魯山人異聞

書家であり、陶芸家であり、稀代の美食家として北大路魯山人の名を知ってる人は意外と多いかも知れない。ひところほどではないにせよ日本のどこかしこで作品展が行われ、今静岡グランシップでも「北大路魯山人展」が行われている。

魯山人がこの世を去って50年になる。しかし魯山人を直接知る人も殆ど鬼籍に入り、魯山人の素顔を知る人が少なくなってきている。勿論オレも直接会ったこともないが、一体魯山人とはどのような人間だったのだろうか?

今オレの手元に「定本北大路魯山人」という一冊の分厚い本がある。昭和50年に発行されたのだが、価格は何とその当時で10万円という破格の値段。筆者は黒田陶苑の創業者、黒田領冶である。魯山人の薫陶を受け粉骨砕身して仕えたが、最後はボロ雑巾のように捨てられた人間だ。

本の巻末で魯山人をよく知る識者との対談を載せているがそれがなかなか面白い。殆どの人が魯山人による物心両面の被害者だ。出自に恵まれなかった魯山人は、人に対する愛情が欠如していたようである。特に女性に対しては異常とも思える仕打ちを繰り返していたようで、奥さんを何人も変え、出来た子供にも非情な仕打ちをしたらしい。

魯山人は金銭に対しても異常な執着を持ち、金持ちには平身低頭して近づき、無用となれば罵詈雑言を持って決別したという。作品を頒布するからと前金を徴収し、後は知らん存ぜぬでナシのつぶて、、、ついには警察沙汰になったことも度々だったとか。

黒田領冶は魯山人を「超然を装うが娑婆っ気が強く、反骨を売り物にした渡世人」と評し、更に「孤独と寂寥の谷間を遊泳しつつ、本能を女の性と使用人への叱咜により発散する」と手厳しいが、次第に舌鋒は腰砕けになり、「でも魯山人だから仕方がない、、、」とむしろ肯定するかのように同席者の賛意を求めている。

果たしてそうなのだろうか?人間として失格でも芸術家として優れていればその非道な行為も許されてしまうのか?芸術家とはそれほど偉い存在なのか?オレは釈然としないものを感じてしまう。

陶芸家としての魯山人にもオレは疑問を感じている。魯山人はロクロを引けない人間だった。いやむしろロクロ仕事を蔑んでいた。「僕はロクロを触るのが嫌いだ。土がべとべと付く。汚くて大嫌いだ」常々こう言って憚らなかったという。ただロクロの前で指図をしていただけらしいが、それでも人は魯山人を陶芸家と呼ぶ。

あとがきで黒田領冶はこう結んでいる。

「尊大独善、冷酷非情。魯山人存命中に取り沙汰された暴君ぶりを恨みとした一時期もありましたが、逝いて十五年。その歳月は、複雑極まりない思いをも過去のものへと薄れさせ、ほろ苦い思い出も懐かしく・・・・・心高い具眼の士は、その遺作、偉業を高く評価し、年々にその層の厚さを増している事実からも、先生こそは真の芸術家と決めて異議はありますまい」

さあ、そんな芸術家が皆さんの傍にいたらどうする???







同じカテゴリー(日々雑感)の記事画像
青鷺
富士山と鴨
日本晴れ
散歩
笠森稲荷神社
清水港
同じカテゴリー(日々雑感)の記事
  (2015-02-03 16:55)
 マスコミ (2015-01-30 13:54)
 鴨すき、鴨南、鴨鍋、、、 (2015-01-20 15:19)
 青鷺 (2015-01-19 17:17)
 朝刊 (2015-01-17 16:48)
 富士山と鴨 (2015-01-16 17:50)

2009年12月13日 Posted by臥游山人 at 22:58 │Comments(0)日々雑感

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
魯山人異聞
    コメント(0)