虎は死んで皮残し

人は死んだら名を残すという。果たして名を残すことがいいものかという点はさておいても、後世に名を残せるような人間はごくごく一握りだろう。

でも人間ってもんは、長生きしなきゃぁ損みたいだね。30代で夭折するような天才は別として、どうも中途半端に早死にすると、功績はその後も生き続けた人にみんな持っていかれてしまう。あたかもみんな自分の手柄のように言いふらし、先人の足跡を黒板拭きのように消し去ってしまう。

人生なんてそんなもんサ、と思っていた。

一昨日、山形の「六根浄」という酒屋さんよりメールが届いた。山形市内の平清水というところに古くから焼き物の窯元がある。昔、親父が生きていた頃にその窯元をお世話したことがあるそうだ。その窯元の親戚が経営してる酒屋さんだった。

その「六根浄」さんより去年から頼まれていたことがある。親父の名前をつけた日本酒を造りたいということだった。そこで遺族に了解をもらいたいというまことに律儀な話だった。当然オレはよろしくお願いしますと返事をした。

虎は死んで皮残し


それが出来上がるという。そのラベルを送ってきた。その窯元では今でも親父から届いた絵手紙を飾っているそうだ。それを生かしてラベルを作ったらしい。絵も書も親父のものだ。醸造元は山形県南陽市の「山栄遠藤酒蔵店」。

純米吟醸酒でその名もずばり「善秋」(ぜんしゅう)という。親父の名前だ。オレの親父は戦後の青年活動の先駆者で、青年海外協力隊や、青年奉仕協会などを設立し、沖縄復帰運動、東西ベルリン問題、公明選挙白バラ運動など、数え切れないほどの社会活動に身を投じてきた。又戦後いち早くスクエァーダンスを日本に持ち込んだり、ブレーンストーミングを提唱したのも親父だった。

中国問題では、戦後初めて中国政府から公式招待された団体の団長として訪中し、毛沢東国家主席や周恩来首相と何回も面談し、「日中不戦の誓い」を宣言した。しかし親父は56歳の若さで今から30年前に白血病で急逝した。

虎は死んで皮残し


人間死ねば終わりだ。何も残らない。思い出さえも時間とともに薄らいでいく。あの頃親父の周りでオロオロしていたような若者が、今では国会中継などで古手の政治家としてスクリーンに登場する。彼らの頭の中からとっくに親父の名前など消えているだろう。

でも人生捨てたもんじゃないね。「善秋」今週届けてくれるそうだ。どんな酒に仕上がっているんだろう。親父は若い頃大酒のみだったそうだけど、オレが飲めるようになった時には殆ど酒を嗜まなくなっていた。だから親父と酒を飲むということはなかった。

届いたら、親父の分もぐい飲みに注いでしみじみと飲もう。しんみりしそうだから友人も誘おうかな。






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2009年04月13日 Posted by臥游山人 at 22:28 │Comments(0)日々雑感

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