内海桂子師匠の太股
生田スタジオでの物まね番組のテレビ収録を終えてから東名を走り、ビッグボーイズのなべちゃんが我家に着いたのが昨夜の11時過ぎだった。焼酎を飲みながらバカっ話に興じ、布団に入ったのは夜中の二時を回っていた。
そして今日、「清水かがやき塾」の講演会が清水文化センターで行われた。講師は内海桂子師匠、それに浪曲漫談のさがみ三太師匠だった。この企画はオレが間に入ってまとめたものだったので今日は一日仕事を休んでお世話係りに徹した。
NPO法人の理事長も務めている三太師匠はこの講演会の前に、江尻生涯学習交流館でボランティア活動として無料の公演を行った。いつもながら師匠の善意には頭が下がる思いだ。それで師匠は弟子のビッグボーイズを連れてきたのだ。
それにもう一人、オレの大好きな曲師の澤村豊子師匠も一緒だ。ホントは今日浪曲師の国本武春さんの仕事が入っていたのをキャンセルしてまで清水に来てくれたそうだ。豊子師匠は今一番日本で売れている曲師で、NHKによく出演している。

9時25分頃清水駅で待ち合わせをしたので、なべちゃんとゆっくり朝ごはんを食べてから駅に向う。改札口に着いたら丁度三太師匠一行の姿が見えた。澤村豊子師匠とお付の若い女性、ビッグボーイズの羽生君、それに師匠の息子のS君。


江尻交流館では先に師匠が出演し、浪曲と漫談で参加者を喜ばせてからその足で豊子師匠と一緒に清水文化会館に向った。そして弟子がトリを務めるという変則的な形になったが、ビッグボーイズが熱演して参加者を大いに笑わせた。

ビッグボーイズの羽生愁平と、彼は清水出身だ
終演後、休む間も無くビッグボーイズとオレも文化会館に向う。楽屋には既に内海桂子師匠が到着していた。桂子師匠には去年ヤングカレッジの慰問で清水に来てもらって以来だ。今年88歳の米寿を迎えるというが、この元気さは一体どこから来てるのだろう。

今日の観客数は1,200人だという。午前中にやった会場の十倍以上の客数だ。心なしか三太師匠の表情にも緊迫感が漂いだした。ビッグボーイズも師匠の指示でテキパキと準備を始めた。
でもオレはな~んもやることが無い。オレの分も弁当を用意してあったので、オレは澤村豊子師匠のブラジル旅行の話を聞きながら先に平らげてしまった。豊子師匠も全てアドリブで演奏するので特に事前に打ち合わせも無いそうだ。
そして昼の一時半、桂子師匠の講演が始まった。師匠は元々は内海桂子・好江という漫才コンビで一世を風靡したが、相方の好江さんが亡くなってから一人で活動を続けている。現在社団法人漫才協会の名誉会長を務め、今売り出し中のナイツの師匠でもある。
声はデカイし、歌うし、踊るし、三味線も弾く。あの小さな身体のどこにあれほどのエネルギーが潜んでいるのだろう。35分と時間を決めていたのだが時間を過ぎても終わらない。マネージャーが袖でオロオロしだした。実はこのマネージャー、成田さんと言って旦那さんなのだ。それも24歳も年下だ。
オレも袖で観ていて吹き出してしまった。四曲も五曲も踊り続け最後は太股までチラリと見せるサービス(?)。そしてとうとう強制退場のような形で降板した。いや~~、ありゃとっても88歳のバーサンじゃないぜ。ヨーカイといってもいいんじゃないかな。でも、老芸人の舞台に懸ける鬼気迫る執念というものを身近で見せてもらったようで、オレは久しぶりに背筋が伸びた気がした。
その後は三太師匠の出番。今回は本職の浪曲を沢山唸って欲しいとオレが注文をつけていたので、師匠相模太郎譲りの「灰神楽の三太郎」のさわりや「梅干のできるまで」を豊子師匠との掛け合いでたっぷりやってくれた。やっぱりすごいや。師匠!まだまだ現役で頑張ってよ。

・・・今日は桂子師匠の太股が夢に出てきてうなされそうだな。少し多めに睡眠剤を飲まなくちゃ・・・。
そして今日、「清水かがやき塾」の講演会が清水文化センターで行われた。講師は内海桂子師匠、それに浪曲漫談のさがみ三太師匠だった。この企画はオレが間に入ってまとめたものだったので今日は一日仕事を休んでお世話係りに徹した。
NPO法人の理事長も務めている三太師匠はこの講演会の前に、江尻生涯学習交流館でボランティア活動として無料の公演を行った。いつもながら師匠の善意には頭が下がる思いだ。それで師匠は弟子のビッグボーイズを連れてきたのだ。
それにもう一人、オレの大好きな曲師の澤村豊子師匠も一緒だ。ホントは今日浪曲師の国本武春さんの仕事が入っていたのをキャンセルしてまで清水に来てくれたそうだ。豊子師匠は今一番日本で売れている曲師で、NHKによく出演している。
9時25分頃清水駅で待ち合わせをしたので、なべちゃんとゆっくり朝ごはんを食べてから駅に向う。改札口に着いたら丁度三太師匠一行の姿が見えた。澤村豊子師匠とお付の若い女性、ビッグボーイズの羽生君、それに師匠の息子のS君。
江尻交流館では先に師匠が出演し、浪曲と漫談で参加者を喜ばせてからその足で豊子師匠と一緒に清水文化会館に向った。そして弟子がトリを務めるという変則的な形になったが、ビッグボーイズが熱演して参加者を大いに笑わせた。
ビッグボーイズの羽生愁平と、彼は清水出身だ
終演後、休む間も無くビッグボーイズとオレも文化会館に向う。楽屋には既に内海桂子師匠が到着していた。桂子師匠には去年ヤングカレッジの慰問で清水に来てもらって以来だ。今年88歳の米寿を迎えるというが、この元気さは一体どこから来てるのだろう。
今日の観客数は1,200人だという。午前中にやった会場の十倍以上の客数だ。心なしか三太師匠の表情にも緊迫感が漂いだした。ビッグボーイズも師匠の指示でテキパキと準備を始めた。
でもオレはな~んもやることが無い。オレの分も弁当を用意してあったので、オレは澤村豊子師匠のブラジル旅行の話を聞きながら先に平らげてしまった。豊子師匠も全てアドリブで演奏するので特に事前に打ち合わせも無いそうだ。
そして昼の一時半、桂子師匠の講演が始まった。師匠は元々は内海桂子・好江という漫才コンビで一世を風靡したが、相方の好江さんが亡くなってから一人で活動を続けている。現在社団法人漫才協会の名誉会長を務め、今売り出し中のナイツの師匠でもある。
声はデカイし、歌うし、踊るし、三味線も弾く。あの小さな身体のどこにあれほどのエネルギーが潜んでいるのだろう。35分と時間を決めていたのだが時間を過ぎても終わらない。マネージャーが袖でオロオロしだした。実はこのマネージャー、成田さんと言って旦那さんなのだ。それも24歳も年下だ。
オレも袖で観ていて吹き出してしまった。四曲も五曲も踊り続け最後は太股までチラリと見せるサービス(?)。そしてとうとう強制退場のような形で降板した。いや~~、ありゃとっても88歳のバーサンじゃないぜ。ヨーカイといってもいいんじゃないかな。でも、老芸人の舞台に懸ける鬼気迫る執念というものを身近で見せてもらったようで、オレは久しぶりに背筋が伸びた気がした。
その後は三太師匠の出番。今回は本職の浪曲を沢山唸って欲しいとオレが注文をつけていたので、師匠相模太郎譲りの「灰神楽の三太郎」のさわりや「梅干のできるまで」を豊子師匠との掛け合いでたっぷりやってくれた。やっぱりすごいや。師匠!まだまだ現役で頑張ってよ。
・・・今日は桂子師匠の太股が夢に出てきてうなされそうだな。少し多めに睡眠剤を飲まなくちゃ・・・。