魔教の巣窟~清水~
静岡は富士山があるせいか昔から宗教が多い。特にここ清水を魔教の巣窟と呼ぶ人もいるそうだ。現に家から歩いて行ける距離に、PL教団、立正佼成会、円応教、崇教真光、創価学会などがある。その他、仏教寺院、神社、教会、姓名判断や占いをしている宗教法人を入れればさぞものすごい数になるだろう。オレの家の周りでさえそうだから、一体清水にどれほどの宗教法人があるのだろうか?
そして、やはり歩いて15分ほどのところに月見里笠森稲荷(やまなしかさもりいなり)神社がある。5世紀初頭に建立された古い神社だが、ここは源為朝や空海にまつわる故事の残っている由緒のある神社である。
神社の横に三五(あなない)教の本部があったが、今はもうない。何年か前に掛川の方に本部を移した。三五教と月見里笠森稲荷神社にはある人物を介して深いつながりがある。いや、その人物なくして三五教はありえないのだ。
出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)という、戦前に日本国の根幹を震え上がらせた宗教家がいた。彼の率いる大本教は数度にわたり不敬罪や治安維持法で国家から弾圧された。それは本殿をダイナマイトで爆破されるという徹底したものだった。
出口王仁三郎は宗教だけでなく芸術の世界にも長けていた。生涯で十万首以上の和歌を詠んだり、「ようわん」と呼ばれる彩色の抹茶茶わんをたった一年で三千個も造ったという。これは人間の技を超えていた。
その出口王仁三郎が師と仰いだのが月見里笠森稲荷神社の宮司をしていた長澤雄楯だった。その縁で王仁三郎が暫くこの神社に逗留したという。その時、王仁三郎が神懸かりというかトランス状態になったといわれている。
出口王仁三郎には現代の宗教史に輝く錚々たる弟子がいた。世界救世教の岡田茂吉、生長の家の谷口雅春、神道天行居の友清歓真、そして三五教を創設した中野與之助・・・
相次ぐ弾圧で大本教は衰退したが、戦後、清水生まれの中野與之助が月見里笠森稲荷神社の隣に三五教を創立した。そしてこの三五教が今やNGOとして世界中で活動しているオイスカの母体であることを知る人は少ない。浜松には中野学園オイスカ高校がある。今では宗教色を薄めてきてるのか、あまり問題視されてない。ちなみにオイスカの副会長はオザワ幹事長の義兄である。
高校生の頃親父から「これを読んでみろ」と渡されたのが「巨人出口王仁三郎」という本だった。読むにつれその熾烈な生きざまに驚愕したのを覚えている。時がたつにつれオレの頭から王仁三郎は消えかかっていたのだが、ひょんなことから王仁三郎が清水と縁があることを知った。それもオレの家から歩いて行ける所に・・・ふつふつとオレの好奇心が大きく膨らんだ。
今日、天気も良かったので散歩がてら岡町にある月見里笠森稲荷神社に行ってみた。しかし行くときから何か変だった・・・方向も場所も大体分かっているのに、途中で道を失ってしまったのだ。裏道を歩いたのだが、気が付いたら全く方向違いの清水西高の周りをグルグル回っていた。
大慌てで大きな通りに出て神社を目指した。15分程度のところを小一時間かかってたどり着いた。神社は思っていたよりはるかに小さく、閑散としていて人の気配がない。周りには古木が残りそれらしい風情はあるが、何か寒々としてうらぶれていた。
デジタルカメラを持っていたので、神社の周りを廻りながら確か20枚ほど撮影した。財布を持っていなかったので参拝はしなかった。
家に帰りPCに取り込もうとSDカードをハードディスクに差し込んだ。しかし、不思議なことにそこには何にも写っていなかった。間違いなく写したはずなのに・・・オレは超常現象とやらは一切信じないが、何となく薄気味悪い。
清水には、かの田中智学も三保に大きな宗教施設を建てていたらしいし、龍華時には高山樗牛の墓がある。かつてはPL教団の本部も清水にあったという。岡田茂吉も清水で拘留されたと聞く。いや~、奥が深そうだ。そそられるな~、実にそそられる。もっと詳しく調べてみたい。
でもやめた!!今日の出来事は、これ以上魔教の巣窟に踏み込むなと警告された気がする。近いうちに賽銭持ってもう一回神社に行ってこよう。
そして、やはり歩いて15分ほどのところに月見里笠森稲荷(やまなしかさもりいなり)神社がある。5世紀初頭に建立された古い神社だが、ここは源為朝や空海にまつわる故事の残っている由緒のある神社である。
神社の横に三五(あなない)教の本部があったが、今はもうない。何年か前に掛川の方に本部を移した。三五教と月見里笠森稲荷神社にはある人物を介して深いつながりがある。いや、その人物なくして三五教はありえないのだ。
出口王仁三郎(でぐちおにさぶろう)という、戦前に日本国の根幹を震え上がらせた宗教家がいた。彼の率いる大本教は数度にわたり不敬罪や治安維持法で国家から弾圧された。それは本殿をダイナマイトで爆破されるという徹底したものだった。
出口王仁三郎は宗教だけでなく芸術の世界にも長けていた。生涯で十万首以上の和歌を詠んだり、「ようわん」と呼ばれる彩色の抹茶茶わんをたった一年で三千個も造ったという。これは人間の技を超えていた。
その出口王仁三郎が師と仰いだのが月見里笠森稲荷神社の宮司をしていた長澤雄楯だった。その縁で王仁三郎が暫くこの神社に逗留したという。その時、王仁三郎が神懸かりというかトランス状態になったといわれている。
出口王仁三郎には現代の宗教史に輝く錚々たる弟子がいた。世界救世教の岡田茂吉、生長の家の谷口雅春、神道天行居の友清歓真、そして三五教を創設した中野與之助・・・
相次ぐ弾圧で大本教は衰退したが、戦後、清水生まれの中野與之助が月見里笠森稲荷神社の隣に三五教を創立した。そしてこの三五教が今やNGOとして世界中で活動しているオイスカの母体であることを知る人は少ない。浜松には中野学園オイスカ高校がある。今では宗教色を薄めてきてるのか、あまり問題視されてない。ちなみにオイスカの副会長はオザワ幹事長の義兄である。
高校生の頃親父から「これを読んでみろ」と渡されたのが「巨人出口王仁三郎」という本だった。読むにつれその熾烈な生きざまに驚愕したのを覚えている。時がたつにつれオレの頭から王仁三郎は消えかかっていたのだが、ひょんなことから王仁三郎が清水と縁があることを知った。それもオレの家から歩いて行ける所に・・・ふつふつとオレの好奇心が大きく膨らんだ。
今日、天気も良かったので散歩がてら岡町にある月見里笠森稲荷神社に行ってみた。しかし行くときから何か変だった・・・方向も場所も大体分かっているのに、途中で道を失ってしまったのだ。裏道を歩いたのだが、気が付いたら全く方向違いの清水西高の周りをグルグル回っていた。
大慌てで大きな通りに出て神社を目指した。15分程度のところを小一時間かかってたどり着いた。神社は思っていたよりはるかに小さく、閑散としていて人の気配がない。周りには古木が残りそれらしい風情はあるが、何か寒々としてうらぶれていた。
デジタルカメラを持っていたので、神社の周りを廻りながら確か20枚ほど撮影した。財布を持っていなかったので参拝はしなかった。
家に帰りPCに取り込もうとSDカードをハードディスクに差し込んだ。しかし、不思議なことにそこには何にも写っていなかった。間違いなく写したはずなのに・・・オレは超常現象とやらは一切信じないが、何となく薄気味悪い。
清水には、かの田中智学も三保に大きな宗教施設を建てていたらしいし、龍華時には高山樗牛の墓がある。かつてはPL教団の本部も清水にあったという。岡田茂吉も清水で拘留されたと聞く。いや~、奥が深そうだ。そそられるな~、実にそそられる。もっと詳しく調べてみたい。
でもやめた!!今日の出来事は、これ以上魔教の巣窟に踏み込むなと警告された気がする。近いうちに賽銭持ってもう一回神社に行ってこよう。
2010年03月11日 Posted by臥游山人 at 22:07 │Comments(0) │日々雑感
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