中国秘話  Ⅴ  1984.10.1

中南海は、故宮(紫禁城)の西側に位置し、赤くて高い塀に取り囲まれた特別な一角である。ここには中国共産党本部や、中華人民共和国国務院があり、謂わば日本に於ける永田町、アメリカではホワイトハウスというところだろうか。かつて毛沢東、周恩来、鄧小平など歴代の政府要人が居住していて、中国政府の中枢ともいえる場所である。

中南海とはモンゴル語で「中南部に位置する庭園」という意味らしいが、1999年に気功集団「法輪功」のメンバー1万人が取り囲み問題になった場所、といったら分かってもらえるだろうか?

一般市民や旅行者は絶対立ち寄れない場所なのだが、中国政府は我々に開放してくれた。門をくぐるとそこには別世界が広がっていた。広大な池に舟遊びをしている人がいる。ここで中国の戦後政治が始まり、今でも熾烈な暗闘が繰り広げられているとは思えない実にのどかな光景だ。

中国秘話  Ⅴ  1984.10.1


ふとオレの後ろがざわついたので振り返ったら、胡櫂邦さんが歩いてきた。周りにSPもいたが、こんな間近で遭えるとは思わなかった。話しかける間もなく早足で歩いていったが、思わず声を掛けたくなるほどにこやかな笑いを振りまいていた。

中国秘話  Ⅴ  1984.10.1


その後、毛沢東が住んでいた家などを見学し、夕食を摂るためにホテルに戻ったが今日の予定はまだまだ終わらない。食事を急いで済ませ、又バスに乗り天安門広場に戻った。そこで大花火大会が予定されていた。

中国秘話  Ⅴ  1984.10.1


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8時から一斉に花火が打ち上げられ、天安門広場の夜空が真っ赤に染まった。火の粉がパラパラと降ってきてあちらこちらから嬌声が上がる。オレ達の前に代わる代わりに中国の若者達がやってきて踊りを披露する。一緒に踊りだす者もいて、そこらじゅうで日中交流が始まった。広場には50万人がいるそうだ。

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オレはトイレがどうなっているのか気になったので、そーっと抜け出して広場の端の方まで行ってみた。側溝のところにテントが張ってあり、そこが簡易トイレになっていた。側溝の蓋を飛び飛びに外しただけで隣との境もないものだった。これだけの人間が集まっているのだから大変だろうと思っていたが、実におおらかなトイレ事情だった。

花火大会は11時近くまで続いたが、最後に山形の「花笠踊り」が飛び出した。最初は単純に喜んでいたが、ふとあることに気付き鳥肌が立つような思いがした。日中交流のさきがけとなったオレの親父が山形出身で、今回の総団長も山形出身なのだ。もし中国側がそれを知った上での演出だとしたら、なんときめ細かい気遣いなんだろう。

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花火大会が終わっても天安門広場には興奮と嬌声が渦巻いていた。オレたちは通訳に案内されて、大きな黒塗りの乗用車に乗せられた。政府要人が乗る「紅旗」のリムジンだった。帰りはこのリムジンでホテルまで送ってもらった。パトカー先導なので、すべての交差点をノンストップで疾走する。

もうこんな経験は出来ないだろうなと思いながらも、オレは眠気と必死に戦っていた。







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2009年05月01日 Posted by臥游山人 at 21:30 │Comments(0)日々雑感

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