人間国宝

北の方に黒い雲があったが、空の大部分を、突き抜けたような青空が占めていたので「梅雨が明けたな」と思っていたが、案の定東海地方も梅雨明け宣言が出された。昨夜は全英プロを3時過ぎまで見てたのでやや寝不足ではあったが、気持ちよく朝の散歩をしてきて、どれどれと朝刊を広げていたら目出度い記事が飛びこんできた。

オレの陶芸の師である加藤孝造先生が人間国宝に答申されたという記事だった。オレは高校を卒業してすぐ、岐阜県多治見市にあった岐阜県立陶磁器試験場の工芸科に入所した。もう43年前の話である。そこは陶芸家の養成コースで数多くの陶芸家を輩出している。当時、試験場の場長は故加藤幸兵衛先生だったが、孝造さん(当時は先生などと呼ばず、みんなそう呼んでいた)は工芸科の主任技師だった。

孝造さんには二年間陶芸のいろはを教わったが、お互い若かったので野球をやったりスキーに行ったり、生徒と先生の枠を超えて随分中身の濃い二年間を過ごさせてもらった。孝造さんの家にも遊びに行って奥さんにも随分お世話になった記憶がある。

それなのに、そんな付き合いをさせてもらいながら孝造さんとオレは交流がない。もう40年近く会っていない。オレは試験場を出てすぐアフリカに飛びだし、二年後に帰国してからも八王子、府中、清水とめまぐるしく居場所を変えたのも理由の一つかも知れない。あるいは、オレが多治見を出た後、孝造さんは荒川豊蔵先生に師淑してあれよあれよという間に大作家になってしまった。そんなことがあって師弟の絆を強めることが出来なかったのかもしれない。

いや、ホントの事を告白しよう。オレは若い時から生意気だった。納得できないことがあれば、いくら先生でも徹底して噛みついた。だから孝造さんとは何回も衝突した。不肖の弟子だった。今思えば些細なことだが、血気盛んな頃だったから怖いものなしでぶつかって行った。孝造さんにすればそんなオレが可愛くはなかったに違いない。

新聞を見れば、孝造さんは今年75歳になるという。美濃では既に同年輩の鈴木蔵さんが志野焼で人間国宝に指定されている。だからオレは孝造さんは人間国宝になれないかもしれないと思っていた。ところがこの度の指定は「瀬戸黒」だった。

内情は色々あるのかも知れない。文化功労章や、人間国宝は、多分に政治的経済的な動きがあるという人もいる。オレもそれを否定しない。

でもそんなことはどうでもいいや。オレの先生が目出度く人間国宝になったんだもの。素直に喜ぼう。どんなことがあるにせよ、人間国宝は亡くなった人も含めて今まで330人しかいない。その辺の大臣なんかよりはるかに狭い関門だ。

孝造さん、いや孝造先生、この度は本当におめでとうございます。弟子の末席を汚すものとして、心よりお祝い申し上げます。これから私は加藤孝造の名を汚さないように、自分の分際をわきまえ、陶芸界の片隅を粛々と淡々と、歩み続けます。

さあ、今日も一人静かに乾杯することにしよう。






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2010年07月17日 Posted by臥游山人 at 14:23 │Comments(0)交遊録

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