた。これがオレのハンドルネームの由来であった。
しかし、そうは云っても彼らに社会の荒波をまともに被らせるわけにはいかなかった。団体を運営していれば様々な軋轢が生じてくる。その相手が大きければ若者にはひとたまりもない。そんな時はオレが先頭に立った。社会のために一生懸命奉仕している若者を傷つけてはいけないと思ったからだ。
「もうこんな団体解散しようか?」と思うこともあった。食事も喉を通らない時もあった。正直逃げたいと思った。でも、頑張っている若者を見ると「ヨシ!もうひと踏ん張りしてみよう!」と勇気が湧いてきた。そんな時、「あっ、オレも若者と一緒に成長してるんだ」と気付いた。
「役員には、やれるだけやらせてみよう。そして、どうしても解決できないことがあれば、オレがあらゆる知恵を振り絞って解決してやろう」そう覚悟を決めた。そこで「ガンコ親父」に快傑を加え「快傑ガンコ親父」としたのである。オレの決意のシグナルだった。
ところが最近様子が変わって来た。あんなに泣いた理事長が全く泣かなくなり、それどころか堂々としてきた。設立当初玉石混交だった役員も、今は能力も意欲もある役員が集まってきた。つまりオレの出番が殆どなくなって来たのである。自分たちで事業を企画して見事にやり遂げるようになってきた。寂しいような、嬉しいような、何とも複雑な気持ちだが、この辺がオレの引き時かな?と思えるようになってきた。それでハンドルネームを平仮名の「がんこ」に変えたのである。
オレの郷土、山形県米沢地方に「そんぴんつり」という言葉がある。これは「そん」は「損」で「ぴん」は「貧」と云われて、損しても貧しても自分を曲げないという意味らしい。オレは子供の時から母親に「お前のようなそんぴんつりは見たことない。亡くなったじいさんそっくりだ」と云われ続けてきた。じいさんは村でも有名なそんぴんつりだった。
だからオレのガンコは一生治らないだろう。でも、せめて他人には優しいガンコ者になろうと思う。もうこんな年になったのだから、敢えて嫌われ者になることもないだろう。今年もわずかで終わる。来年は人から愛される優しい「がんこ」になりたいな~。
7年前に義憤に駆られてある団体を設立した。翌年にNPO法人として認定された。正式名称を「NPO法人ヤングカレッジ」という。この団体の目的は勤労青少年の生涯学習と健全交流を図ることにある。
今は何とか軌道に乗って来たが、設立当初は試行錯誤の連続で大変だった。役員編成、活動資金調達、講座運営、事業企画、、、数え上げたらきりがない。
若者を中心に役員を構成したが、当然ながら彼らには経験も、人脈も、そして金銭的にも時間的にも余裕がない。その反面、過剰な自意識がある。一番厄介だったのは、楽しいことにはついてくるが、ちょっと辛いことが見えてくるとサっといなくなる。そして何をやっても長続きがしない。
そこでオレは嫌われることを覚悟で「ガンコ親父」を買って出た。逃げていく者は仕方がない。その代わり、ついてきてくれる若者にはオレの英知を尽くして、地域のリーダーとなれるよう徹底的にしごいていくことにした。
「ヤングカレッジ」の理事長はオレの陶芸の女弟子に託した。例え女であっても容赦はしなかった。オレに怒られてどれだけ泣いただろうか。泣いても泣いても突き放した。他の役員にも同様だった。駄目なものは駄目、心を鬼にしてガンコ親父に徹してやろうと心に決めた。これがオレのハンドルネームの由来であった。
しかし、そうは云っても彼らに社会の荒波をまともに被らせるわけにはいかなかった。団体を運営していれば様々な軋轢が生じてくる。その相手が大きければ若者にはひとたまりもない。そんな時はオレが先頭に立った。社会のために一生懸命奉仕している若者を傷つけてはいけないと思ったからだ。
「もうこんな団体解散しようか?」と思うこともあった。食事も喉を通らない時もあった。正直逃げたいと思った。でも、頑張っている若者を見ると「ヨシ!もうひと踏ん張りしてみよう!」と勇気が湧いてきた。そんな時、「あっ、オレも若者と一緒に成長してるんだ」と気付いた。
「役員には、やれるだけやらせてみよう。そして、どうしても解決できないことがあれば、オレがあらゆる知恵を振り絞って解決してやろう」そう覚悟を決めた。そこで「ガンコ親父」に快傑を加え「快傑ガンコ親父」としたのである。オレの決意のシグナルだった。
ところが最近様子が変わって来た。あんなに泣いた理事長が全く泣かなくなり、それどころか堂々としてきた。設立当初玉石混交だった役員も、今は能力も意欲もある役員が集まってきた。つまりオレの出番が殆どなくなって来たのである。自分たちで事業を企画して見事にやり遂げるようになってきた。寂しいような、嬉しいような、何とも複雑な気持ちだが、この辺がオレの引き時かな?と思えるようになってきた。それでハンドルネームを平仮名の「がんこ」に変えたのである。
オレの郷土、山形県米沢地方に「そんぴんつり」という言葉がある。これは「そん」は「損」で「ぴん」は「貧」と云われて、損しても貧しても自分を曲げないという意味らしい。オレは子供の時から母親に「お前のようなそんぴんつりは見たことない。亡くなったじいさんそっくりだ」と云われ続けてきた。じいさんは村でも有名なそんぴんつりだった。
だからオレのガンコは一生治らないだろう。でも、せめて他人には優しいガンコ者になろうと思う。もうこんな年になったのだから、敢えて嫌われ者になることもないだろう。今年もわずかで終わる。来年は人から愛される優しい「がんこ」になりたいな~。