<エジプト・トルコの旅> 6月15日
昨日早めに就寝したので今朝は5時半に目が覚めた。シャワーを浴びて6時半にレストランンに行ったら、もうIさんが席を取って待っていてくれた。軽めの朝食をと思いつつ、ついつい取り過ぎてしまう。Iさんがさり気なくウエットテッシュを渡してくれ、更に日本から持参した味噌汁まで戴いた。
7時半にホテルを出発。バスはマルマラ海を眺めながら快調に走りだした。Iさんはオレを窓際に座らせてくれた。今日の見学地はギリシャやブルガリア国境に近い「エディルネ」という小さな町である。「エディルネ」までは約230キロの距離になる。

「エディルネ」の町は、2世紀初めにローマ皇帝ハドリアヌスによって築かれ、ハドリアノポリスと呼ばれた。4世紀にコンスタンティヌス帝がローマからコンスタンティノーブル(イスタンブール)に遷都した後、首都に近いこの町は商業の町として栄えた。
やがて東ローマ(ビザンティン帝国)が衰えた頃、オスマン・トルコは、ヨーロッパ侵略を図り、1365年にプルサから、ヨーロッパが視界に入るこの町に遷都した。しかし、オスマン帝国の衰退と共に「エディルナ」の町は寂びれていく。
近年世界遺産に指定されたこの町には「ユチュ・シュフェリ・モスク」と「セリミエ・モスク」など、いくつかのイスラム寺院がある。
昼前に町に到着し、早速「ユチ・シェレフェリモスク」を見学する。1447年にオスマン・トルコが初めて建てたローマ様式の大ドームを持つこの寺院は、三つのバルコニーを持つミナレットが建っていることからこの名がつけられたという。

中庭から見るミナレット。

門をくぐると見事な天井画があった。

ドームの内部は、絨毯が敷き詰められ、座る場所が決められていた。或る同行者がこの絨毯に座り、お祈りするポーズを取り記念撮影をしていたが、宗教の苛烈さをどのように考えているのか?甚だ疑問に感じながらオレは見ぬふりをしてしまった。

ドームの天井。

ユチュ・シュレフェリ・モスクの全景。
次の見学地「セリミエ・モスク」は、スルタン・セリム2世の命により1575年に建てられた。トルコのミケランジェロと称される、ミマール・スィナンによって手がけられた、トルコを代表する建築物である。

セリミエ・モスクの全景。

ミマール・スィナンの銅像。

この寺院にも立派なミナレットが4本建っている。

ドームにはやはり美しい天井画があった。

ドームの高さは43メートル、直径は31メートル余りある。

ドームは8本の柱に支えられている。

女性が見学する時は、髪の毛を隠すようにスカーフを纏い、肌の露出が多い時には、肌を隠す布を渡される。

中庭風景。

「エディルネ」見学を終え、バスは「チャナッカレ」に向けて走り出す。行程225キロ。
いよいよバスはヨーロッパ側と別れを告げ、ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。この海峡はマルマラ海とエーゲ海を結ぶ重要海峡で、古くはヘレンスポントスと呼ばれた。この海峡を、アガメムノン軍が、アレクサンドロス軍が、そしてクセルクセス軍が遠征の為に渡ったのであった。

ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。

アジア側、チャナッカレの町が見えてきた。

チャナッカレで泊まった「コリン・ホテル」。食後、Iさんと近所のスーパーに買い物に行き、帰るなり、今晩も早々と撃沈したのでありました。
7時半にホテルを出発。バスはマルマラ海を眺めながら快調に走りだした。Iさんはオレを窓際に座らせてくれた。今日の見学地はギリシャやブルガリア国境に近い「エディルネ」という小さな町である。「エディルネ」までは約230キロの距離になる。
「エディルネ」の町は、2世紀初めにローマ皇帝ハドリアヌスによって築かれ、ハドリアノポリスと呼ばれた。4世紀にコンスタンティヌス帝がローマからコンスタンティノーブル(イスタンブール)に遷都した後、首都に近いこの町は商業の町として栄えた。
やがて東ローマ(ビザンティン帝国)が衰えた頃、オスマン・トルコは、ヨーロッパ侵略を図り、1365年にプルサから、ヨーロッパが視界に入るこの町に遷都した。しかし、オスマン帝国の衰退と共に「エディルナ」の町は寂びれていく。
近年世界遺産に指定されたこの町には「ユチュ・シュフェリ・モスク」と「セリミエ・モスク」など、いくつかのイスラム寺院がある。
昼前に町に到着し、早速「ユチ・シェレフェリモスク」を見学する。1447年にオスマン・トルコが初めて建てたローマ様式の大ドームを持つこの寺院は、三つのバルコニーを持つミナレットが建っていることからこの名がつけられたという。
中庭から見るミナレット。
門をくぐると見事な天井画があった。
ドームの内部は、絨毯が敷き詰められ、座る場所が決められていた。或る同行者がこの絨毯に座り、お祈りするポーズを取り記念撮影をしていたが、宗教の苛烈さをどのように考えているのか?甚だ疑問に感じながらオレは見ぬふりをしてしまった。
ドームの天井。
ユチュ・シュレフェリ・モスクの全景。
次の見学地「セリミエ・モスク」は、スルタン・セリム2世の命により1575年に建てられた。トルコのミケランジェロと称される、ミマール・スィナンによって手がけられた、トルコを代表する建築物である。
セリミエ・モスクの全景。
ミマール・スィナンの銅像。
この寺院にも立派なミナレットが4本建っている。
ドームにはやはり美しい天井画があった。
ドームの高さは43メートル、直径は31メートル余りある。
ドームは8本の柱に支えられている。
女性が見学する時は、髪の毛を隠すようにスカーフを纏い、肌の露出が多い時には、肌を隠す布を渡される。
中庭風景。
「エディルネ」見学を終え、バスは「チャナッカレ」に向けて走り出す。行程225キロ。
いよいよバスはヨーロッパ側と別れを告げ、ダーダネルス海峡をフェリーで渡る。この海峡はマルマラ海とエーゲ海を結ぶ重要海峡で、古くはヘレンスポントスと呼ばれた。この海峡を、アガメムノン軍が、アレクサンドロス軍が、そしてクセルクセス軍が遠征の為に渡ったのであった。
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