<エジプト・トルコの旅> 6月18日(1 )
4:30起床、6:00朝食、7:30ホテル出発。
トルコ西部、デニズリ県にある小さな村パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味を持つそうだ。昔からこの一帯は良質な綿花の一大生産地であった。
パムッカレは、石灰華段丘からなる丘陵地である。酸性雨が石灰岩の中に浸透し、石灰分を溶かした地下水が地熱で温められて温泉となる。その温泉水が地上に湧き上がり、中の石灰分が沈澱し、まるで雪が積もったような純白の棚田の様な景観を創りだした。
そして、その横には「ヒエラポリス」という古代都市遺跡がある。ヒエラポリスは、紀元前190年頃、ベルガモン王エウメネス2世によって建造された。「聖なる都市」という意味を持ち、ローマ支配下になってから温泉都市として更に繁栄し、最盛期には人口10万人を越えたという。
時間がなく残念ながら近づくことが出来なかったが、ここにはプルトン(冥界)の入り口と云われる「プルトニウム」という名の洞窟があり、ここから常時毒ガスが噴出している。神官がこの穴に入り、無事戻ってきて奇跡を演出し、神憑り状態になって神託を行ったとされる。そして、その上に「アポロン神殿」が築かれた。
ヒエラポリスはAD17年、60年の地震で甚大な被害を受けたが、2~3世紀にローマ帝国によって復興された。しかし、11~14世紀にはトルコ軍の侵攻を受け、更には、1354年の大地震により、残念ながら完全に崩壊してしまった。

南の門から入場したが、一帯は荒涼としていた。

町はこのように築かれていたという。

ここには学校があった。

遠くに野外劇場が見える。2世紀にハドリアヌス帝により造られたローマ様式の円形劇場で、15,000人が収容出来たという。中には皇帝が座るための、大理石で出来た貴賓席まであるそうだ。

オレは、花を愛でる程のロマンティストではないが、こんな荒涼とした場所にいると、野辺に咲く花を見て心がホっとする。

どんどん進み石灰棚に到着。下に見えるのはパムッカレ村。

まさに棚田のような景観だ。

大きな広場や、ローマ式浴場があった。昔は、温泉レジャー施設のような場所だったのかもしれないな~

足元はこんな模様が広がっており、つるつる滑らないから裸足でも歩きやすい。

まるで雪景色を見ているような錯覚に陥る。



ヨーロッパからの観光客がかなり多い。右脇の溝に温泉が流され、足湯を楽しむ人も多く見られた。

石灰棚から離れ、北の方に歩いてみる。

逆の方向から石灰棚を眺める。


2世紀の遺跡である「ローマ浴場」を利用して造られた「考古学博物館」で、貴重な出土品などを展示している。

当時のメインストリート「バシリカ」。両側には柱廊があり、商店が軒を並べていたという。

柱の上に、大きなトカゲが二匹、日光浴をしていた。

南ビザンティン門を抜けてバスに戻ると、Iさんがニコニコと出迎えてくれた。
トルコ西部、デニズリ県にある小さな村パムッカレは、トルコ語で「綿の城」という意味を持つそうだ。昔からこの一帯は良質な綿花の一大生産地であった。
パムッカレは、石灰華段丘からなる丘陵地である。酸性雨が石灰岩の中に浸透し、石灰分を溶かした地下水が地熱で温められて温泉となる。その温泉水が地上に湧き上がり、中の石灰分が沈澱し、まるで雪が積もったような純白の棚田の様な景観を創りだした。
そして、その横には「ヒエラポリス」という古代都市遺跡がある。ヒエラポリスは、紀元前190年頃、ベルガモン王エウメネス2世によって建造された。「聖なる都市」という意味を持ち、ローマ支配下になってから温泉都市として更に繁栄し、最盛期には人口10万人を越えたという。
時間がなく残念ながら近づくことが出来なかったが、ここにはプルトン(冥界)の入り口と云われる「プルトニウム」という名の洞窟があり、ここから常時毒ガスが噴出している。神官がこの穴に入り、無事戻ってきて奇跡を演出し、神憑り状態になって神託を行ったとされる。そして、その上に「アポロン神殿」が築かれた。
ヒエラポリスはAD17年、60年の地震で甚大な被害を受けたが、2~3世紀にローマ帝国によって復興された。しかし、11~14世紀にはトルコ軍の侵攻を受け、更には、1354年の大地震により、残念ながら完全に崩壊してしまった。
南の門から入場したが、一帯は荒涼としていた。
町はこのように築かれていたという。
ここには学校があった。
遠くに野外劇場が見える。2世紀にハドリアヌス帝により造られたローマ様式の円形劇場で、15,000人が収容出来たという。中には皇帝が座るための、大理石で出来た貴賓席まであるそうだ。
オレは、花を愛でる程のロマンティストではないが、こんな荒涼とした場所にいると、野辺に咲く花を見て心がホっとする。
どんどん進み石灰棚に到着。下に見えるのはパムッカレ村。
まさに棚田のような景観だ。
大きな広場や、ローマ式浴場があった。昔は、温泉レジャー施設のような場所だったのかもしれないな~
足元はこんな模様が広がっており、つるつる滑らないから裸足でも歩きやすい。
まるで雪景色を見ているような錯覚に陥る。
ヨーロッパからの観光客がかなり多い。右脇の溝に温泉が流され、足湯を楽しむ人も多く見られた。
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柱の上に、大きなトカゲが二匹、日光浴をしていた。
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私が訪れたチェコの城 Znojimo
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