母性国家日本

60数年前に戦争で負けて、日本はきれいさっぱりと父性を捨て去ってしまった。自分で国を守るという父性をアメリカに委ね、日本は世界に名だたる母性国家になった。父性には当然武力が伴う。日本はその武力を悪と決め付けてしまったのだ。

世界で揉め事があっても決して表に立たない。銃後にお金や食料を持って馳せ参じ、痒いところにも手が届くような細かい気配りをして世界に貢献しようとしてきた。その結果、果たして日本は他国から尊敬されるような国になったのか?

円借款やODAなどで多額の出資をして世界の平和を願い、これだけ貢献し続けているにも関わらず、日本は世界からどんな評価を受けているのか?

オレは必要な喧嘩なら、そして自分が正しいと思うのなら徹底して喧嘩をするべきだと思っている。そしてどんな小さな喧嘩でも徹底して相手を叩きつぶすべきだと思っている。中途半端な決着をすると、大きな禍根を残してしまう。

唯、自分が勝つとは限らない。自分の思っていることが全て正しいとは限らない。喧嘩とはそんなもんだ。勝つ時もあれば負ける時もある。

問題はそれからだ。勝者は敗者に対して惻隠の情を持って遇する。決して奢り高ぶってはいけない。敗者は潔く自分の非を認め、これまでの自分の行いをを反省し、これからの生き方を再構築する。そして勝者を称え、心より畏敬の念を深める。しかし、決して卑屈になってはいけない。

果たして日本は卑屈な国家になっていないか?卑屈な国民になっていないか?似非人権派や似非フェミニストが蔓延し、そんな連中に世論をかき乱され、ただただ立ちすくんでいる国家、、、日本はそんな国になっていないか?

危険なことや面倒なことは人任せ、臭いものには蓋をして、決断をしなければいけないことは先送り。国民がこんな事だから、政治家は唯政治家でいることに汲々としているだけで、本気で国の為に身を捧げるような政治家が出てこない。あんなに悪しざまに言っていたくせに、一寸困るとアメリカ様、オザワ様、見栄も外聞もかなぐり捨ててすり寄っていく。だからいつまで経っても三流国家、三流政治家を脱却できない。

今の日本に一番必要なものは父性ではないのか?ちゃらちゃらしたネーチャンに好かれようと、草食系などと言われ、自らもちゃらちゃらしたニーチャンになり下がっている男どもを真っ向から叱りつける強い父性が求められているのではないのか?

オレは父性を喪失したことも気がつかないで、唯ヘラヘラ笑っている男どもが一番気になる。周囲に迎合せず、例え対立しても眉毛を吊り上げて自分の正しいと思うことを貫き通す、そんな父性の出現を待ちたい。ただし、強い父性の裏側は深い愛情に裏付けられているのは言うまでもない。







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2010年07月17日 Posted by臥游山人 at 00:02 │Comments(0)日々雑感

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