袖すりあえなかった人達 ~3~
新天地清水での生活は予想を超えた厳しさがあった。自転車操業というか、明日の米代を心配するほどの毎日が続いた。それでも若いというのは有難い。辛いと思ったことはなかった。オレは日々増えていく友人知己に励まされ助けられながら創作活動を続けることが出来た。
そんな折、富山のA画廊から個展の話が舞い込んだ。富山は未知の土地だが、文化のレベルが高いと聞いていたのでやらせてもらうことにした。それが縁でその画廊の出品作家が毎年富山で行う忘年会にオレも参加することになる。
「冬星会」と名付けられたその忘年会は想像を絶したものだった。生地温泉の「田中屋」という温泉を一晩借り切って行う。富山湾で獲れる寒ブリ、ズワイガニ、本マグロなどを山盛り並べ、富山の銘酒を浴びるほど飲む。疲れたら温泉に入る。そして又話の輪に潜り込む。談論風発、朝方まで誰も寝ない。良く飲み、良く喰らい、良く喋った。
みんなこの忘年会を楽しみに日本中から駆け付けてくる。メンバーは、中村清治、橋本博英、進藤蕃、笠井誠一、江口週など、日本を代表する画家や彫刻家が主だったが、時々面白いゲストも参加する。三國一郎さんもその一人だった。人柄も語り口同様温和で、人の話を聞くのが上手い。オレのアフリカ話に興味を持ったらしくラジオに出演してくれないかと頼まれたがそのままになってしまった・・・
当時NHKのアナウンサーだった山川静夫さんも忘年会の常連だった。山川さんは酒が入ると面白い人だった。キャンディーズやピンクレディの歌が好きで振りを付けて歌ってくれた。その山川さんが連れてきたのが当時「海」の編集長をしていた村松友視だった。話してみたら何と村松さんは清水出身で、共通の知人がいたりして意気投合した。
「清水で会いましょうよ」と約束して別れたが、「私、プロレスの味方です」を出版して、あれよあれよという間に売れっ子作家になってしまった。後日オレの行きつけのスナックで顔を合わせたが、忙しそうで一言三言会話を交わしただけで別れてしまった。山川静夫さんもオレの個展にご夫妻で来てくれたりしたのだが、ここのところ縁が遠くなってしまった。
これも古い話になるが、作曲家の山本直純さんが主催する年末の麻雀大会に毎年誘われるようになった。渋谷のNHK近くの雀荘を借り切って行うのだが、すごいメンバーが集まった。NHKのプロデューサーは勿論のこと、「夢千代日記」「必殺シリーズ」の早坂暁、「時間ですよ」の久世光彦、「話の特集」の矢崎泰久、女優の中山千夏、岸田今日子・・・どこを向いてもテレビで見た顔がいる、、、岸田さんは何とも色っぽかった・・・
印象深かったのは池田満寿夫、佐藤陽子夫妻だろうか。池田さんは子供のような純粋な人だった。いくら振り込んでも「おかしいな~~、俺もっと強いんだけどな~??」とにこにこしながらハコテンになってくれた。陽子さんは気の強さを全面に漂わせている女性だった。仲睦じく見えたけど、オレはクワバラクワバラ・・・
同じ参加者に、人気番組「笑点」の筆頭作家で、「あなたの知らない世界」でも知られる新倉イワオ先生もいた。バレリーナ出身の奥さんと一緒に毎年参加していた。ご夫妻で清水にも何回か遊びに来て、狭い我が家で雀卓を囲んだこともあった。オレは霊の世界には何の興味もなかったが、先生は何も言わず付き合ってくれたっけ。
前田隣という気になる芸人がいた。「赤上げて~」の旗上げコントと「親ガメの背中に子亀を乗せて」で一世を風靡したナンセンストリオのメンバーだった。親しみを込めてダーリンさんと呼ばれ、末期癌を宣告されてからも舞台に立ち続けた。ビートたけしにも多大な影響を与えた、まさに最後の浅草芸人といっても過言ではない人だった。
数年前、浪曲漫談のさがみ三太師匠に紹介され、オレは「浅草東洋館」にダーリン師匠を訪ねた。師匠はオレの顔を見るなり「あなたとは初めて会った気がしませんね」と言った。オレはその時確信した。「この人とは付き合えそうだ」と。
しかし、オレの期待はつかの間だった。あれ程「癌では死なないのがオレの特技」と豪語していたのにダーリン師匠は去年の2月黄泉に旅立ってしまった。
さあ、オレの人生も残り少なくなってきた。袖すり合うも多生の縁という。果たしてこの先どんな出会いが待ってるのだろうか?
そんな折、富山のA画廊から個展の話が舞い込んだ。富山は未知の土地だが、文化のレベルが高いと聞いていたのでやらせてもらうことにした。それが縁でその画廊の出品作家が毎年富山で行う忘年会にオレも参加することになる。
「冬星会」と名付けられたその忘年会は想像を絶したものだった。生地温泉の「田中屋」という温泉を一晩借り切って行う。富山湾で獲れる寒ブリ、ズワイガニ、本マグロなどを山盛り並べ、富山の銘酒を浴びるほど飲む。疲れたら温泉に入る。そして又話の輪に潜り込む。談論風発、朝方まで誰も寝ない。良く飲み、良く喰らい、良く喋った。
みんなこの忘年会を楽しみに日本中から駆け付けてくる。メンバーは、中村清治、橋本博英、進藤蕃、笠井誠一、江口週など、日本を代表する画家や彫刻家が主だったが、時々面白いゲストも参加する。三國一郎さんもその一人だった。人柄も語り口同様温和で、人の話を聞くのが上手い。オレのアフリカ話に興味を持ったらしくラジオに出演してくれないかと頼まれたがそのままになってしまった・・・
当時NHKのアナウンサーだった山川静夫さんも忘年会の常連だった。山川さんは酒が入ると面白い人だった。キャンディーズやピンクレディの歌が好きで振りを付けて歌ってくれた。その山川さんが連れてきたのが当時「海」の編集長をしていた村松友視だった。話してみたら何と村松さんは清水出身で、共通の知人がいたりして意気投合した。
「清水で会いましょうよ」と約束して別れたが、「私、プロレスの味方です」を出版して、あれよあれよという間に売れっ子作家になってしまった。後日オレの行きつけのスナックで顔を合わせたが、忙しそうで一言三言会話を交わしただけで別れてしまった。山川静夫さんもオレの個展にご夫妻で来てくれたりしたのだが、ここのところ縁が遠くなってしまった。
これも古い話になるが、作曲家の山本直純さんが主催する年末の麻雀大会に毎年誘われるようになった。渋谷のNHK近くの雀荘を借り切って行うのだが、すごいメンバーが集まった。NHKのプロデューサーは勿論のこと、「夢千代日記」「必殺シリーズ」の早坂暁、「時間ですよ」の久世光彦、「話の特集」の矢崎泰久、女優の中山千夏、岸田今日子・・・どこを向いてもテレビで見た顔がいる、、、岸田さんは何とも色っぽかった・・・
印象深かったのは池田満寿夫、佐藤陽子夫妻だろうか。池田さんは子供のような純粋な人だった。いくら振り込んでも「おかしいな~~、俺もっと強いんだけどな~??」とにこにこしながらハコテンになってくれた。陽子さんは気の強さを全面に漂わせている女性だった。仲睦じく見えたけど、オレはクワバラクワバラ・・・
同じ参加者に、人気番組「笑点」の筆頭作家で、「あなたの知らない世界」でも知られる新倉イワオ先生もいた。バレリーナ出身の奥さんと一緒に毎年参加していた。ご夫妻で清水にも何回か遊びに来て、狭い我が家で雀卓を囲んだこともあった。オレは霊の世界には何の興味もなかったが、先生は何も言わず付き合ってくれたっけ。
前田隣という気になる芸人がいた。「赤上げて~」の旗上げコントと「親ガメの背中に子亀を乗せて」で一世を風靡したナンセンストリオのメンバーだった。親しみを込めてダーリンさんと呼ばれ、末期癌を宣告されてからも舞台に立ち続けた。ビートたけしにも多大な影響を与えた、まさに最後の浅草芸人といっても過言ではない人だった。
数年前、浪曲漫談のさがみ三太師匠に紹介され、オレは「浅草東洋館」にダーリン師匠を訪ねた。師匠はオレの顔を見るなり「あなたとは初めて会った気がしませんね」と言った。オレはその時確信した。「この人とは付き合えそうだ」と。
しかし、オレの期待はつかの間だった。あれ程「癌では死なないのがオレの特技」と豪語していたのにダーリン師匠は去年の2月黄泉に旅立ってしまった。
さあ、オレの人生も残り少なくなってきた。袖すり合うも多生の縁という。果たしてこの先どんな出会いが待ってるのだろうか?